木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
2017/11/05 更新
昭和の歌姫山口百恵は、21歳で芸能活動から引退、その後は一切メディアに出ないと言う徹底ぶりです。今も彼女に残るのは、若い頃の歌声と映像だけ。どうして山口百恵は、こんなに若くして引退したのでしょうか。引退は成功といえるのか、彼女の素性や芸能界事情をから探ります。
本名 三浦 百惠(みうら ももえ)
(旧姓:山口)
生年月日 1959年1月17日(58歳)
出生地 東京都渋谷区恵比寿
血液型 A型
職業 元歌手、元女優
活動期間 1973年 - 1980年
配偶者 三浦友和(1980年 - )
俳優の三浦友和と結婚したので、本名は三浦百恵になっています。
でも、結婚後は引退していますし、芸能人として活動していた時の名前、山口百恵の方が、今でも知られています。
ここで確認して頂きたいのが、山口百恵の芸能活動期間が、たった7年間だけだったという事です!
こんなに有名な山口百恵ですが、7年間しか活動していなかっただなんて、正直驚きました。
山口百恵が引退した理由は、好きな人と一緒になるため、寿引退です。
お相手は、先に書いたように、俳優の三浦友和です。2枚目で、当時人気の俳優でした。
では、どうやって、2人は知り合ったのでしょうか?
2人は、仕事でコンビを組むことが非常に多かったのです。その気の合ったコンビぶりに「ゴールデンコンビ」と言われていた程です。
『グリコのプリッツ』のCMや、映画『伊豆の踊子』で共演し始め、その後、山口百恵が主演した映画計13本の内、12本は三浦友和が出演したというのです。
そんなに同じコンビで次々と映画を取るなんて、よっぽど人々が、この2人のコンビを求めていたという事でしょうか。
当時18歳の山口百恵。
際どく胸元まで空いた白いシャツが、山口百恵の表情と一緒になって、かなり色っぽいですね。
爽やかにジュースを飲む、山口百恵と三浦友和の2人。
美男美女だし、とてもお似合いですよね。
当時の人々が、この2人の映画を求めていたのも納得できます。
仕事上でお似合いのカップルだった2人が、本当に結婚しました。
1980年11月19日、披露宴は東京プリンスホテルの鳳凰の間で行われ、招待客が1800人という盛大なものでした。
芸能界で名の知れた大物がならび、三浦友和側の主賓は東宝社長(松岡功)、山口百恵側の主賓はCBSソニー会長(大賀典雄)だったそうです。
後に書きますが、山口百恵の素性より、山口百恵の父親代わりに、ホリプロ社長(堀威夫)がなりました。
披露宴の司会はメインが岡田真澄、サブが徳光和夫(当時日本テレビアナウンサー)。
この披露宴が、どれだけ盛大なものであったか分かりますね。
幸せそうな2人の笑顔は、仕事で見せていた笑顔より、もっと素敵ですよね。
山口百恵のウィディングドレスはとてもシンプルですが、それが逆に、彼女の美しさを引き立てていると思います。
山口百恵の生い立ちですが、あまり幸せな物ではなかったようです。
山口百恵の父親には本妻がおり、山口百恵は愛人の子として生まれました。
父親は、頻繁に山口百恵の母の元へ通っていたそうですが、それでも、本妻と別れる事はなかったそうです。
しかも、山口百恵には、妹もいたそうです。
母親に楽をさせてあげたい、お金を稼ぎたいと言う思いで歌手になり、とても有名になりました。
すると、その父親は、山口百恵を自分の子供にしようと、親権を母親から奪おうとしたそうです。
そのことがあり、山口百恵は、自分たちの生活を守るため、自分が稼いだ多額のお金を父親に手切れ金として支払い、きっぱりと縁を切ったとのことです。
デビュー当時、山口百恵の生い立ちは、母子家庭に育ったとされていました。しかし、実は認知されていたものの、愛人の子であったという真実の生い立ちを、200万部のベストセラーとなった自叙伝「蒼い時」で明かしています。そして山口百恵は、結婚して晴れて三浦百恵になるために、自分で稼いだ相当額を手切れ金としてその父に渡し、完全に親子の縁を切ったのです。
この話を聞くと、山口百恵が、結婚し自分の家庭を気付くに際し、仕事を引退し、家族を一番に考え、大切に守っていくと決めたのは、よく理解できます。
母親思いだった山口百恵は、お金を稼ぐために歌手になりました。
当時、テレビで活躍していた、山口百恵と同年代の森昌子を見て、自分も彼女のようになりたいと思い、オーディション番組『スター誕生!』に出場したのです。
1972年、13歳の時でした。
結果、準優勝に輝き、20社から指名を受けるという快挙でしたが、この時、審査員の阿久悠から
「あなたは青春ドラマの妹役なら良いけれど歌手は諦めた方が良い」
と言われたそうです。
こんな阿久悠から受けた悔しい発言も、負けん気の強い山口百恵には、跳ね返してより強くなる原動力になったのかもしれません。
デビューは果たしたものの、最初は売れませんでした。
所属していたホリプロダクションは、彼女の売り出し路線を変更し、性的に際どい歌詞の歌を歌わせることにしました。
すると、それが大ヒットしたのです。
