黒柳徹子「徹子の部屋」放送1万回を突破!ギネス認定!涙を浮かべ…
2015/10/08
obkana01_new
2018/02/25 更新
今年で81歳となる黒柳徹子さん。
この芸能界を生き延びたタフネスによって多彩な芸能活動をこなしてきました。
よって姉の黒柳徹子さんが大きく目立っていますが、実は弟の黒柳貴之さんがいます。
黒柳徹子さんの弟と思われる黒柳貴之さんは過去に覚せい剤の使用で逮捕されました。
現在の動向などを詳しくリサーチ。
黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ)
愛称:トットちゃん、チャック
生年月日:1933年8月9日
出身地: 東京府東京市赤坂区乃木坂(現・東京都港区乃木坂)
血液型:A型
事務所:吉田名保美事務所
活動内容:女優、タレント、声優、司会者、エッセイスト、ユニセフ親善大使、平和運動家
黒柳徹子・「徹子の部屋」
黒柳徹子さんといえば、黒柳徹子さん自体が司会を務め、その日ごとの対象人物と
対談をする形式の番組「徹子の部屋」でとても有名ですね。
黒柳徹子・「徹子の部屋」
ちなみに「徹子の部屋」のパロディネタも多数あるようで、ネタの範囲は仮想世界まで広がっている様子です。
黒柳徹子さん
そんな黒柳徹子さんも、現在は年齢80代!お元気なので、年齢よりも若く見えますよね!!
年齢80代の黒柳徹子さんは、リアルタイムで戦争を経験した一人。
そのときの殺伐とした日本の様子を描くエッセイがベストセラーとなっており、
テレビで見せる姿とはまた違ったキャリアの側面を持ちます。
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黒柳徹子・家族構成
黒柳徹子さんの気になる家族についてですが、実は、黒柳徹子さんの情報以外は、あまりはっきりわかってないことが多いんだそうです。本人もあまり家族のことには言及しないそうなので、なおのこと不透明な部分が大きいんですね。
ただし、はっきりわかっている家族の情報もあるので、まずは、それらを紹介していきたいと思います!
父は音楽家で、NHK交響楽団のコンサートマスターも務めたヴァイオリニストの黒柳守綱(旧姓田口)、母は声楽家でエッセイストの黒柳朝(旧姓門山)。弟はヴァイオリニストの黒柳紀明、妹はバレリーナでエッセイストの黒柳眞理、伯父には日本ニュースのニューヨーク支社長やアメリカ・メトロニュースの極東代表を務めた田口修治がいる。
NHKに入局したのは父親の影響もあってのものでしょうか。
また、エッセイストや声優としてのキャリアは母親ゆずりだったのですね。
キャリアの長さもさることながら、もともと多才であったことが分かります。
さて、お気づきになられたかもしれませんが、黒柳徹子さんの実の弟は
「黒柳紀明」さんとなっていますね。
しかし、黒柳徹子さんの実の弟として逮捕されたのは「黒柳貴之」さん。
弟が二人いたのでしょうか、それとも黒柳貴之さんは架空の弟だったのでしょうか。
得意のヴァイオリンを演奏する黒柳紀明さん
黒柳紀明さんとともにコンサートへ出席する黒柳徹子さん
黒柳紀明さんはヴァイオリニストとして、写真のようなコンサートに出演しています。
また、この舞台についての詳しい情報はなかったものの、同じ舞台に黒柳徹子さんもが
同席しています。
やはり黒柳徹子さんと黒柳紀明さんは実姉と実弟の関係にあることは確実のようです。
黒柳 朝(くろやなぎ ちょう)
1910年9月6日 - 2006年8月16日
愛称:チョッちゃん
出身地:北海道
最終学歴:東洋音楽学校声楽科
代表作:『チョッちゃんが行くわよ』(1982年)、『チョッちゃん物語』(1993年)
黒柳徹子の母である黒柳朝さんは、もともと音楽学校の出身です。音楽の演奏会で、ヴァイオリニストである黒柳守綱さんと知り合い、結婚し、子どもを出産されました。
その後、子育てなどについて書いた自伝エッセイを出版し、執筆活動を開始。著作は、ベストセラーとなり、ドラマ化・アニメ映画化も果たしました。
黒柳 眞理(くろやなぎ まり)
生年月日:1944年4月19日
出身地:東京都
元夫:元プロ野球選手の井石礼司
現住所:北海道札幌市
職業:元バレリーナ、エッセイスト、美容家
幼少時からバレエを始め、チャイコフスキー記念東京バレエ学校に入学。
その後、ボリショイ・レニングラードバレエ団に入団し、プロバレリーナになります。
19歳の時、足首を捻挫し、退団。
20歳で、結婚し二人の子を出産するも、39歳で離婚。
その後、美容学校に入学し美容師免許を取得し、美容家に転身。加えて、北海道のテレビ番組でコメンテーターとして出演している。
