2015/10/09
シェフ
1974年生まれで現在40歳。
もともとはタレント・俳優。メロリンQはとても有名。
2011年の3・11以降は脱原発を主張し、政治家へ。その後の政治のニュースを賑わした。
参議院選挙で当選を果たした後も天皇への直訴状事件などで注目を集め続けている。
今回は、山本太郎の左翼的主張を特集します!常々賛否両論の嵐が吹き荒れていますが、その中に現れる日本の「今」は!?
その1・山本太郎の原点「反原発」
鋭く対立する原発政策。それぞれの立場が異なる問題を取り上げます。
その2・貧困問題
国内の貧困問題は調査の仕方に議論があるようです。
その3・労働関係(非正規雇用&労働時間)
ただいま、議論になっていますが、左翼の山本太郎は選挙の時から語っていた内容です。
その4・平和と安全保障
まさに、鋭く対立する目下の問題です!
その5・国家観&社会観
左翼政治家山本太郎の根幹となる主張を発見しましたので紹介します。もっとも、日本の岐路そのものかもしれません。
事故前は「放射性廃棄物」扱いだった「1キロあたり100ベクレル」を「食べて安全」と言う国を信用できますか?この数値に対し何故 現職の国会議員は声を上げないのでしょう?
地震活動期の日本で原発を続ける事は毎秒ロシアンルーレットをしているのと同じ。現在、殆どの地域で既に脱原発できています。アジア圏で調達可能な天然ガスを使った環境負荷の少ないガスコンバインドシステムと小規模水力を増やし安心できる電力供給を!
今、いちばん経済を支えて働いている世代からすれば、現実に再稼働は大きな要素で、きれい事は言えないということだろう。場合によっては事故は起こるかもしれないけれども、今の経済とのバランスを考えたときに、危険を覚悟のうえで選んだという感じがする。
NHK世論調査の分析コメントより。若者は現実主義に立脚する人が多いようだ。確かに、同世代の人間として「理想主義」では何の解決にもならないという考え方はこの世代のマジョリティだと思いました。
「私は福井県に住んでいますが、原発が停止して街の求人率は下がり、この街の経済に打撃を与えています。反対している方はこの様な事を考慮されて反対されているのでしょうか?」
地元では脱原発による経済的環境の激変に不安を感じている人も多いようです。
「医療関係へは絶対に電力を絶やしてはいけないし、節電させてもいけない。原発反対を叫んでいるのは、健康な人間ばかり。電気が命綱になっている人たちへの想像力が欠如している」
一度停電したとすると大変ですよね?
きれいごとを言う人たちを見ると『じゃあ、君たち電気のない生活をしろ。テレビも見ない、電車にも乗らない、夜はろうそくでも灯していれば?』と叫んでしまう
この文春の記事。山本太郎のような主張を批判するコメントを一気に見れますよ。
石油・ガス輸入代金がさらに3兆円もかさめば、最低で年間3兆円、乗数効果も勘案すれば、その2~3倍分も国内総生産(GDP)が縮む。日本の燃料需要増大に伴い原油などの価格が高騰すれば年間10兆円を超す経済的な損害を与え、その結果、多くの国民の自殺にすら直結している不況を著しく悪化させるだろう。
京都大学大学院教授・藤井聡の主張
規制値は、国際的に見ても非常に厳しいレベルです。一般食品中の放射性セシウムに関する基準は、米国では1kgあたり1,200ベクレル、EUでは1,250ベクレルという値が採用されており、それと比較すると、「100ベクレル」という今回の新規制値がいかに厳しい設定になっているかがわかります。
官邸の発表より。日本の安全基準は全般的に厳しいことの証明か?
