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湯女とは?江戸時代に吉原を衰退させた!千と千尋の神隠しの裏設定?

湯女という言葉の意味を知っていますか?江戸時代には吉原より手軽に遊べるという理由から、吉原を衰退にまで追いやったサービスのこと。そして湯女が実は千と千尋の神隠しの裏テーマになっているとか!湯女とは何なのか?そして現代に存在しているのか?を紐解いてみましょう。

湯女とは?

湯女と言う言葉があります。今ではほとんど使われていない言葉です。使われているとしたら、特殊浴場などで使われているのではないでしょうか。湯女とは銭湯などで、垢すりをしたり髪すきをしたりする女性のことを言います。

今回はそんな湯女について、いろいろ調べてまとめてみたいと思います。

湯女の意味は?

江戸時代の初めには、温泉や銭湯などに来るお客さんの背中を流したり、髪をすいたりする女性がいました。それが湯女と言われる女性です。有馬温泉が起源であるともされています。

基本的な仕事は先に述べたように、背中を流したり、髪をすいたりや垢すりをしたりするのが主な仕事だったようです。

湯女のサービス内容

湯女の行うサービスは、最初は背中を流したり垢すりをしたりするのが主でした。しかしそのサービスが、飲食や夜遅くなると三味線などで小唄を提供するようになってきます。

三味線や小唄でお客を集めて、自分の人気を高めるためでした。自分の人気を高めるために、サービスがだんだんと過激になっていきます。過激になったサービスのせいで、自分の身体を売るという湯女も現れるのです。

湯女の歴史

江戸時代の銭湯には、三助という男性がいました。三助は、風呂焚きや下足番、または女湯・男湯などで背中を流したりしていたのです。それが江戸時代の中期には、有馬温泉などで女性がそのサービスを行うようになります。それが、湯女の始まりとなっているのです。

有馬温泉で始まった湯女のサービスが、銭湯へと取り入れられます。湯女を置くようになった銭湯は、繁盛するようになったのです。

湯女が吉原を衰退させた

銭湯などで湯女は垢すりや髪すきなどのサービスを行っていたのですが、銭湯のお客を増やすためにだんだんとサービスが過激になっていき、遊女商売をするようになったのです。その事で幕府は、風紀上問題視するようになるのです。

なぜならその頃の遊女商売は、吉原だけに許されていました。湯女によっての遊女商売は、吉原には営業妨害となったのです。一時期は、湯女を揃えている銭湯などにお客を取られ、吉原は衰退を余儀なくされたのでした。

幕府は湯女を抱える湯屋を取り締まった

吉原が一時期衰退したことで、幕府は銭湯などでの湯女のサービスを禁止します。数多くの湯女がいたのを、3人までと限定したのでした。湯女の人数を限定しても、歯止めにはなりませんでした。

幕府は歯止めを利かせるために、湯女を置いている個々の銭湯などに営業停止命令を出すのです。その数は、明暦の大火の時で200軒あったと言われています。

1703年の大地震をきっかけに下火になった

幕府の営業停止命令などを受けた、湯女を置いている銭湯。その湯女が下火になったのは、1703年に起きた元禄地震がきっかけとなったようです。

その元禄の大地震では、江戸市中の町屋などが倒壊の被害に遭いました。銭湯なども例外ではありません。その事によって、今まで盛んだった湯女が少なくなったのです。

トップ遊女の勝山(湯女)とは?

その頃吉原には、勝山という源氏名の遊女がいました。その勝山はもともと、神田四軒町雉町にある銭湯「丹前風呂」の湯女をしていたのです。湯女をしたいた頃の勝山は、派手な振る舞いをして人気があったのです。

髪は自分で考案した上品な、勝山髷(丸髷)にしたり、腰には木刀の大小を挿して縞の派手な綿入りを着ていました。その姿を若い女性達は、こぞって真似をしていたのです。

湯女の遊女商売を禁止していた幕府によって捕らえられ、吉原に送られた勝山。吉原での勝山は、最高の太夫にまで登り詰めます。その事によってますます人気が出て、勝山が考案した髷などは、武家の奥方までもが真似するようになったのです。

髷の他にも、ファッションリーダーとしての存在を発揮します。勝山草履や勝山丹前なども、若者の間で人気が広まったのです。

千と千尋の神隠しの裏テーマは湯女について?

スタジオジブリの「千と千尋の神隠し」は、日本歴代興行収入1位という記録を樹立しています。10歳の少女千尋が、神々の世界へと迷い込んでしまいます。魔女の湯婆婆によって、掟を破った両親は豚に変えられるのです。

その両親と人間界に戻るために千尋は、神々の世界で奮闘する物語です。それと、この作品の裏テーマが、湯女と言われているというのです。

千尋は湯女として働いていた

「千と千尋の神隠し」の裏テーマが、どうして湯女と言われているのでしょうか。千尋は魔女である湯婆婆の所に仕事を貰いに行きますが、最初は断られてしまいます。何度断られてもここで働きたいと言い続けろ、という仲間のアドバイスを信じて言い続けるのです。

何度目かに湯婆婆は、千という名前と仕事を千尋に与えました。その仕事は、温泉宿の風呂掃除や食事・入浴の世話をする接待業務だったのです。映画のシーンでは、入浴中にお客の背中を流す場面があり、湯女として千尋が働いていたと言うことが分かります。

江戸時代の風俗である湯屋を意識していることがわかる

千尋が働くことになった温泉宿は、油家と言う屋号の温泉宿です。油家の周りには、様々な飲食街や、ガード下を想像させる繁華街もあるのです。内装なども派手で、遊郭を思わせるような雰囲気もあります。

