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2023/12/28
大今里
東城誠は別名ローランドという名前で現在大活躍しています。そんな東城誠ですが、ホストの中でもプライベートの情報や考え方をはっきりとメディアで公表しています。そんな東城誠ですが、一体どんな人物なのでしょうか。ナルシストという普通なら嫌われるキャラなのに、ファンが多い彼の謎に迫っていきます。
ローランドこと東城誠は1992年に東京で生まれました。高校卒業後すぐに大学を中退し18歳でホストデビューします。そこで1年間の下積み時代を経た後、歌舞伎町の最年少記録を更新し20歳にして当時所属していた店舗の代表取締役に就任しました。
2013年KG-produceに、現役ホストとしては史上最高額の移籍金で移籍します。その後は数々のテレビ番組に出演するなどタレントとしても活躍しています。
2017年度に4200万円を売り上げ店舗最高記録を樹立すると共に年間売り上げも1億7000万を超えます。2018年には月間6000万を売り上げグループの個人最高売り上げ記録を樹立しました。歌舞伎町のトップホストとして現代ホスト界の帝王と称されています。
現在では執筆活動や多数のメディア出演もこなしています。
東城誠は幼い頃から遊びに徹底したこだわりがありました。当時カードゲームが流行っていましたが、その流行は自分の流行らしたものじゃないという考えがあったため、カードゲームにハマることはありませんでした。
その代わりに夢中になったのが映画でした。『ゴッドファーザー』や『タイタニック』には特に影響を受けているといいます。『タイタニック』でローズを助けるために死んでいったジャックのようになりたいと言っています。
東城誠は小学校のころから高校までサッカーをやっていました。そしてそのことがきっかけとなり、東城誠(源氏名)の本名がばれてしまうことになります。
あるツイートに「ROLAND見たけど、風雅じゃん。」という記載があり、小学生のころとは全然変わっていたという記載がありました。また、天才チームメイトと記載があったことから、当時からサッカーはうまかったのでしょう。
また、前にWEB雑誌の特集記事に高校時代のサッカー部のユニフォーム掲載されていました。その中に『風雅へ』という記載があり、土井拓斗という記載もあり、さらに在学していた帝京高校のスタメン一覧を調べてみると松尾風雅と土井拓斗という名前がみつかり、確定したようです。
しかし、怪我で捻挫してしまって、Jリーガーの選手になるのを諦めます。この怪我は東城誠の心に深い傷を負わせました。というのも、青春のすべてをサッカーにかけていたからです。友達が遊んでいるときも必死にサッカーに打ち込んできました。しかし、逆にその時の「本気さ」が「本気で向き合えてダメだったから」という気持ちに昇華させられたようです。
東城誠はその後父親の薦めで大学に進学しますが、入学式時点で大学を辞めてホストになることを決意します。授業には1度だけ出席し、入学から1週間ほどで退学しました。東城誠は人生最大の失敗がこの惰性で決めた大学進学だったといいます。
そして、大学を辞めた理由について東城誠は「将来がすべて見えてしまったから」と言っていました。どうやら先の見えない人生よりも先の見える人生のほうが怖いと感じたようでした。
これに対して母親は「まあ、いいんじゃない?」と言ってくれたが、父親には猛反対されます。父親は音楽家で、敷かれたレールを外れる厳しさを知っていたため、特殊な仕事ではなく、4年制大学を卒業し一般企業に就職して欲しいと念を押されていました。その為、父親に激しく怒られ、1年ほど勘当されたといいます。
大学退学後、そのまま18歳で先の見えないホストの世界に入りました。その後、下積みを経て、様々な伝説を残すようになるのです。
22歳時に現在のKG-PRODUCEに移籍し、25歳時に同グループの取締役に就任します。2018年のバースデーイベントでは1日で6000万円以上の売上を記録し、KG-PRODUCEの歴代売上最高記録保持者となります。 2019年の1月より独立し、ホストクラブを運営することが発表されました。
