可愛かずみの死因は自殺?プロ野球選手・川崎憲次郎の自宅で死亡!
2020/03/10
jonasan
フレディマーキュリー
出身:イングランド・ロンドン
死没:1991年11月24日(満45歳)
担当楽器:ボーカル、ピアノ、キーボード、ギター
活動期間:1970-1991年
男性4人組ロックバンド「Queen」のボーカル、フレディマーキュリー。
フレディマーキュリーは様々な才能に恵まれ、優れた歌唱力を始め、独自の作曲センス、卓越したピアノ演奏を披露し、全世界の人々を今も昔も魅了してきました。
「Bohemian Rhapsody」「Killer Queen」「Bicycle Race」など沢山の名曲を世に残していきます。
みなさんの中にも一度は耳にした方も多いはず。
しかしながら、フレディマーキュリーは45歳という若さでエイズによる肺炎が死因で惜しまれながらこの世を去ってしまいます。
フレディマーキュリーの死因やフレディマーキュリーの死因となった恐るべき病魔や闘病生活についてまとめます。
Queenで最も有名な曲、Bohemian Rhapsodyの画像です。
中央がフレディマーキュリー。
クイーンは、ブライアン・メイ(g.vo./1947年7月19日生)とロジャー・テイラー(ds.per.vo./1949年7月26日生)が在籍したグループ、スマイルを母体に結成された。1970年にスマイルが自然消滅した直後、二人はロジャーのかつての仕事仲間であったフレディ・マーキュリー(vo.key./1946年9月5日生)を迎え、更に'71年2月に行ったオーディションでジョン・ディーコン(b./1951年8月19日生)が加入した時点で、クイーンを名乗り活動するようになった。
これまでに15枚のスタジオ・アルバム、その他多くのライブ・アルバムやベスト・アルバムを発表。現在の認定セールスでは、アルバムとシングルのセールスで世界第5位の3億枚を超え、「世界で最も売れたアーティスト」にも名を連ねている
若くして世を去ってしまったフレディマーキュリーの死因とは一体なんなのでしょうか。
そして死因の病魔の恐ろしさとは…
とても壮絶な死因です。
死因のエイズによる肺炎というのは、ニューモシスチス肺炎という名前だそうです。
エイズとは、「後天性免疫不全症候群」を略した言葉です。HIVがCD4リンパ球に感染すると体の中の免疫力が壊されてしまうので、免疫機能が低下し、健康時には抑えられていた病原性の弱い微生物やウイルスが暴れだし、さまざまな病状が現れ「日和見(ひよりみ)感染」などを起こします。(これは体の弱った老人や抗癌剤などで免疫が弱った患者さんにもおきます。)
フレディマーキュリーはこんな恐ろしい病魔と戦っていたのですね。
フレディマーキュリーは後に死因となってしまうエイズに対して精一杯の力で対抗します。
若かりし頃のフレディマーキュリー。
誰が45歳という若さで早世してしまうと予想できたでしょうか。
フレディの様態に異変が起きてきたのは、アルバム『ザ・ミラクル』作成中の88年~89年のころだった。この当時はまだそれほど目に見えてフレディの体が病に冒されている事を感じることは出来なかったが、フレディの側にいる者たちはフレディの異変を少しずつではあるが感じ取っていた。
フレディマーキュリーも段々と後に死因となってしまうエイズの症状が現れ始め、自身の身体に異常があることを実感していきます。
そしてフレディマーキュリーは最後の力を振り絞ってアルバム、「Innuendo」の作成にとりかかります。
Queenの最終アルバム、Innuendo。
フレディマーキュリーはInnuendoの製作中、精一杯の力で身体の衰えを隠そうと努力しました。
このアルバムの制作やプロモーション・ビデオ撮影では、フレディの身体の衰えを少しでもカモフラージュするような努力がなされている。特にプロモビデオではその姿がハッキリと映るだけに細心の注意が払われた。厚化粧を施した"I'm Going Slightly Mad"のビデオなどはその努力が顕著に現れたものだ。
I'm Going Slightly Mad
