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2023/12/28
大今里
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画『最後の晩餐』は、聖書に登場するイエスの最後の晩餐をモチーフに描いたものです。この『最後の晩餐』について解説していきます。
『最後の晩餐』は、2007年にイタリアのデジタル処理会社HAL9000が160億画素の超高解像度画像をネット上に公開しており、細部を確認することが可能です。
レオナルド・ダ・ヴィンチ以前に描かれた『最後の晩餐』としては、1303年から1305年頃のジョット・ディ・ボンドーネ、1450年頃のアンドレア・デル・カスターニョや1482年頃のドメニコ・ギルランダイオのものがあります。レオナルド・ダ・ヴィンチもそれらの作品をよく観ていたと考えられます。
ジョット・ディ・ボンドーネは1267年頃生まれ、1337年没の中世後期の画家、建築家です。イタリア、ルネッサンスの先鞭をつけた芸術家として評価されています。
ジョットの『最後の晩餐』は、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の壁画として制作されました。12人の弟子がイエスを囲むようにテーブルに付いています。ペトロはイエスにもたれ掛かるように眠っており、ユダは手前の一番左に位置し、イエスと同じ皿に手を伸ばしています。
イエスや弟子には光背が描かれていますが、ユダには描かれていません。イエスの光背は金色ですが、弟子の光背は後世に黒く塗りつぶされてしまったとされています。
アンドレア・デル・カスターニョは1421年頃 から1457年の画家であり、彼の『最後の晩餐』は、フィレンツェのサンタポッローニア修道院の壁画として制作されました。バランスに富んだ人物配置が特徴的で、ユダだけがテーブルの手前に描かれています。
机に手を置いて顔をつけて居眠りしているヨハネに対し、ユダは背筋を伸ばしており、緊張感が感じられます。使徒のうち、ユダだけ光背が描かれていません。
ドメニコ・ギルランダイオは1449年生まれ、1494年没のルネッサンス期の画家です。若きミケランジェロが師事した画家として有名です。代表作としては、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の『マリアの誕生』などがあります。
ドメニコ・ギルランダイオはフィレンツェで3作の『最後の晩餐』を制作しています。1476年にはバディア・パッシニャーノ教会、1480年にはオンニッサンティ教会、1482年にはサン・マルコ教会の壁画として描いています。
アンドレア・デル・カスターニョによる人物配置と共通性があり、ユダだけがテーブルの手前に配置されています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、横長の構図となっており、イエスを中心に12人の使徒たちが横に並んでいます。ユダはどこに描かれているでしょうか。絵の左側から順番に登場人物をご紹介します。
一番左の人物が、バルトロマイです。イエスの12使徒の一人で、皮剥ぎの刑で殉職したとされています。8月24日が記念日となっています。ミケランジェロの「最後の審判」では自分の皮とナイフを持つ姿で描かれました。
左から2番目の人物が小ヤコブです。12使徒の一人で、新約聖書には「アルファイの子ヤコブ」として登場しています。
左から3番目、両手の手のひらをみせているのが、アンデレです。12使徒の一人で、ペトロとともに漁をしていたときにイエスに声をかけられて弟子になりました。X字型の十字架によって処刑され、殉職したと伝えられています。11月30日が記念日です。
左から4番目の人物で、イエスの左にいるヨハネに向かって手を伸ばしているのが、ペトロです。12使徒の一人で、リーダー的な存在として位置づけられています。カトリック教会では、ペトロが初代ローマ教皇とみなされています。
左から5番目の人物が、イスカリオテのユダです。この人物が裏切り者の代名詞となっているユダで、12番目の使徒でした。イエス一行の会計係を担当しており、不正を行っていたとされています。
イエスと接吻することによって、イエスであることを示し、当局に引き渡しました。その後、ユダは非業の死を遂げたとされています。