先ほどの文献や画像などの情報から、実弟としては黒柳紀明さんがいることが
確実となりました。
では、その文献にも画像にも載っておらず、とあるメディアで「弟」として報じられた
謎の人物「黒柳貴之」さんについて情報を入手することにしていきます。
ソースとしてはまったく正式な文献ではないのであくまでも噂程度ですが、
後に紹介するとある「事件」と合わせて調べるとまったくの噂とも思えません。
また、下記の文献が2010年に投稿された内容であることも注目です。
黒柳徹子さんのリアルタイムを追った情報ならば、もっと昔の情報のほうが
確実性があるものの、そうしたソースもなく、非常にもどかしく思わせるお話です。
1926年に設立したアメリカの航空会社「ユナイテッド航空」
後に紹介する黒柳徹子さんの「弟」の事件はなんと違法ドラッグ所持によるもの。
また、後の文献の通り、逮捕されたのは98年のこと。
もし上記文献の通り逮捕されたのが40代だとしたら生年はおよそ1950年代。
つまり2015年現在は59~65歳ほどですね。
黒柳 紀明(くろやなぎ のりあき、1940年 - )は日本のヴァイオリン奏者。ヴァイオリニストの小林武史に師事し、ヴィオラも演奏する。東京都出身。黒柳守綱、黒柳朝夫妻の次男で、姉妹に黒柳徹子、黒柳眞理らがいる。
この文献によると、実際の弟である黒柳紀明さんはおよそ75歳。
黒柳徹子さんとは6歳ほど離れた兄弟ということになりますね。
年齢は不詳なものの、もしこの噂が正しければ、「弟」貴之さんと「実弟」紀明さんはさらに
10~15歳離れた兄弟ということになります。
そして「姉」の可能性がある黒柳徹子さんとは仮に65歳だったとしても16歳も離れています。
そして、下の文献は上の文献に対してレスをつけた投稿文です。
その弟は実は黒柳徹子の子供だと噂されてたよな。
黒柳がアメリカに一時滞在してた時でできた子供と言われてた。
黒柳徹子の母親の未亡人であった「ちょっちゃん」が60近くで産んだ計算になり
どう考えても辻褄が合わないとか言われてた。
週間文春か新潮のどちらかに、徹子さんの隠し子疑惑が記事にされたことがあった。
確か、同居するのは弟でなく実子ではないか…と、書かれていたと思うけれど、
真意のほどはわからない。
黒柳徹子さんが当時異例の「アメリカ留学」をしたときは年齢的には38~39歳ほど。
文献の通り「ちょっちゃん」が60近くで産む、といったことよりもずっと現実的な考え方です。
これが本当ならば、黒柳徹子さんの弟は文献の通り黒柳紀明のみであり、
黒柳貴之さんは「弟」ではなく実子となってしまいます。
また、そのソースが週刊文春や新潮文庫といった、有名人の影の噂をまとめるような
会社であることもあり、実在するのかどうかもかなり怪しくなってしまいます。
しかし、やはり98年、黒柳徹子さんの「弟」として黒柳貴之さんが逮捕される事件は
実在しているので、「弟」の真偽はわからないものの、「黒柳貴之」と呼ばれる人物がいるのは
間違いないようです。
黒柳徹子の実弟(黒柳貴之・たかし)が1998年1月24日の午後11時過ぎ、JR錦糸町駅近くで、路上駐車していた際に挙動不審で警視庁自動車警ら隊に職務質問され、車内を調べたところ、紙に包んだ覚せい剤を発見。同容疑者から覚せい剤使用の陽性反応が出て、本人も使用を認めたことから現行犯逮捕。
ユナイテッド航空とは別の本拠地を置くノースウエスト航空
ここでやはり、黒柳貴之さんの「弟」説は完全に矛盾した、事実無根のことだったことがわかります。
さて、黒柳貴之さんについての情報の紹介からここに至るまで、
あきらかな矛盾点は全部で3点あります。
①:「現行犯逮捕された日付の違い」
ある文献では、逮捕日は24日、別の文献で26日となっています。
②:「黒柳貴之さんが本当に黒柳徹子さんの弟だったら、次男のはずだが・・・」
黒柳徹子さんの父の息子は紀明さんしか正式に登録されていません。
また、仮に弟として貴之さんがいたとしても次男にあたるはず。
「三男」という記述は間違っているのか、さらに別の兄弟がいるかですが、
後者はかなり曖昧で、考え難いことです。
③:逮捕されたときの勤務先の違い
ある文献では逮捕時ユナイテッド航空の社員だったと噂されていましたが、
別の文献では逮捕時ノースウエスト航空の社員と書かれています。
二つの航空会社はともにアメリカの航空会社であるという共通点があるものの、
本拠地を置く地域が全く異なります。
やはり、「黒柳貴之」なる人物は少なくとも黒柳徹子さんの弟ではないのではないでしょうか。
