木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
2019/02/23 更新
ラッパーUZIの祖父である許斐氏利。なんと日本にサウナを広めた人物でもありオリンピックに出場経験もある凄い人物だったのです。調査していくうちに他にも驚くべき経歴が続々と明らかになりました。孫のラッパーUZIの経歴を交えお金持ちエピソードを紹介していきます!
孫のラッパーUZIが2018年に乾燥大麻所持の罪で逮捕されてしまいましたが、UZIの祖父は凄い経歴を持つ驚きの人物でした。
許斐氏利は日本にスチームサウナを持ち込み広めたことで「サウナ王」としても有名であり、オリンピックにも出場経験のある多才な人物である事を知っている人は少ないのではないでしょうか?
許斐氏利が“昭和の怪物”と呼ばれた理由と共に、孫のラッパーUZIのお金持ちエピソードも一緒に紹介していきます!
許斐氏利がまだ日本に浸透していなかったサウナをどこで知り日本に広めたのでしょうか。
許斐氏利がビジネスの才覚を発揮し、巨大な富を築く事となった真相についても迫っていきましょう。
メルボルンのオリンピックでフィンランドの選手がスチームサウナを使用しているのを見てヒントを得て、許斐氏利が日本に広めたと言われています。
日本でもサウナの需要があると時代の先を読み、成功している事からビジネスマンとしての才能も一流であったようですね。
銀座松坂屋の裏にトルコ風呂の元祖となる「東京温泉」を開業しています。ソープランドのような風俗的なサービスはなく、女性がマッサージのサービスもするサウナであったようです。
東京温泉を開業する際に過去との決別した証として料亭の宴の中、出席者の前で左手薬指を切断しています。
よく許斐氏利がソープランドの創始者として間違われてしまう事もあるようですが、孫の許斐氏大(UZI)が否定していました。
特殊株主にもなり相当稼いでいたようです。ビジネスも成功させた許斐氏利のお金持ちエピソードとはどのような内容なのでしょうか?調べてみました。
許斐氏利は射撃の名手であり、ワシントン条約の締結前にアフリカで自らハントした動物のはく製を自宅の螺旋階段の間に飾っていたそうです。残念ながらキリンのはく製は自宅を建て壊した後になくなったそうです。
キリンの大きさを考えるとはく製にする金額も凄そうですが、輸送代だけでも相当高額だったのではないでしょうか。許斐氏利のスケールの大きさは桁違いですね!
孫の許斐氏大(UZI)は小学2年生までロールスロイスで通学し、UZIがおもちゃを欲しいと言うとすぐにそのおもちゃが届くような絵に描いたようなお坊ちゃま生活を送っていたようです。
自宅にも関わらず全自動卓麻雀卓が4台があり、若い衆?のような人たちが麻雀を打っていたとのエピソードも。
許斐氏利の息子(UZIの父親)も東京温泉を継いで社長となり順風満帆に見えましたが、そんなお金持ちの生活も続かず、バブル崩壊後は多額の財産を失い1000億円もの借金が残ってしまったそうです。
調査していくうちに、許斐氏利はオリンピックにも出場した経歴を持ちビジネスでも成功している多才な人物である事が分かりました。
そして先祖も武士として名を馳せていた凄い家柄の出身であるようです。それでは許斐氏利のプロフィールについて見ていきましょう。
名前 許斐 氏利(このみ うじとし)
生年月日 1912年12月16日-1980年3月5日(胃癌で亡くなっています。)
出身 福岡県萱堂町(現在・奈良屋町)
高校 東亜商業(東亜学園高等学校)卒業
大学 明治大学政経科入学(逮捕により退学処分となる)
退学後、日本大学英法科へ
許斐氏利は興行師、クレー射撃選手、右翼、特殊株主と様々な顔を持っていたようです。駐日米兵から日本人女性の強姦が多発すると博多に米軍専用のキャバレーやナイトクラブを作ったりするなど行動力の塊のような人物です。
そして由緒正しい家柄であり、福岡県宗像地方の武家「許斐氏」の末裔になります。許斐氏利は生まれた時から一般人とは違う生活を送っていたのでしょうね。
許斐氏利は幼少の時から柔道を習い1931年に柔道家になるため上京し講道館に入門しています。中学生で日本初となる柔道四段を授与されており、相当な腕前であったことがうかがえますね。
しかし素行不良で嘉納治五郎から五段への昇段を断られています。許斐氏利は実力はあった事から品行方正であれば有名な柔道家になっていたのではないでしょうか。
1933年1月23日には立憲政友会の衆議院議員の門田新松を襲撃し殺害しようとしますが、逃走し指名手配されています。
襲撃の指示をした辻嘉六が手をまわし起訴猶予となり事なきを得ますが、これにより講道館から破門を受けてしまい武道家の夢は断たれてしまいました。
1935年10月15日には吉田茂を襲おうとし検挙されていますがその後不起訴となりました。1936年に二・二六事件で北一輝や西田税のボディーガードをしています。学校で学んだ歴史の人物や事件に深く関与していたとは驚きですね!