イエスの左側に描かれている人物がヨハネです。12使徒の一人で、兄のヤコブとともに弟子になりました。弟子の中でも高い地位にあったとされています。イエスが十字架に掛けられた際には、弟子でただ一人十字架の下にいました。カトリック教会では12月27日が記念日となっています。
食卓の中心にいるのがイエス・キリストです。紀元前6年ないし4年頃から紀元後30年頃の人物でキリスト教の始祖。洗礼者ヨハネの洗礼を受けて、パレスティナのガリラヤで宣教を開始します。
病人を癒したり、悪魔祓いを行ったりして、ユダヤの伝統に反するようになり、ユダヤ教指導者の反感を買いました。2年数か月の活動の後、ユダヤの最高法院で裁判にかけられ、ローマの総督ポンティウス・ピラトゥスの下、ゴルゴダの丘で磔刑に処せられました。
福音書はイエスの容姿を伝えていませんが、美術では最高に美しい救世主として描かれてきました。当初は短い髪に髭の無いイメージと長髪で髭のあるイメージがありましたが、14世紀以降は後者が一般的になりました。
イエスの右隣で、右手の人差し指を立てているのがトマスです。イエスの真意を理解せず、少しずれていたとされ、イエスが復活したという弟子の言葉を信じず、自分の目で見てはじめて感激しました。イエスの脇腹の傷に指を指し込んで確かめました。インドまで赴いて宣教し、殉教したという言い伝えがあります。
イエスから右2番目にいるのが、大ヤコブです。12使徒の一人で、兄弟のヨハネとともに網の手入れをしていたときにイエスに誘われ、弟子になりました。44年頃、ユダヤの統治者ヘロデ・アグリッパ1世によって捕えられ、殉職したとみられています。
9世紀にスペインで大ヤコブの遺体とされるものが発見され、スペインの守護聖人とされています。カトリック教会では7月25日が記念日となっています。
イエスから右3人目の胸に手を当てているのが、フィリポです。12使徒の一人で、イエスに直接招かれて弟子となりました。カトリック教会では5月3日が記念日となっています。
右から3人目の人物が、マタイです。12使徒の一人で、かつてはローマ帝国の徴税人でした。エチオピアあるいは古代エジプトのヘリオポリスで殉教したと言われています。
右から2番目の髭の長い人物がタダイのユダです。イエスを裏切ったイスカリオテのユダとは別人。イスカリオテのユダの陰に隠れる形で「忘れられた聖人」と呼ばれたこともありました。1800年代以降になり、信仰が高まりました。バルトロマイとアルメニアで宣教を行ったと伝えられています。
一番右の人物がシモンです。12使徒の一人で、「熱心党のシモン」と呼ばれています。エジプトで宣教した後、タダイのユダとともにペルシアで殉教したと伝えられています。
『最後の晩餐』においてユダが裏切り者として描かれているとは、どういうことでしょうか。具体的にご紹介していきます。
『最後の晩餐』を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチは、イタリア、ルネッサンス期の人物です。画家、発明家、科学者として活躍し、「万能の天才」と言われています。代表作としては、『最後の晩餐』のほか、『受胎告知』、『洞窟の聖母』、『モナ・リザ』、『聖アンナ』などがあります。
『最後の晩餐』は1495年から97年にかけての作品で、ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として制作されました。大きさは420cm×910cmであり、損傷も激しいものとなっています。1980年に同修道院と教会は世界遺産に登録されました。
『最後の晩餐』は一点透視図法で描かれています。同図法は奥行きのあるように見えるもので、ある地点から見ると、部屋が奥に広がっているように見えます。イエスの左のこめかみに釘を打った跡があり、そこから糸を張って、テーブルや天井、床などを描いたものと思われます。
『最後の晩餐』では、イエスが12人の弟子の中、一人が裏切ると予言している場面です。それがユダなわけです。
『最後の晩餐』ではユダが裏切ることが示されています。いったいどのように描かれているのでしょうか。具体的にみていきましょう。
別の画家が最後の晩餐のシーンを描いたものでは、ユダだけがテーブルの手前に描かれてきました。しかしレオナルド・ダ・ヴィンチは、そのような構図とはせず、弟子がすべて横並びになっています。これはその時点ではユダが裏切ることが明確ではなかったことを示しているのでしょう。