なお、最近新聞等の報道で、一定量あたりの発電コストについて原発がなお10円程度と火力発電などの12円以上より安いという計算が政府から発表されたこともわかりました。
命を守って経済破綻、であればいつかやり直せる。
けど、汚染地から人々を出さずにいれば将来健康被害があった場合に健康に働ける人が少なくなる。
いずれ経済破綻が訪れて、その時にはもう手遅れ。
山本太郎の公式ブログより(2013年掲載分より)福島原発について
後から生じる弊害はあるのか?あるとしたらどれくらい?
この考えが反原発・再稼働反対の根本にあるようです。
福島第一原発の事故や今後再稼働によって生じる可能性のあるトラブルによって、「後々になってさらに多くの人々に影響が波及する恐れ」を主張しているようです。
これが100%嘘なのかそれとも違うのかは数十年後私たちの目の前に現れる「現実」として答えが出るでしょう。
個人的には気になる議論の行方~停電というリスクは?
さて、ここで「再稼働しないと停電するリスク」という論点や経済的リスクという焦点があります。
さらに、問われるのは以下の事実を「たまたま運が良かっただけ」とみるのか、それとも「データを見てもそれなりに余裕があったから必然だった」とみるのかということです。
皆さんはどうですか?
「2011年以降、原発が稼働しなかった年で電力不足で停電した実績は存在しない」
「年 20ミリシーベルト」ってどんな数値?
20ミリの四分の一、「年 5ミリシーベルト」は「放射線管理区域」と同等。
「放射線管理区域」って?
18歳未満立ち入り禁止。
専門の知識を持つ、放射線業務従事者しか入れない区域。
その中では飲み食い禁止。
腕まくりさえ禁止。
山本太郎公式ブログより(2013年掲載分より)
違う「事実」が登場!?
この前後に、ドイツへ取材に行っているようですが、その取材の如何が山本太郎による「政府基準危険説」の鍵を握るでしょう。
この点については、山本太郎は、チェルノブイリでの事実を挙げていますのでこの事実の評価も必要でしょう。
もっとも、政府の基準ですら「何年先の安全性まで保障しているのか」については気になります。当座の安全性でしょうか?恒久的な安全性でしょうか?
食品の基準は1000倍緩くなっても世界標準なのか?その標準の中身は?
なお、食品については基準値が2011年以前の1000倍緩くなった(事故前0.1ベクレル→100ベクレル)と主張されています。
しかし、EU等の基準と比べて緩いわけではないようですから、1000倍緩くなったから直ちに危険だという図式が成り立つかは怪しいものがあります。
ただ、日本からの食品の輸入を制限する国があることも事実です。その国の行為に根拠があるかどうかについても議論があります。
もっとも、放射性物質という特異性から検証には長期戦を強いられそうです。いずれの見解も現時点では「確率の高い(?)予想」でしょう。
山本太郎の公式ブログより(2013年掲載)
年間5ミリシーベルトという基準の客観性が焦点!
チェルノブイリでは、一部主張で「死者は少なく故郷を追われたことによる負担の方が大きかった」という主張もあるようです。この主張ではチェルノブイリの基準についてはその存在を認めていました。
もっとも、厳しい基準だったからその程度の被害で済んだ(といっても甚大な被害ですが)ともいえるでしょう。
今の日本の基準は年間20ミリシーベルトです。
もっとも5ミリシーベルトが大げさであってもその4倍が安全であるという証明にはなりませんが。
近年では年間2053人という記録もあるようです。1日あたり5.6人という計算になります。
生活保護を切り捨て、「貧困は自己責任」とするこの国を先進国と呼べるでしょうか?新たな財源を作るならば弱者へのシワ寄せでは無く、富裕層の皆様に協力して戴きましょう。
前回で見たように2053人という数字は、いくつかの項目を合わせた数字です。ところが、他の例を見るとこういう広範なカウントの仕方はしていません。
以前紹介していないものでは、下記の記事でもやはり年間数千人という算出方法は採用されていませんでした。・・・他のもっと多い項目を加えています
2053人が1日5人の根拠ですが、数え方が間違っているのではないかという指摘です。
富裕層の減税は、米国の経済成長とトリクルダウン(富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透する、と主張する経済思想)、そして社会の自由のために必要だと主張してきた。
アメリカで盛んな議論のひとつ「トリクルダウン」理論からすれば、山本太郎の主張するような政策は無駄で、むしろ日本人としては「自分のことは自分で責任をとる」というのを原則とすべきではないかという結論になりそうです。
見方は複数ある!?