そんな経歴を持つ東城誠ですが、苦しい下積み時代があります。そういった細かなエピソードもみていきましょう。そうすることで東城誠の生き方が見えてくるのではないでしょうか。
東城誠が大学を辞めた理由は「そのとき感じた恐怖」です。入学式で感じたのは「ここは俺の居場所じゃない」という違和感で、1度だけ授業に出て退学します。よく一般的には先の見えない恐怖を感じます。しかし、東城誠が感じたのは「先が見えた方がもっと怖い。それ以上上に行けない、これ以上上に行けない」とわかったときに恐怖を感じました。
自分の未来が閉ざされる恐怖を肌で感じてしまった東城誠はすぐに退学し、ホストの道に進むことになるのです。
大学の入学式の当日に退学することとホストになることを決意した東城誠は、下積み時代が長かったことで有名です。
東城誠は入学式の日に退学を決意したまま、教科書代を持ってスーツを買いに行き、そのままホストの面接へ向かいました。それから1年ほどの下積み時代には月給が一桁の時期も多かったようです。売れる前から「俺、ガキのおもちゃじゃないから。使いこなないなら遊ばないでよ」や「5万以上はもってこいよ」というトガッたスタンスで、生意気だと先輩達にも思われ、鳴かず飛ばずでした。
売り上げが3940円という月もあったようで、「逆にすごいよね」と苦笑いしながら本人も語っていました。
さすがに心折れそうになった時期もあったそうですが、常に自信を持ち続けることが売れる秘訣だと思っていた東城誠は、常に自信を持ち続けることで耐えてきたようです。
「売れる前から調子に乗ってたから、もうだいたい着く席NGで。俺はこの仕事すごくすきだし愛してるのに何でみんな楽しんでくれないんだろうなって悩んだね」とも言っていました。
西新宿の家賃6万円のアパートに住みながらママチャリで店まで通っていました。当時すんでたアパートにはゴキブリと同棲しているように感じるほど頻繁にゴキブリが現れたようです。
トガッていた東城誠は極貧の下積み時代にも先輩からご飯をおごってもらったり助けてもらうようなことはなかったようです。
東城誠は日本一のホストを目指していたため信念を持っていました。それは「日本一目指していない先輩に媚びを売っても日本一になれない」というものでした。そのため、先輩には関わらなかったようです。
100円ローソンでセールになった、見たこともないような50円のパンを食べていた頃や、歯磨き粉を食べようと思ったほどお金に困っていました。実家は裕福でしたのでお金がない生活ははじめてで辛い日が続きましたが、いつかは日本一になると思い続けていました。
売れなくても自分のスタンスを貫いて、時代が自分に追いつくのを待っていたそうです。すると、下積み時代が1年ほど続いたときに、1人のお客さんがついたことをきったけに売れっ子になります。そのお客さんは1ヶ月で30万円使ってくれたといいます。年上の方だったようで、「自信満々なところがかわいい」という感じだったようです。そこから、当時書いていた「自信過剰なブログ」に結果が伴って拍車がかかってただのビッグマウスではなくなりました。
そこからは一瞬だったようです。半年で1000万円売り上げるホストへと成長します。
下積みを乗り越えた東城誠はその後も結果を積み重ね、歌舞伎町の最年少記録を更新し20歳にして当時の『ゼブラ』の代表取締役に就任しました。
そこで最年少の彼が年上の人をまとめるということで、かなり先輩から反発があったようです。ある日、キャスト20人がオーナーと東城誠を呼んで目の前で「オレら全員クビにするか代表クビにするか選んでください」って言われたそうです。そこでオーナーに「じゃあお前辞めてもらっていいかな」と東城誠は言われたそうです。そのまま「こんな店辞めてやるわ」と言って、プラチナ本店へと移籍することになりました。
画像は東城誠の昔の顔です。美容整形には総額1000万円かかっているそうですが、歯に一番お金がかかっているそうです。歯は週に1度メンテナンスに行っています。500万円をかけてインプラント手術をしたため、自分の歯は残っていません。「ホストにとって歯は見えないおしゃれであり勝負下着」と言い切っていました。