許斐 氏利は身の危険を感じ中国大陸に渡った後、特務機関員となり許斐機関を組織するようになりました。この時にアヘンで相当稼いでいたようです。
驚くべき事に許斐氏利はオリンピックやアジア大会に選手として出場し活躍していました。やはり元々の運動神経が群を抜いていたのでしょう。
許斐氏利の選手としての活躍について迫っていきましょう。
特務機関時代に射撃の腕が磨かれたようで、1956年にクレー射撃選手としてメルボリンオリンピックに出場しました。
その後東京で開催されたアジア競技大会では優勝するなど輝かしい成績を収め、射撃の名手として地位を築いた許斐氏利は、日本クレー射撃会の第3会長に就任しています。
1945年6月に義兄弟の盃を交わしていた長勇を追って沖縄を目指し飛行しましたが失敗に終わってしまいます。
長勇は6月23日に自決。許斐氏利と長勇は死を共にする事を約束していたそうです。その約束が果たせなかったため、許斐氏利は自身の身代わりにと自分の左手薬指を切り落とし長勇の骨壺に入れました。時系列でみるとオリンピックでは左手小指は無かったと推測できます。
このエピソードから許斐氏利は情に厚い人物であった事がうかがえますね。
タイトルは「特務機関長許斐氏利―風淅瀝として流水寒し」著者は牧久というジャーナリストの方のようです。
確かに許斐氏利は映画の主人公の様な人生を歩んでいる事から、本が出ていてもおかしくない人物ですよね。読んだ方の口コミを見てみると、許斐氏利の人生を丁寧に綴られていると好評のようです。
人気ラッパーUZIはとても人気のあるラップミュージシャンです。許斐氏利と顔を見比べると似ているような気もしますね!
許斐氏大(UZI)はどのような人物なのか迫っていきましょう。
芸名 UZI(うぢ)
本名 許斐氏大(このみうじひろ)
生年月日 1974年1月29日 (45歳)
出身 東京都
職業 ラッパー、リングアナウンサーとしても活躍
学歴 慶應義塾幼稚舎入学し慶應義塾大学卒業(エスカレーター式)
小学生時代にビートたけしに指を指しひっぱたかれたなんて話もありました。許斐氏大(UZI)も幼少の時から話題に事かかない人生を歩んでいるようです。
許斐氏大と大人気となった漫画「テニスの王子様」の作者、許斐剛が親戚であった事が判明しました。確かに珍しい苗字な事から親戚であってもおかしくないですね。
2人とも親戚ではあるものの面識は無いようです。2人とも有名な事からお互いの話を親族から聞いていたのではないでしょうか。
2018年1月15日に大麻取締法違反の疑いで逮捕されました。容疑は自宅に乾燥大麻600gを所持しており、本人も「自分で使うために持っていた」と容疑を認め現行犯逮捕となっています。
通常600gは1人で使用するには多すぎる量ですね。他の人の分も預かっていたのではないかと憶測が飛び交いました。
東京地方裁判所の判決では懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役3年)の有罪判決が言い渡されています。人気ラップバトル番組「フリースタイルダンジョン」で毎週MCとして活躍していましたが、番組復帰は難しいようです。釈放後は共演者のラッパー輪入道のイベントやPVにも出演を果たしています。
許斐氏利を調査した結果、本が出版されるほど平凡とはかけ離れた豪快な人生を歩まれた人物である事が分かりました。
許斐氏利の孫、許斐氏大(このみうじひろ)さんも大麻で逮捕されてしまいましたが、更生後の活躍している姿を見たいですね!
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局