厚生労働省の「人口動態統計」には、死因の分類がなされていて該当人数も記載されています。
餓死者は死因分類の「食糧の不足」のみをカウントするか、「栄養失調」系統の分類もカウントするかによってわかれてきます。
食糧不足のみだと50人前後になるというわけですね。
数字に拘泥するのではなくて、市民の「感覚」が問われている!?
「栄養失調」には高齢者の病気などによるものも含まれるので、計算に入れるべきかどうかという疑問があるようです。
しかし、どの程度含まれているのかは数字だけで判断することは困難だと言えるでしょう。どちらの数字も「うそ」とはいえなさそうです。
もっとも、外国より「マシ」なので、「たかが」2000人や50人と見るか、
されど2000人や50人と見るかは皆さんに委ねられています。
数字の違いよりは、皆さんの「感覚」こそ問われているような気がします。
ピケティの主張にあなたは意義を見出しますか?
トリクルダウン理論を否定して、経済成長ができるのか?という反論がありますが、貧困層の抱える問題の解決に本当に役立つのかという点を問題にした場合は、必ずしも都合がいいわけではないようです。
ただ、経済成長による国家の発展を考えれば不可欠だとして捉えれば、以下の引用はそれほど意味がないかも知れませんし、「間違った理論」かもしれませんね。
フランスの経済学者、トマ・ピケティやエマニュエル・サエズ、そしてイギリスのアンソニー・B・アトキンソン氏ら4名の経済学者が共同発表した論文によれば、米国では、高所得者の上位1%だけで総所得額の20%を稼ぎ出しているという。そしてこの割合は、1970年代から今までの間に、10%から20%と、ほぼ倍増した。論文は、この増加傾向が先進国の中でずば抜けて大きい点も指摘している。
アメリカの事例について。富裕層への減税をトリクルダウン理論に即して主張されていたのだが、この研究結果はその理論に疑問符をつけている。そして、所得再分配(富裕層への実質増税)をピケティは主張している様子。山本太郎の主張も当たっているのか?
KAROUSHI(過労死)は国際語です。月残業80時間が過労死ラインと呼ばれ、この国ではそれを超える労働が法で罰せられる事は有りません。平気で人間を使い潰す労働環境を許すわけには行きません。「過労死防止基本法」を一日も早く制定し、「生きる為に働く」当たり前の価値観を取り戻しましょう。
残業代がない方が社員は考える?
まず社員は残業代が出ないため長時間労働の意味がなくなる。だから「早く帰るためにどうしたら良いだろう」と考えるようになり、生産性が向上する。特に残業代目当てにダラダラ仕事をするケースがなくなる。長時間働かないため、社員もより健康的な生活ができるようになる。
家族との時間も増えて、家族も仕事をより応援するようになり、幸福度が増す。仕事の時間が減る分、趣味を持つようになったり、英語など自分への投資に時間をより避けるようになる。
残業自体を規制されていないので、「ここは頑張りたい」と思ったときには気兼ねなく(上司に許可をとったり面倒くさいことがなく)残業ができる。
残業代を支払わなくて良い分、会社も基本給を上げられる。
専門的な職業は少なくとも残業代を出さない方がいいのではないかという主張ですね。だから、山本太郎の左翼主張はおかしいと。
チャンスに恵まれ、才能溢れる人ばかりではない。
今、絶好調でも来月、来年はどうなってるかなんて判らない。
自分や誰かが弱ってる時、手を差し伸べてくれるセーフティーネットを使って、社会全体で支えましょうって事。
人間の能力・・・あなたはどのように捉えますか?
