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2023/12/28
大今里
日本一知名度が高く敏腕音楽プロデューサーとしておニャン子クラブやAKB48など数々のアイドルを輩出してきた秋元康。
いつもはアイドルばかりにスッポトがあたりますが、今回は秋元康のプライベートに迫り、秋元康の嫁で元おニャン子の高井麻巳子さんや娘さんについてまとめてみました。
生年月日:1958年5月2日
出身地:東京都目黒区
学歴:中央大学文学部中退
ジャンル:歌謡曲、J-POP
職業:放送作家、音楽プロデューサー、作詞家、映画監督
秋元康は高校2年生の時に、ニッポン放送『せんだみつおの足かけ二日大進撃!』を聴いていた際に何気なく、せんだみつおを主人公とした『平家物語』のパロディをノート20枚にわたり書きました。
そして、そのノートをニッポン放送へ送ったところ、社員の亀渕昭信(のちに社長)らの目に留まり、大学に進学後は放送作家として活躍しました。
年収も高く端から見れば羨ましい職業ですが、秋元康は放送作家としての行く末に悩み、紹介をつてにアニメ曲の作詞を手掛けるようになりました。
秋元康がアーティストに初めて提供した作品は、Alfeeのシングルレコード「通り雨」(1981年10月21日発売)のB面「言葉にしたくない天気」で、これ以降作詞家としても本格的に活動し始めました。
秋元康は女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」の楽曲を手掛けメンバーを次々とソロデビューさせ、その際に全楽曲の作詞・プロデュースを担当しました。
おニャン子クラブは、1985年にフジテレビのテレビ番組『夕やけニャンニャン』から誕生した女性アイドルグループで、番組開始から番組内のアシスタントとして活躍、1985年7月5日に発表したデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」が大ヒットとなりました。
1987年8月31日の『夕やけニャンニャン』の番組終了に伴い、おニャン子クラブもわずか2年半の活動で解散となりました。この間メンバーの加入と脱退は頻繁に行われていて、グループ結成時は11人、解散時には19人が在籍していました。
グループ名義やソロ名義でシングル、アルバム、ビデオソフト、写真集を絶え間なくリリースし、1980年代にアイドル旋風を巻き起こしました。
コンサートやファンクラブも成功し、単なる番組企画の枠に留まらずフジテレビにおける収益事業の一つとなりました。
おニャン子クラブ在籍時に人気があり、卒業、解散後も芸能事務所に所属し活躍を続けているメンバーは多数います。
河合その子、高井麻巳子、岩井由紀子、新田恵利、福永恵規、国生さゆり、中島美春、渡辺美奈代、渡辺満里奈、工藤静香、生稲晃子、斉藤満喜子などなど名前を挙げればきりがないほど現在も芸能界に残って活躍しているメンバーは大勢います。
秋元康は2005年KRKプロデュース株式会社代表の窪田康志氏、株式会社office48代表の芝幸太郎氏、株式会社電通らと協力「秋葉原48プロジェクト」を発足し、東京・秋葉原で女性アイドルグループ「AKB48」を立ち上げ、総合プロデューサーに就任しました。
AKB48の名前の由来は、グルームのホームグラウンドである秋葉原に由来するという説と、プロデュースした三人の頭文字「A=秋元康、K=窪田康志,B=芝(しば)幸太郎」を取ったという説が有力です。
また秋元康は、グループをいつまでも古く感じさせないよう無機質なグループ名にしたかったと語っています。
実際、AKB48は誕生から13年経った今でも、他のアイドルグループを牽引し、全く古さを感じさせませんね。
言わずと知れたアイドルグループ「AKB48」ですが、今までのアイドルとは違い、東京都千代田区外神田にあるAKB48専用劇場にて毎日公演を行う「会いに行けるアイドル」として結成されました。