若干14歳の少女が、そんな歌をうたうなんて、センセーショナルな事でした。
しかも、山口百恵が持っている、怪しげな独特な雰囲気が、彼女の歌をより印象強いものにしました。
こうして山口百恵は、10代にしてセクシーな雰囲気出せる、他の当時のアイドルとは違う路線を確立しました。
デビュー当時、山口百恵は、森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれるほどの人気でした。
山口百恵は、森昌子はホリプロダクション、桜田淳子はサンミュージックプロダクションでした。
ここでも、山口百恵の少し悲しい事情があるのですが、本当は、ホリプロダクションは、桜田淳子を獲得したかったそうです。しかし、獲得できず、代わりに山口百恵を取ったとのこと。
芸能事務所ホリプロが山口百恵を採用したのは、全くプロダクションの都合からでした。実は人気のあった花の中三トリオは偶然の産物で、森昌子と山口百恵はホリプロ。桜田淳子はサンミュージックと所属プロダクションが違います。当時、ホリプロとしては、森昌子と石川さゆりに加え、桜田淳子を獲得して、ホリプロ三人娘として売り出そうしていたのです。しかし桜田淳子を獲ることができず、やむを得ず獲ったのが山口百恵でした
でも、そんな事務所の事情など考えなければ、この3人の仲睦まじいいショットは、普通に楽しそうな仲間3人に見えますし、当時の人々に喜びを与えていたのでしょうね。
そんな明るい笑顔の裏で、彼女は悩んでもいました。
引退直前に、山口百恵は自伝書を出していますが、その中で、現役時代にホリプロとの確執があったこと、意見の相違により社長の堀威と衝突があったと書いています。
それが原因で、当時の制作部長(小田信吾)と独立する計画もありましたが、ホリプロダクションが小田を説得、独立を阻み、山口百恵は引退を決意したとの意見もあります。
もし独立していたら、三浦との結婚を理由に引退はしていなかったかもしれないのですね。
当時、人気があるうちに「きっぱり引退する」というのも商戦方法の一つだったのかもしれません。
山口百恵の引退は、1980年。
その前にも、1975年には、ザ・ピーナッツ、1978年にはキャンディーズが解散しています。
この時、引退記念興行が大々的に展開され多くの金が動いていました。
山口百恵の引退までの流れを見ると、
1979年10月20日に、大阪厚生年金会館のリサイタルで
「私が好きな人は、三浦友和さんです」
と、三浦との恋人宣言を突如発表する。
翌1980年3月7日には、三浦との婚約発表。
「我儘な…生き方を私は選びました。(中略)お仕事は全面的に、引退させて頂きます」
と芸能界引退を公表する。
引退商戦といえる、レコードのリリースや公演の予定を発表する。
引退直前には、自叙伝『蒼い時』を出す。
複雑な生い立ちや、芸能人としての生活の裏面、恋愛や三浦との初体験など、赤裸々に書かれていました。それが200万部を超える大ベストセラ。
1980年10月5日には、日本武道館でのファイナルコンサートを開く。
「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」
と残したメッセージは、彼女の名言として言い伝えられています。
ファンに深々と一礼し、マイクをステージの中央に置き静かに舞台裏へ去っていく様子も、彼女の引退の印象に残るワンシーンです。
ここだけでは終わらず、
ファイナルコンサートの翌日、10月6日には、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)の引退特集番組を放送する。
10月15日には、ホリプロダクション20周年記念式典で「いい日旅立ち」を歌う。
番組後の引退記者会見、これが彼女の現役最後のテレビ生出演でしたが、多くの報道陣が集まり、大混乱だったそうです。
7年半とう短い活動期間で、シングルは31作、累計1630万枚の売り上げ。LPは45作、累計434万枚という売り上げでした。
1970年代、最もレコードを売り上げた歌手だったのです。
その後、11月17日に結婚、披露宴を盛大に開きました。
山口百恵が、どうしてこんなに若く引退したのか、納得して頂けたのでしょうか。
彼女の生い立ちからくる、人生観。家族を大切にしたいという思いがあったからです。
そして、事務所との確執、引退商戦での金儲けなどがあったと言えます。
私は、結果的に、彼女は若く引退して成功したと思っています。
トリオで人気のあった森昌子や桜田淳子も、それ程今では美しい存在ではありません。
森昌子は離婚しましたし、桜田淳子は教団に入り結婚しましたが、芸能界からは遠のいてしまいました。
山口百恵は、家族を守ることに決め、今もそれを貫いています。
そして、今も彼女に残るイメージは、若い頃の美しい姿、歌声、言葉、映像ばかりです。
白いウェディングドレスで最後を締めくくるというイメージを作り上げたのも、山口百恵です。山口百恵のように、美しく最後を締めくくりたいと願う女性は多いはずです。
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