山本太郎はセーフティーネットの場面で述べていますが、ホワイトカラーでも「失敗」や「能力的限界」を迎える人がでることは想像に難くないでしょう。
要は、能力がよっぽどなければ、効率的な処理はできず結局残業時間が増えるのではないか?
ホワイトカラーエグゼンプションには以上の引用と同じようにやはり「反論」をしてきそうです。
日本でも実施されれば、答えはそう遠くないうちに出るでしょう。
ただ、人間の能力はそんなに低いものなのかはわかりませんが。
戦場や、危険な地域に足を踏み入れる羽目になるのは、名もなき市民。
傷付け殺されるのは、何の罪も無い人々だ。
あなたも、一緒に考えて欲しい。
日本国憲法が「平和憲法」と呼ばれるのは、9条の存在が大きい。
核兵器の開発も深刻さを増しています。我が国に近づいてくる国籍不明の航空機に対する自衛隊機の緊急発進、いわゆるスクランブルの回数は、10年前と比べて実に7倍に増えています。これが現実です。そして、私たちはこの厳しい現実から目を背けることはできません。
集団的自衛権に関する安倍首相の会見演説より(2015年5月14日)
日本が危険にさらされたときには、日米同盟は完全に機能する。そのことを世界に発信することによって、抑止力は更に高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていくと考えます。
ですから、戦争法案などといった無責任なレッテル貼りは全くの誤りであります。あくまで日本人の命と平和な暮らしを守るため、そのためにあらゆる事態を想定し、切れ目のない備えを行うのが今回の法案です。
同上
海外には秩序を乱すようなものもいるから、平和(=ひとまず戦争のない状態)のためには、実力部隊が必要であるというのがその根本的な認識ということになるでしょう。
まずは、「国家」そしてそこに住む「国民」を守る政策が必要だということになるでしょう。
病気には薬が必要。その考え自体は、当たり前と言えます。
それを否定するのであれば、「理想」の妄信かも知れませんし、「話せばわかる」も「理性」の妄信かもしれません。
私たちの命や平和な暮らしが明白な危険にさらされている。そして、その危機を排除するために他に適当な手段がない。なおかつ必要最小限の範囲を超えてはならない。
この3つの要件による厳格な歯止めを法律案の中にしっかりと定めました。
さらに、国会の承認が必要となることは言うまでもありません。極めて限定的に集団的自衛権を行使できる
安倍首相の会見より(2015年5月14日)
判断が常に正しいのか?
もっとも、「危険な状況」を想定し得たとしても、事例によってはいろいろと条件が変わりますから、一概に判断するのは難しいという指摘もあり得そうです。
左翼平和主義者の山本太郎氏も今の安全保障政策に反対する理由の一つとして考えているようです。
ただし、現実主義からの非難を交わせるかはわかりません。
イラク戦争が一番イメージし易い。
イラクに「大量破壊兵器がある」と、
米国は戦争に踏み込もうとしたが、国連は
1000回近くに及ぶ調査を行った。
調査結果は?
「大量破壊兵器は無い」だった。
けど、米国は戦争に突入。
イラク人を殺しまくった。
戦争が終わり、蓋を開けて見たらやっぱり「大量破壊兵器はなかった」
品があるのか疑わしい言葉が煽り口調で連呼されていますが、それをどうみるかはさておき、20:17~の一言に注目しましょう。
これが、山本太郎の「左翼思想」の根源といって差し支えないでしょう。
踏み込んでいえば、この一言に何ら価値を見いだせない人はやはり左翼思想には向いていないでしょう。左翼なんて「間違い」ということを確信するに違いありません。
逆に、何かの価値を見出したあなたは今の与党の政策に疑問抱くかも知れません。それは、今の主流やマジョリティと対立するかも知れませんが。
個人重視は西洋的か?非現実的か?