このコンセプトはファンがアイドルを身近に感じることができ、多くのファンに受け入れられ、2009年には、14thシングル「RIVER」で初のオリコンウィークリーチャート1位を獲得すると、その後発表する曲で次々と1位を獲得するようになりました。
「AKB48」は、歌詞にも特徴がありそれまでアイドルが歌っていた女性視点からの擬似恋愛的な歌詞は姿を消し、男性視点からの恋愛/青春賛歌的な歌詞や自己言及的な歌詞が主流となっています。
AKB48のメンバーに加入してからは、秋元康などの運営サイドがメンバーの人気をコントロールするのではなく、ファンによってAKB48のシングル表題曲を歌うメンバーを選ぶファン主体の人気投票制度を取っています。また、総選挙で1位になったメンバーはセンターポジションを取得できるしくみになっています。
さらに、偶然性や運を主体としてメンバーを選ぶじゃんけん大会制度など画期的な制度も採用しています。
秋元康は元おニャン子クラブのメンバーの高井麻巳子さんと1988年(昭和63年)5月23日に結婚しました。
名前:高井麻巳子(たかいまみこ)
現姓:秋元 麻巳子
生年月日:1966年12月28日
身長:158cm
出身地:福井県小浜市
高井麻巳子さんは、高等学校卒業後美術大学進学を目指すため予備校に通うために上京していたところ、原宿を歩いているときにスカウトされ、1985年おニャン子クラブ会員番号16番としておニャン子クラブにデビューしました。
同年10月、岩井由紀子(ゆうゆ)と2人で「うしろゆびさされ組」ユニットを結成しました。
高井麻巳子さんは、1986年6月には「シンデレラたちへの伝言」でソロデビューし、1987年4月にはおニャン子クラブを卒業しました。
しかし、高井麻巳子さんは1988年秋元康との結婚をきっかけに、突然芸能界を引退し、すぐにすぐに渡米、1年半ほどニューヨークに滞在し新生活を始めました。
引退前月まで高井麻巳子さんのCDは発売され、そこで彼女のファンクラブ結成が呼び掛けられおり、ファンにとって高井麻巳子さんの結婚・引退はまさに青天の霹靂でした。結局ファンクラブ結成から3週間後に結婚・引退と続きファンを大いにがっかりさせました。
高井麻巳子さんは、秋元康とは渡米半年ほど前から恋仲になっていて、以前からNYへ行くことが決まっていた秋元康氏に「一緒にNYに連れて行ってほしい」と逆プロポーズともとれる発言をし、バタバタと結婚が決まったのでした。
高井麻巳子さんは、みかけによらずかなり積極的で芯の強い女性のようですね。
現在も芸能界に復帰などはしておらず、秋元康の事務所の監査役として働き内助の功を発揮しているようです。
秋元康・高井麻巳子夫妻には2001年3月に生まれた女のお子さんが1人います。
結婚13年目にしてできたお子さんなので、うれしさもひとしおだったと思います。
秋元康・高井麻巳子夫妻の娘さんは秋元せりさんと言い、名門慶応義塾大学付属高校に通っています。この付属の学校には幼稚舎の頃から通っていたようです。
今後慶応大学に行くとなると、幼稚舎からの学費は総額で2000万円近くかかると言われているので、さすがセレブの娘さんという感じです。
現在高校生で、AKB48の研修生としてがんばっていてもおかしくない年頃の秋元康の娘さん。
しかし、芸能界デビューの噂は今のところ全くありません。
敏腕音楽プロデューサーとして忙しい日々を送る秋元康。
ファンを裏切る形で強引に人気絶頂のアイドルの高井麻巳子さんとの結婚はかなり苦労も多かったと思います。
しかし、愛する一人娘や影でしっかりと支えてくれる奥さんの存在が秋元康から数々生みだされる新しいアイディアなど活力の源になっているのは間違いなさそうです。
今後秋元康の動向とともに、娘さんの動向にも注目していきたいですね!
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