執刀医はヴェリテクリニックの有名医師である福田慶三先生です。水商売の界隈では福田先生に顔を作ってもらっている方が多く、人気があります。商売道具である顔をよくしたいというストイックな思いから整形に臨んだそうです。東城誠は顔以外は完璧と思っていたが、顔だけがネックだったといいます。しかも、その唯一の欠点がホストでは一番大事な要素だと思っていたようで、だったら顔だけ良くすればいいんじゃないか、という結論に至りました。整形のモデルは、ファイナルファンタジーの7のクラウドというキャラクターで、その写真を持ち込んで福田先生にお願いしました。
整形後は仕事も激変しました。1年の売上げが整形以前の2.5倍になったり、自分の誕生日たった3時間で1300万円を売り上げたりしました。また、整形をカミングアウトすることでメディアの注目の的となり、取材が殺到し、歌舞伎町で最も有名なホストととして知れ渡ります。
東城誠は枕営業をネットで暴露されたときに、枕営業を認めました。そのときの返しはおもしろいです。「整形前は誰とでもやってたわ。今の整形後のオレを口説けて抱かれたら、暴露してください。同棲ってか家庭訪問。暴露で切れる客しょーもないから。ドラクエのモンスターだって、棺桶入ってるのに着いて来るからね。ドラクエのモンスターくらいの覚悟ないとオレは大事に出来ないよ」と、言っていました。
また、枕営業について真面目な考え方も述べています。お客さんにとって「ホストとやる」のはゴールで、完全にやれない存在というのは夢がないと言っています。また、その駆け引きをUFOキャッチャーに例えています。景品に多くお金使うと、立ち去れないのと同じで、自分に1000万円使っちゃったお客さんは薄々「やれないだろうな」と感じていてももう立ち去れなくなると言います。そして、それがホストの仕事だと言っていました。
東城誠の枕営業が行われるときはUFOキャッチャーで落としたことをイメージということです。
東城誠のすごいところはどんなところなのでしょうか。それは、彼の接客に対する考え方など仕事に対する信念を見てみると明らかになってきます。1つ1つ見ていきましょう。
まず、東城誠は売り上げがすごいです。月間の売り上げは4200万円で、年間の売り上げが1億7000万円を超える記録も持ちます。この記録は歌舞伎町の中でもまれな売り上げで、数えるほどしかいません。また、給料袋の大きさもすごいです。
東城誠はお酒を一滴も飲まずに接客をして売り上げを出しています。シラフのほうが完璧な接客が出来ること、優雅に格好良く仕事がしたいという理由だそうです。そのため、出勤も自分で運転して真っ赤なオープンカーでしています。
東城誠は売掛を一切せずに、お客様には全員キャッシュで支払わせています。売掛けとはお店側に借金という形で飲んだりした代金を一時的にホストが立て替えている状態のことです。
3000万円の酒をオーダーしたときもキッチリキャッシュで払ってもらう動画もあります。
プラチナ本店に入店してから、売り上げを3倍に伸ばしました。従業員教育や内装のプロデュースも任され、店の売り上げを3倍に伸ばし、日本一の店舗へと成長させたのです。
以前住んでいた家が特定されて出待ちなどが多かった理由と、あまり家にいなくて家具など物をあまり持ちたくないのでホテルに住んでいるといいます。家賃はタワーマンションの上層階位と同じくらいだそうです。
東城誠の家族構成はどのようなものなのでしょうか。東城誠には父、母、妹、弟がいるとされています。それぞれどのような人物なのでしょうか。1人1人見ていきましょう。
東城誠には「父親と自分の人生は別」という、矜恃から、父親の名前は公表していません。父親は担任の先生から「お子さんが給食を残すので困る」と連絡があったときに「何でも好きとかどっちでもいいという人間の好きという言葉に、一体何の価値がありますか。嫌いなものをしっかりと嫌いといえない男にはなるな、そう息子に教えています」と言ったといいます。
その影響もあって東城誠が小学生のころから自己主張や好き嫌いをはっきりさせていました。東城誠の芯の強さは、このころから父親によって培われて、その美意識も父親によって守られたものでした。
さらに、実家は裕福でした。さらに父親がミュージシャンでかつ、会社経営だという噂もあります。そして、その父親がギタリストの松尾洋一ではないかという噂があります。
