木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
安藤組の大幹部だった花形敬さんは、伝説の喧嘩師として知られています。安藤組の組長からも一番可愛がられていたそうです。国民的な英雄だったプロレスラーとトラブルを起こしたエピソードも残っています。
組長が服役していた時は組長代行もしていましたが、直後に刺されて亡くなってしまいました。花形敬さんのエピソードや安藤組、花形敬さんをモデルにした作品についてご紹介します。
花形敬さんは有名人ではありますが、格闘家だったわけではないので詳細なプロフィールや身長などがわかっているわけではありません。生年月日も生まれた年がわかっているだけで、誕生日は不明です。
とはいえ、ある程度のことはわかっています。花形敬さんのプロフィールをご紹介します。
花形敬さんは、学生の頃からとりわけ体が大きく喧嘩の強さで恐れられていました。また単純に強いだけでなく、素手の喧嘩にこだわっていました。そのため、伝説的な喧嘩師になったといわれています。
花形敬さんの喧嘩に関するエピソードや傷跡に関するエピソードなどをまとめてみました。
花形敬さんは渋谷で一番強い男と恐れられ、大江戸の鬼という異名でも呼ばれていました。素手の喧嘩ステゴロでは最強と呼ばれ、様々な伝説を持ちます。後述のトラブルからプロレスラーの力道山さんよりも強いといわれることもあります。銃で撃たれた後に、襲撃した相手を一晩中探し回った伝説は有名です。
中学生の頃から特別体が大きく、成人する前から180cm以上の長身だったといわれています。強さのわかりやすい伝説として、中学生の頃にプロボクサーを一撃で倒したといわれています。
これは喧嘩ではなかったようです。しかし、プロボクサーは殴った相手が死んでしまうから、平手打ちにするように花形敬さんにアドバイスをしています。花形敬さんの恐ろしさがわかるエピソードですね。
花形敬さんには、前科7犯22回の逮捕歴があるそうです。花形敬さんの写真は結構残っており、ネットにも画像や動画として出回っています。花形敬さんは、ソフト帽にフチなし眼鏡白いスーツがトレードマークでした。
釣りをしている写真も残っており、あまり怖そうな人物には見えないという意見もあります。しかし、花形敬さんをモデルにした漫画のキャラクターは、全身刀傷だらけに描かれています。実際の花形敬さんも、大小20もの刀傷があったそうです。
当時は、戦後の混乱期で特に物騒な時代でした。これだけ傷を負っていることが凄まじい戦いを繰り広げていた証拠でしょう。銃で撃たれた後に、相手を一晩中探し回った話がどこまで本当なのかわかりません。しかし、それに近いことがあった可能性は高そうです。
花形敬さんは安藤組の大幹部で、組長の安藤昇さんが服役した時は組長代行も務めました。大幹部は他にもいましたが、安藤昇さんから最も寵愛を受けていたといわれています。
安藤組は、少し変わった組織でした。組長の安藤昇さんも非常に個性的な経歴の持ち主です。安藤組や安藤昇さんの情報についてまとめてみました。
花形敬さんが所属していた組織は、安藤組と呼ばれています。これはマスコミによってつけられた俗称で正式名称ではありません。安藤組は、当時としては珍しく正式に登記された株式会社でした。正式な名前は東興業といいます。元々は愚連隊・「下北沢グループ」を名乗り自警団をしていました。
昭和27年に正式に登記し、株式会社になります。薬物や入れ墨、指詰めを禁止し、ファッショナブルなスタイルで活動していました。そのため、不良少年から高い支持を得ています。構成員は学生も多く、最盛期には500人を越えていたそうです。
会社組織になった当初は普通の会社でした。徐々に活動が当時の暴力団に近づいていき、安藤組と呼ばれるようになります。ただし、安藤組は法的には愚連隊の扱いになっており、現在でも警察の書類では暴力団として扱われていません。昭和39年の12月9日に組長の指示で、安藤組は解散しています。
花形敬さんが慕った安藤昇さんは、1926年に生まれました。いわゆる不良少年でしたが、成績は優秀でした。予科練に合格したことで、恩赦を受けて少年院から退院しています。法政大学に入っていますが、退学して愚連隊を結成しました。その後、東興行を設立します。
安藤組を解散後は映画俳優に転向し、自叙伝が映画化された作品でデビューします。元組長という肩書で、数々のやくざ映画に出演しました。その他に、小説家やプロデューサーなどでも活躍しています。映画の撮影で本物の拳銃を使って、監督と一緒に逮捕されたエピソードがあります。