それは江戸時代の遊郭や、湯屋を想像させるものなのです。

客の神様がすべて男なのは

千と千尋の神隠しに出てくる、神様は全て男だと言うのは、湯女が裏テーマだと言うことではないでしょうか。湯女というのは、お客の背中を流したりしていました。そのサービス競争が激化したお陰で、遊女としての役割を果たすようになったのです。

浴場で背中を流している場面を見て、この映画の裏テーマが湯女という事が想像出来るのではないでしょうか。ですからここに出てくる神様が、全て男と言うことには納得がいくと思われます。

宮崎駿自身が雑誌で過去に設定の真意について語った

「千と千尋の神隠し」の裏テーマについては、宮崎駿も意味深な発言をしているようです。宮崎駿は「現在の世界を描こうと思えば、風俗産業を描くのが一番ふさわしいと思うんですよ。日本は全てが、風俗産業みたいになっていますからね」という発言をしています。

この宮崎駿の発言から考えても、裏テーマで湯女である可能性は高いのではないでしょうか。スマホなどが発達し、誰でもが男女の出会いが簡単にできる現在。その事が湯女を裏テーマにすることで、現在の日本への警鐘を鳴らしていると考えられると思います。

その後の湯女は?現在どうなっているか

江戸時代の湯屋で活躍していた湯女。サービス競争の激化によって、遊女としての役割を果たすようになります。その事により幕府の規制を受けたり、1703年の地震をきっかけにして衰退していったのです。

その湯女の存在は、現在ではどうなっているのでしょうか。少し調べて見たいと思います。

加賀山中温泉の「山乃湯」に湯女がいる?

現在では加賀山中温泉に、湯女と思われるサービスがあるようです。「山乃湯」だけに限らず、石川の加賀温泉では、その様なサービスをする女性がいるようです。

そのサービスというのは、ピンクコンパニオンと言うことのようです。コンパニオンは、宴会の席を盛り上げたりお酌をしてくれたりします。そのコンパニオンにピンクが付くのですから、お色気のあるサービスも受けられるようです。

しかも「山乃湯」では、お出迎えにバニーガールの格好をしてくれるそうです。男にとっては、天国かもしれませんね。

熱海の「ほのか」でも湯女のような人が?

熱海温泉「ほのか」にも、湯女を思わせるサービスがあるようです。このサービスもよく調べると、コンパニオンサービスのようでした。「ほのか」には、シースルーのコンパニオンがいる様です。

それから1次会、2次会とだんだんと過ぎていくと、シースルーのコンパニオンと貸し切り露天風呂というサービスがあるようなのです。その時に湯女として、背中を流してくれるサービスがあるのかもしれませんね。

神戸・福原ソープランド「湯女華」

日本の三大吉原と言われる、神戸の福原。そこには数多くのソープランドがあります。そこに「湯女華」というお店があるのです。

お店の名前を見ると、湯女を連想させてくれます。そこのサービス内容も、湯女のように背中を流したりしてくれるようです。以前はトルコ風呂と言っていましたが、トルコ大使館からの苦情で、「ソープランド」か「湯女風呂」かの二者択一になったのです。

結局は「ソープランド」で落ち着いたのですが、サービス内容は以前と変わっていないようです。もしかして、「湯女風呂」と名前がなっていたら、ソープ嬢を湯女嬢と呼んでいたのでしょうね。またこのようにいろいろな名前に変って、現在でも湯女が息づいていると思って良いですね。

湯女について触れた作品

「千と千尋の神隠し」の裏テーマが、湯女と言うことでしたが、その他にも湯女の事に触れている作品もあるようです。

ここからはその作品について、見ていきたいと思います。

土田麦僊「湯女図」

土田麦僊と言う日本画家がいます。新潟県生まれで、大正の初めから昭和期に活躍して日本画家です。その土田麦僊の代表作で、「湯女図」という絵が有るのです。屏風で2曲1層の作品となっています。

東京国立近代博物館所蔵となっています。

好色一代男の「ぼんのうの垢かき、兵庫風呂屋者の事」

井原西鶴の処女作「好色一代男」の中にも湯女が描かれています。好色で気ままな男の人生を描いた作品で、庶民男性の理想的な生き方を描いた作品となっています。

その作品の一節で「ぼんのうの垢かき、兵庫風呂屋者の事」で、湯女について描かれているのです。

井原西鶴「好色一代女」

「好色一代女」」は、井原西鶴の浮世絵草紙です。江戸時代に産まれた文芸形式の一つで、その内容には、好色物・武家物・町人物があります。

「好色一代女」は、公家の娘と産まれたある女性が、その美しさのせいで宮仕えとなります。そして恋に落ち、借金のために島原に売られるのです。そして遊女と落ちていく女の一生を描いた作品です。

その作品の中に、湯女として働く主人公が描かれているのです。

近松門左衛門「心中天網島」

「心中天網島」は、人形浄瑠璃として作られた作品です。最近では、数多くの映画化されている作品でもあります。大阪の天満が舞台で、小売紙商の紙屋治兵衛と曾根崎新地の妓婦小春との悲恋を描いています。

小春は遊女として紀伊國屋で働いていました。そこに客としてきた紙屋治兵衛と恋に落ち心中するのです。その物語の中で、小春は湯女として働いているところが描かれています。

湯女は現在でも生きていた

江戸時代に銭湯に来るお客さんに、背中などを流すサービスをしていた湯女。幕府の規制や大地震を機に、静かに廃れていったようです。

しかし文明の発達と共に、現代でも静かに息づいていると言うことが分かりました。それは風俗産業として、私たちのそばで息づいていたのです。ともすれば、それが暴力団の資金源になったりもしています。

江戸時代も現代も、性風俗という物は廃れないものなのですね。

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