松尾洋一はかつて影山ヒロノブがボーカルを務めるバンド「AIRBLANCA」で活動していた、有名なギタリストです。そのことの証拠となったのは東城誠がインスタグラムで「昨日は父親が出演するライブを観に行きました」と投稿していました。そのときのライブのギターメンバーに松尾洋一が入っていたので、かなり濃厚です。
さらに、東城誠の公式ブログに「父はGACKTと共演したことがあり、やっぱりGACKTはオーラが違う」という記載があります。かなりの有名ギターリストであることがわかる文章です。
東城誠は「ホストでやっていく」と父親に告げたときに猛反対されます。父親が音楽家で、敷かれたレールを外れる厳しさを知っていたため、特殊な仕事ではなく、4年制大学を卒業し一般企業に就職して欲しいという願いからではないでしょうか。
また、ホストで大成した東城誠が仲直りの印にポルシェのカイエンという1000万円以上の車をプレゼントされています。よほどのお金持ちということがわかります。
東城誠には双子の妹がいます。妹はイタリア語、フランス語、英語、日本語の4カ国語を話せるため、旅行に行った際には通訳として連れて行ったと言います。
また、東城誠は妹をとても大事にしています。妹に彼氏が出来たことを知ってすぐに電話をして「オレ以上にお前を幸せに出来る男はオレだけだ。彼氏なんて作らなくていいからオレが養ってやる」と言ったといいます。しかし、妹の返答は「お兄ちゃん、ウザい」という言葉で一蹴されます。また、妹の就職が決まったときにアドバイスを真剣に長文で送ったときも「オッケー」の一言だったと言います。
あまり語られることはないのですが、少し年の離れた弟もいることが知られています。弟はバーテンダーのようです。証拠としては公式ブログに「仕事帰りに弟のBARへ」と書いてあったことです。
弟とは年が5歳くらい離れているという説がネットにありりました。
また、ちなみにですがGACKTは東城誠のことを弟とみなしてかわいがっており、東城誠からみて義理でつながれた兄ということになります。
東城誠にはさまざまな名言があります。東城誠はそういったユニークな返しでバラエティ番組にも引っ張りだことなっていました。そんな東城誠ですが、どんなものな名言なのでしょうか。ツイッターに寄せられた質問箱の中から厳選しました。
ツイッターの質問箱に「ZOZOの前澤氏は月に行くみたいなので、ローランドさんスケールで負けてますね」という質問が送られ、それ対しての東城誠の名言です。
「月に自分が出向こうとしている時点で月に負けてない?俺様クラスになると逆に月を来日させる方向で考えてるからね」
ツイッターの質問箱に「そんなに才能があるなら、なぜ一年も下積み時代があったんですか?」という質問が送られ、それに対しての東城誠の名言です。
「時代がROLANDに追いついてこなかったからね。江戸時代じゃsupremeは売れないだろ?」
ツイッターの質問箱に「ローラ様の鋼のメンタルな所本当尊敬してます!」という質問が送られ、それに対しての東城誠の名言です。
「オレのハートは誰にも傷つけられないから正確にはダイヤモンドメンタルかな」
東城誠は以前の源氏名ですが、なぜROLANDに改名したのでしょうか。まず、2017年に東城誠からROLANDに改名しています。その理由として「新しいステップに行く意味では、新しいものを作っていき行きたいから」「真似されて真似されて、常に追いかけられる側で居たいから」という前向きな気持ちが根底にあります。
新しいことにチャレンジする精神が今の地位を気づいており、その意味ではぴったりな理由ではないでしょうか。
ローランドこと、東城誠はとても努力家であることがわかりました。その根底にはサッカーでの挫折があるのではないでしょうか。必至に打ち込んだサッカーの夢を諦めざる負えなくなり、そこから虚無感に襲われます。
そして、大学も父親に言われるままに選んだ道で会ったため、やる気が起きず、そのままホストという夢のある世界へ進むことになるのです。
そのホストで厳しい下積み時代を乗り越えて、歌舞伎町でも有名のホストとなったのです。そんな努力家で意識の高い東城誠はこれからも飛躍していくのではないでしょうか。
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