これは逮捕されることまで計算した宣伝だったそうです。リハーサルで銃を撃つシーンで「バン!バン!」と口に出すところを知り合いに見られ、恥ずかしい思いをしたことがあります。そのことが原因で、映画にあまり出演しなくなりました。
安藤昇さんはマルチに活躍していますが、歌手としてレコードもリリースしています。現在のシングルに当たるEPを14枚、アルバムに当たるLPを7枚などリリースした枚数は20枚以上あります。
歌手としての評価は低かったですが、安藤昇さんの曲が収録されたオムニバスCDも発売されています。曲が収録された「幻の名盤解放歌集 ポニーキャニオン編 男が死んで行く時に」には、Amazonでプレミアがついてます。
力道山さんはプロレスの父とも呼ばれる昭和プロレスのカリスマで、戦後日本の国民的英雄でした。そんな力道山さんですが「純情」という飲み屋の用心棒をしており、花形敬さんとトラブルを起こしたエピソードが残っています。
花形敬さんと力道山さんのトラブルや力道山さんが用心棒をしていた理由などについてご紹介します。
安藤組のシマの中で「純情」が許可なく商売を始めました。このことが花形敬さんと力道山さんのトラブルのきっかけになります。安藤組に挨拶がなかったため、花形敬さんが「純情」に出向くと、力道山さんが用心棒として出てきたとそうです。<br><br>花形敬さんの凄まじい迫力に、力道山さんはあっさり引きがったとされています。そのため花形敬さんは力道山さんよりも、強いといわれることがあるのです。ただし、力道山さんと花形敬さんは実際には戦っていません。<br><br>また、花形敬さんと力道山さんがトラブルを起こしたというのは、安藤昇さんの著書の中のエピソードです。「修羅場の人間学」では、力道山さんとトラブルを起こしたのは、安藤組の幹部の森田雅さんだったことになっています。
力道山さんは1924年11月14日生まれで、本名は「百田光浩」といいます。元々は大相撲の力士出身で、関脇まで昇進しています。その後、建築現場の監督をしていた時期がありますが、プロレスラーに転向します。
1年間アメリカでプロレス修行をした後、「日本プロレスリング協会」を設立し国民的なスターになっています。身長はプロレスラー時代は180㎝と公表していましたが、実際は176cmで体重は116㎏でした。
傷の治りが速い体質だったといわれ、ガラスのコップをかみ砕いて食べてしまうなど怪物的なエピソードのある人物です。人格に問題があるという話も多く、飲酒をするとよくトラブルを起こしていたようです。
力道山さんがなぜ用心棒をしていたのか、はっきりした理由はわかりません。しかし、当時のプロレスラーのバックには、やくざがいるのが当たり前だったようです。力道山さんのバックにもやくざがいたといわれています。
そういった背景から、力道山さんが用心棒をしていたのではないかと言われています。力道山さんは国民的なプロレスラーで知名度が高いです。そのため、力道山さんは自分が出ていけばトラブルは起きないと考えていたのかもしれません。
花形敬さんとトラブルを起こしたことと関係はありませんが、力道山さんはやくざに刺されたことが元で命を落としています。住吉会系の構成員だった村田勝志さんと喧嘩になった力道山さんは、馬乗りになって殴っていた最中に刺されてしまいます。
すぐに亡くなったわけではありませんが、刺されてから1週間後に容態が悪化し命を落としています。死因については諸説あるようです。医療ミスという話もありますが、傷が完治する前に食事をしたせいで容態が悪化したともいわれています。
単純に術後の経過が悪かったのかもしれませんが、頑丈だったことが災いして命を縮めた可能性もあるようです。
花形敬さんには様々な伝説があり、力道山さんとの件以外でも様々なトラブルを起こしています。電車を脱輪させたという信じられない伝説や安藤組が解散することに繋がった事件についてご紹介します。
花形敬さんには、満員電車を脱輪させたという驚きのエピソードがあります。花形敬さんは、子供の頃から自分のことを大江戸の鬼と名乗っていたようです。ある日、停車中の電車の前に花形敬さんは、立ちふさがりました。
そして、名乗りを上げると手にした金属の棒で、電車の正面を殴り始めます。電車を殴るためとはいえ、花形敬さんが武器を使う珍しいエピソードです。当然、電車は発車することはできません。駅員や警察官もその光景に呆然として、止めることができなかったといわれています。