PV中のフレディマーキュリーは全く身体の衰えや後に死因となるエイズによる肺炎にかかっていることを微塵も感じさせません。
むしろ力強ささえ伝わってきます。
どこか儚げな表情のフレディマーキュリー。
ここまでの努力にも関わらず死因となるエイズは残酷でフレディマーキュリーは惜しくも45歳という若さで逝去してしまいます。
フレディは11月9日にスイスから帰国すると鎮痛剤を除く延命処置用の薬を取らない決意をした。彼が外出することは滅多に無くなり、ウェスト・ロンドンのケンジントンの自宅でほとんどの時間を過ごしていた。 食欲も無くなり、彼の身体は見る見る衰弱していった。
11月16日にはイギリスの「デイリー・エクスプレス」にフレディのインタヴューが掲載されたが(収録日時は不明)、そのフレディの発言は孤独感を感じさせるものであり、最後に彼は「僕は明日を見つめて生きているんだ...」と語っている。そう、彼は明らかに「死」をすでに強く意識していた。
末期に近かったフレディマーキュリーはとても苦しかったに違いありません。
しかしながらフレディマーキュリーの「僕は明日を見つめて生きているんだ…」という言葉にはフレディマーキュリーの精神の強靭さを感じさせます。
もはや別人のようになってしまったフレディマーキュリー。
死因となるエイズはどんどんと彼の身体を蝕んでいきます。
いかに強靭な精神を持っていても、病は心身ともにフレディを蝕んでいく。死の直前頃は実に痛ましい描写が続く。果物のマンゴーさえ飲み込むことも吐き出す ことも出来ず、使用人が口をこじ開けて取ってもらう有様。もはやベットから起き上がれず失禁したことも記されていたのは胸が痛む。
フレディマーキュリーは恋人のジム・ハットンに看取られながら45歳という早すぎる年齢で死因、エイズによるニューシチモス肺炎により亡くなります。
あまりにも早すぎるフレディマーキュリーの死。
全世界のファンは悲しみに暮れます。
衝撃的な死に方をするミュージシャンは結構いるが、このフレディの死は今までとはまた違った意味で衝撃的だった。自分が同性愛者であることが公然の事実となっていたフレディ。当時同姓愛者からエイズ患者が多数出ていたこともあり、エイズという病気が色々な意味で誤解を招いていた事なども考えると、彼がエイズで亡くなったという事実はまさにショッキングな出来事であった。
当時、フレディマーキュリーの死因になったエイズは悲しいことに偏見の目で見られていました。
それだけに死因がエイズで亡くなってしまったということはとてもショッキングな出来事でした。
Queenのベース担当・ジョンディーコン。
突然の深い絆があったバンドメンバーの死にショックを受けるのもわかります。
フレディの没後彼は急にやる気をなくしてしまい、フレディ追悼コンサートに参加する気も希薄となっていたため、ブライアン・メイとロジャー・テイラーは彼を説得、当日「眠いから今日はパス」などとふざけたことを言ったジョンを引きずって運ぶ役目を果たした。
フレディマーキュリーの遺言でBohemian Rhapsodyの印税は「テレンスヒギンズトラスト」という組織に寄付されました。
テレンスヒギンズトラストはフレディマーキュリーの死因となったエイズの啓発やエイズ患者、感染者の支援を行う基金です。
死後、生前に残した遺言にしたがってクイーンでもっとも売れた曲である「ボヘミアン・
ラプソディ」の印税がエイズ基金「テレンス・ヒギンズ・トラスト」に寄付された。また、
それを受けて再発されたシングルCDはイギリス史上初の同一曲2度の1位を獲得した。
今回はフレディマーキュリーの死因、そして死因となったエイズ、フレディマーキュリーの最後に関して色々とまとめました。
フレディマーキュリーの作曲した音楽はずっと褪せずに残っていき、今日も世界中の人間を魅了しています。
さて、フレディマーキュリーの死因となったエイズは今も沢山の尊い命を奪っています。世界からエイズが撲滅されるといいですね。
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