秩序ある社会の必要性やいろいろなリスクには国家が主導的役割を果たす必要性などから、改憲論・新しい国家論が議論されています。
また、山本太郎の左翼思想である「天賦人権論」が欧米から押しつけられたものであるとの考えもあり得るでしょう。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統とわれわれの国家を子孫に末永く継承するため、ここに、この憲法を制定する。
自民党の憲法改正草案(2012年版)より。
われわれは、「日本」という伝統と国家につながっていることが生きていく前提であるということを意味しているといえます。それはわれわれには「よりどころ」が必要不可欠だということも意味しています。
同上13条より
したがって、国家秩序ともいえる「公の秩序」は人権(西洋的概念ですがそのまま使用します)の譲歩を正当化するわけです。一定のルールや秩序の元に生活すべきだという道徳的観念にも一致を見るでしょう。
最新情報・TPPは憲法違反だと提訴
原発や生活保護(貧困問題)などで、「個人」の権利を起点に問題を提起してきた左翼主張連発の山本太郎。
もっとも、国家なくして自由はないという反論が有力です。
TPPにおける政策で、その内容が知らされないのは「知る権利」の侵害であり、政策の中身は「生存権侵害」として裁判所に訴えを起こしたそうです。ネタに事欠かないですね。
日本のあり方を示し、勢いに乗る?保守勢力!まずは国家から!
大阪の橋下徹(住民投票で敗北しましたが)などもそうですが、決められる政治そして強いリーダーシップのある人の登場でわいています。
安倍首相もそのように思います。これからの「日本」の形の一つの案が今まさに提示されようとしているようです。今後、日本的な「思想」を含んだ憲法をはじめどんな日本のあり方が示されるのか注目です。
それからすると、山本太郎は「反対」しか叫んでいないのかも知れません。
安全保障以外にも、現在犯罪者処罰を強化する法案なども審議されているようです。
私たちの「生きる」
私たちの、「生きる」ことを実現するには、国家が必要なのはいうまでもありません。これは、今の保守主義であろうが、左翼の山本太郎であろうが認めているはずのことだと思います。
だからこそ、双方議論の余地がありそうです。
そこで、個人的には2つの問題を提起して終えたいと思います。
①為政者の判断は「常に正しい」といえるのか?
もちろん、野党の人が言うことも間違っている場合があるのですが、それは与党にも同じ事が言えます。特に、難しい複雑な案件になれば、常に正しいとは言えません。
それがなお緊張感を持つのは「武器使用」にかかわる安全保障の問題です。
「話せばわかる」式が理性への妄信かも知れないという指摘をいたしましたが、「武器使用に関して常に適切な判断ができる」というのもまた判断力という理性への過信に繋がるでしょう。
その判断を常に検証し続けることが必要だと感じました。そして現行の「民主主義」の建前では活発な議論が必要でしょう。
②「ひとりひとりが日常生活を営む」ということ
さらに、「国家」が本当に私たちの生活を守っているのか考え続ける必要がありそうです。
40年前の公害問題などはまさに「政策が行われなかった」過去の典型例かもしれません。
国家の重要性を認めるに前提に立ったとしても、ある政策にどんなどういう人にどんな障害がでるのか?それを取り上げていくには山本太郎の「人間一人一人に存在価値がある」という主張、
つまり「一人一人の生活を重視しそれに密着して考えるべき」という指摘は実のところ、深い意義があるのかもしれません。
それは、単に左翼思想や保守に賛同するという意味ではなく、どのような政策でもを問題を発見し解決するのに必要なのではないかということです。
そういう点において、山本太郎の左翼・理想主義×保守・現実主義という対立枠組は実は存在しないのかも知れません。
※ネットで盛んに主張されているこの問題については、「山本太郎は中核派と結びついており危険だ!?説は嘘?ホント?」で詳しく取り上げますので、あわせてお読みください!今回は、主張自体をテーマにいたしましたので、別記事ということでご理解願います!
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