またユダの位置は、イエスが最も信頼したペトロと最も愛したヨハネの間になっていることが注目されます。イエスの左右に配置されることが多いペトロとヨハネですが、そうはなっていないのです。
ただし裏切ったのはユダだけではありません。最後の晩餐の後、イエスが連行され、イエスの弟子ではないかと詰問されたペトロは、それを否認してしまいます。イエスも事前にそれを予言していました。しかしペトロはその後、イエスへの信仰を厚くしていきました。
ユダはもともと信仰心がそれほどなかったとされています。他の弟子たちと違い、記述も少なく、イエスとの関係もそれほど親密ではありませんでした。イエスもユダの裏切りを予言していましたが、ユダに対して、やろうとしていることはするように言いました。
ペトロがナイフを後ろ手に持っていることが注目されます。ヨハネとイエスの間は不自然に空間が空いており、もしここにペトロがいたとしたら、ペトロはイエスに詰め寄りつつ、ヨハネにナイフを突きつけていることとなります。
裏切り者の代名詞となったユダ。彼はなぜイエスを裏切ったのでしょうか。次にユダ自身について詳しくみていきましょう。
ユダはイエスを神として信じていませんでした。イエスを一度も「主」と呼ぶことはなく、「ラビ」と呼んでおり、教師としてみていることを示していました。
聖書においては12人の弟子について述べるとき、ほぼ同様な順番で記されています。その順番はイエスと関係が近い順に並んでいると考えられます。ユダは一番最後に記されており、イエスとは遠い関係にあるとみられます。またユダの記述はネガティブなものしかありません。
ユダは欲深いとされています。ユダは一行の会計役を担っていました。イエスが人々から集めた献金から利益を上げることをねらっていたとする観方もあります。『最後の晩餐』においてユダは右手に銀貨を握っているとされています。
新約聖書のマタイ福音書では、「十二弟子のひとりイスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところに行って言った、『彼をあなたがたに引き渡せば、いくらくださいますか』。すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。その時から、ユダはイエスを引きわたそうと、機会をねらっていた。」と記されています。
また旧約聖書のゼカリヤ書では、「私は彼らに言った。『あなたがたがよいと思うなら、私に賃金を払いなさい。もし、そうでないなら、やめなさい。』すると彼らは、私の賃金として、銀三十シェケルを量った。」とあります。
出エジプト記では、「牛がもし男奴隷または女奴隷を突くならば、その主人に銀三十シケルを支払わなければならない。またその牛は石で撃ち殺されなければならない。」とされています。
図学研究者の松平幸巳は、『最後の晩餐』においてイエスの頭上を中心点として二つの正三角形ができると指摘しています。一つは、ヨハネとヤコブの顔辺りを底辺とする正三角形で、もう一つは天井からイエスのへそ当りに向かう下向きの正三角形です。
二つの正三角形を合わせると、ダビデの星を意味する六角形の星型となります。またイエスの頭を中心に五角形の星を描くこともでき、二つの星の重なりは、婚姻を意味しているのではないかと指摘しています。
『聖☆おにいさん』は2006年より連載されている中村光によるギャグ漫画です。天界から地上に下りてきたブッタとイエスが、東京の立川でアパート暮らしをするという内容で、手塚治虫文化賞短編賞を受賞、実写ドラマ化もされました。
その中村光が単行本第13巻の発売を記念して書き下ろしたのが、最後の晩餐ランチョンマットです。イエスがテーブルの中心に座っており、ブッタもおり、イエスとブッタの弟子とともに横並びに席についています。
ウェーブのかかった黒髪でスーツを着ており、どこか影があるのがユダで、すでに満腹のようにもみえます。
以上、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』、ユダの裏切りについて解説してきました。しかしレオナルド・ダ・ヴィンチの仕掛けた意図の解明の余地は、いまだ残されていると言っていいでしょう。
多くの書物やフィクションなどで『最後の晩餐』が取り上げられてきましたが、さすがレオナルド・ダ・ヴィンチだけあって、簡単に語りつくすことができない奥の深い作品となっています。まさに美術史に残る傑作です。
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