殴った後は、棒を電車の車輪の下に差し込みます。てこの原理で、電車を動かそうとしたのです。最終的に、電車は脱輪してしまいました。さすがに素手で電車を持ち上げたりはしていませんが、漫画のようなエピソードです。
前科7犯で逮捕歴22回の花形敬さんですが、事件として有名なのが横井社長襲撃事件です。横井社長というのは、白木屋乗っ取り事件などで有名な事業家の横井英樹さんのことです。横井社長は白木屋の経営権を獲得するために、資金を集めていました。
横井社長は、元侯爵の蜂須賀正さんから3000万を借ります。しかし、1000万円しか返さず踏み倒します。裁判所からの支払いも無視したため、最終的に安藤昇さんが取り立てを依頼されます。これを無視されたため、安藤組の人間が横井社長を銃撃します。
安藤昇さんは、8年服役することになりました。襲撃犯ではありませんが、花形敬さんにも1年6ヶ月の刑が言い渡されました。出所後、大幹部だった花形敬さんは組長代行として安藤組を任されることになります。安藤昇さんが、服役したことが安藤組が解散する原因になったといわれています。
安藤昇さんが服役することになり、先に出所した花形敬さんは組長代行になります。しかし刺客に襲撃され、あっけない最期を遂げることになりました。亡くなったの昭和38年ですから、安藤昇さんが逮捕されてからわずか2年後のことでした。
それから、1年後に出所した安藤昇さんの意向により安藤組は解散することになりました。なぜ、花形敬さんは33歳の若さで命を落とすことになったのでしょうか?花形敬さんが亡くなった経緯についてご紹介します。
花形敬刺殺事件の始まりは、安藤組の組員と岡村文化部の組員が揉めたことから話が始まります。東声会組員が仲裁に入りますが、今度は安藤組の組員と東声会組員が揉めてしまいます。東声会組員が重傷を負う事態になり、話がこじれていきます。
安藤組の組員は警察に自首し、花形敬さんは和解するために動きました。しかし、なかなか話は進みませんでした。花形敬さんは、自宅のアパートに帰る途中で刺客2人に襲われます。近くにあった料亭の店員と高校生がその様子を目撃していました。高校生と店員は犯人を追いかけたそうです。
結局、その店員も銃撃され、重傷を負っています。花形敬さんは、刺された日に亡くなりました。通夜は、実家で行われたといいます。花形敬さんの母は、安藤組の組員に報復はしないように頼んでいたそうです。
昭和38年の9月27日に襲撃された花形敬さんですが、亡くなった時に人形を持っていたという話も残っています。この人形は、娘へのプレゼントだったという説があるのです。花形敬さんは結婚していないので、娘はいないといわれています。
しかし、花形敬さんには妻がおり、花形敬さんが刺されたことを安藤組に伝えたという記録もあるようです。正式に結婚していたのかはわかりません。しかし、そういった関係の女性がいるなら、子供がいてもおかしくはありません。
花形敬さんの墓石には家族の名前が一切ないため、子孫はいないともいわれています。子孫がいてもおかしくはありませんが、記録は一切残っていないようです。
花形敬さんをモデルにした小説や映画、漫画は数多く制作されています。花形敬さんが主人公の作品から、安藤組を扱ったものまで花形敬さんが登場する作品についてまとめてみました。
小説 「疵 花形敬とその時代」は、本田靖春さんによるノンフィクションです。本田靖春さんは、花形敬さんと同じ中学に通っていました。花形敬さんと戦後混乱期の渋谷が描かれています。
本田靖春さんと花形敬さんは、同じ学校出身ですが特に親しかったわけではないようです。花形敬さんの人柄について知ることができる作品になっています。
タイトルになっている疵に関しては、それほど詳しく書かれてはいません。
小説 「疵 花形敬とその時代」を原作にしたのが、映画「疵」です。1987年の映画「ちょうちん」が、ヒットしたことから企画された映画でした。「ちょうちん」で主演だった陣内孝則さんが、そのまま花形敬さんを演じています。
この映画以前にも、花形敬さんをモデルにした映画は作られていました。しかし、本名で映画が作られたのは、この作品が初めてです。安藤昇さんが企画から参加しています。安藤昇さんのおかげで、登場人物は全て実名にすることができたそうです。
原作小説にはないエピソードも、追加されています。花形敬さんが中学の同窓会に出席する場面は、映画のオリジナルです。松田優作さん、根津甚八さん、小林薫さんといった、当時の人気俳優も主演に立候補していたそうです。
映画 「修羅場の人間学」は、同名の書籍を原作にした映画です。原作は、安藤組の幹部森田雅さんが書いています。原作と映画では、内容がかなり異なります。主人公は、高嶋政伸さんが演じる朝田平吉という人物です。
一番下っ端の平吉の視点から見た安藤組を描いた作品になっています。面白おかしい内容で、フィクションの要素も強いと言われています。花形敬さんを演じたのは、山下真司さんです。安藤昇さん役は原田芳雄さんでした。
山下真司さんの演技は、花形敬さん本人に一番近いと評価されています。花形敬さんについて知りたいなら、一見の価値がある作品です。しかし、DVD化されておらず、視聴はかなり難しくなっています。VHSもAmazonで高値がついています。
「渋谷物語」は、安藤組の結成から解散までの様子が描かれた映画です。安藤昇さん本人による小説「激動」が原作になっています。映画の主人公も安藤昇さんです。登場人物の一部は実在人物ですが、東興行は渋谷興行という名前になっています。
安藤昇さん役は村上弘明さんでした。嶋尾康史さんが、花形敬さんを演じています。この映画では、花形敬さんの出番は多くありません。
安藤昇さん本人も、特別出演として映画に登場しています。ちなみに花形敬さんを演じた嶋尾康史さんは、元阪神タイガースのピッチャーでした。
「餓狼の系譜」は「実録・安藤組」というサブタイトルがついています。安藤組について描かれた劇画作品です。漫画原作は、安藤昇さん本人が担当しています。
バンブーコミックスで全8巻が発売されました。徳間コミックスから、コンビニコミックとしても発売されています。
「餓狼一代」は「実録 安藤昇一代記」というサブタイトルがつけられています。安藤昇さんの人生を描いた作品です。「餓狼の系譜」と同じく、安藤昇さんが原作を担当しています。安藤組についても描かれているので、当然花形敬さんも登場します。
「青春篇」、「怒濤篇」、「激闘篇」、「完結篇」というタイトルで全4巻が発売されました。その後、文庫版が全2巻で発売されています。。5ページごとに銃撃戦が展開するようなバイオレンスな作品です。
花形敬さん本人を描いた映画や漫画はかなり多いです。それだけではなく、花形敬さんをモデルにしたキャラクターが登場する漫画もあります。実話とは何の関係もない完全なフィクションです。
ここでは、花形敬さんをモデルにしたキャラとそのキャラが登場する作品についてご紹介します。
グラップラー刃牙は、様々なキャラが地下闘技場で戦う漫画です。主人公は高校生ながら、地下闘技場のチャンピオンです。実在の格闘家だけでなく、革命家など様々な実在の人物をモデルにしたキャラが強力な格闘家として描かれています。
花形敬さんをモデルにしているのは、花山薫というキャラです。花山薫は、15歳にしてヤクザの組長をしている怪物的な人物です。格闘技に関しては素人ですが、圧倒的なフィジカルの強さと精神力を持っています。花形敬さんの伝説とは無関係ですが、ものすごい握力の持ち主でもあります。
何十枚も重ねたトランプを指でえぐり取る芸が実在します。ものすごい握力が必要ですが、作中で花山薫が同じことをしてます。また、素手で戦うことにこだわっており、登場するキャラクターの中では非常にクリーンな戦い方をします。
「軍鶏」は「漫画アクション」と「イブニング」で連載されていた格闘漫画です。主人公の成嶋亮は優等生でした。しかし、自分の両親を刺殺して、少年院に入ったところから物語が始まります。格闘漫画ですが、人間の心の闇に焦点を当てた独特の作品になっています。
花形敬さんをモデルにしたキャラは、早乙女薫というやくざです。新宿最強の喧嘩師と呼ばれており、非常に大柄な人物です。格闘技は完全に素人ですが、空手の実力者に素手の喧嘩で勝っています。主人公は、物語の中盤で早乙女薫に喧嘩を売っています。
大ぶりのパンチを繰り出すだけの単調な喧嘩をしますが、異常な打たれ強さと気迫で主人公を追い詰めます。花形敬さんをモデルにしていることは間違いありません。しかし名前が薫となっており、グラップラー刃牙の花山薫をかなり意識しています。
伝説の喧嘩師花形敬さんについてご紹介しました。素手の喧嘩の強さで、語り継がれ様々な伝説が残っています。しかし、花形敬さんが襲撃された事件は刺されたことしか記録が残っておらず、詳しいことはわかっていません。
若くして亡くなったことも、伝説が語り継がれる一因なのかもしれません。戦後の混乱期だからこその伝説もあり、こんな人物はもう現れないでしょう。
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