さて、これまでの内容から実際の弟が紀明さんであること、
貴之さんは弟ではない可能性がかなり高いことがわかりました。
次は実の弟である黒柳紀明さんについての情報をまとめます。
実際に弟だとわかっているのはこちらの黒柳紀明さん
黒柳 紀明(くろやなぎ のりあき、1940年 - )は日本のヴァイオリン奏者。ヴァイオリニストの小林武史に師事し、ヴィオラも演奏する。東京都出身。黒柳守綱、黒柳朝夫妻の次男で、姉妹に黒柳徹子、黒柳眞理らがいる。
やはり弟に関する記述はありませんね。
桐朋女子高等学校音楽科卒、桐朋学園芸術短期大学中退。1962年、読売日本交響楽団に入団。1964年、ベルリン芸術大学留学。ケルン、ロッテルダムを経て、1971年にNHK交響楽団入団。2000年に退団した後、宇宿允人率いるフロイデフィルハーモニーで第二ヴァイオリンのトップを務めている。2006年10月に東京芸術劇場で開催される第165回「宇宿允人の世界」ではヴィオラで出演した。
黒柳徹子さんとの共通の父親もNHK交響楽団に入団しています。
黒柳徹子さんもNHKのテレビ女優ですから、かなりのエリート家系ですね。
逮捕事件から噂となった「黒柳貴之」の弟説でしたが、こうした曖昧な噂が飛び交う事情については
やはり噂の渦中にある人物から直接話を聞くのが一番確実性のあるソースとなります。
しかし、残念ながらこれだけ長い間メディアに露出し続けている黒柳徹子さんですが、
弟説が噂された「黒柳貴之」に関する言及として、記録に残った情報は全くありません。
長々と推理しましたが、やはり「黒柳貴之」説は”偽”と考えてよいでしょう。
黒柳徹子・年齢・若い頃
黒柳徹子さんの家族や、弟の逮捕について見てきました。
ここからは、黒柳徹子さんの若い頃のエピソードについても、見ていきたいと思います。
現在、年齢が80代の黒柳徹子さん。
黒柳徹子さんが若い頃は、まだ日本が戦争を行っていた大変な時代でした。
そんな激動の時代を生き抜いてきた黒柳徹子さんですが、その他にも、いろんな経験をされているんだそうです。
それでは、黒柳徹子さんの年齢ごとに、エピソードを見ていきましょう!
黒柳徹子・年齢0歳
黒柳徹子さんの生まれは東京都。男の子が生まれると思っていた両親は、名前を「徹」にしようと思っていたんだそう。
ところが生まれたのは女の子!そこで、用意していた「徹」の名前に、急遽「子」を付けて、「徹子」という名前になったんだそうです。
黒柳徹子・年齢5~6歳頃
黒柳徹子さんは、小学校にあがると、なかなか学校になじめず、問題児になってしまったんだそう。現在では。おそらく発達障害だったんだろうと言われていますが、当時は発達障害という概念がまだなかった時代。黒柳徹子さんは、どうしようもない問題児と言われ、ついに小学校を退学させられてしまいました。
黒柳徹子・年齢5~6歳頃
それでは、具体的に黒柳徹子さんの幼少期にはどのような問題があったのでしょうか。
例えば、絵を描くときなど、画用紙の中に収まるように絵を描けず、画用紙からはみ出して描いていたんだそうです。
やんちゃで可愛いエピソードにも聞こえますが、部屋を汚されて、先生たちは大変だったんでしょうね……!
黒柳徹子・年齢5~6歳頃
黒柳徹子さんの多動っぷりは他のところにも表れていました。当時、蓋つきの筆箱を使っていた黒柳徹子さんは、鉛筆を取り出したり、消しゴムを取り出したりするたびに、蓋を開け閉めしていたんだそう。落ち着きがなかったんですね……!
黒柳徹子・年齢5~6歳頃
さらに、黒柳徹子さんは授業中に鳥に話しかけてしまい、授業に集中できないこともあったそうです。
鳥とお話しするなんて、可愛らしい子供のエピソードという感じがしますが、やはり授業を円滑に進めたい先生からしたら、困った子だったでしょうね…。
黒柳徹子・年齢5~6歳頃
黒柳徹子さんは、字を読んだり、計算をすることも苦手で、授業にもなかなかついていけなかったんだそう。おそらく、発達障害の一種、識字障害や学習障害を持っていたのではないかと言われています。
また、発達障害の特徴の一つ、「先生の注意の意図をよく理解できない」という特徴も持ち合わせており、先生とのコミュニケーションも上手く取れなかったみたいです。
黒柳徹子・年齢5~6歳頃
数々の問題行動によって、公立の小学校では退学を命じられた黒柳徹子さん。トモエ学園という学校に入学し直します。
そこで、ようやく黒柳徹子さんの個性を理解してくれる人に出会います!
トモエ学園の校長先生は、黒柳徹子さんの変わり者っぷりを受け入れ、温かく接しました。
それまで、周囲から冷たい目で見られてしまうことの多かった黒柳徹子さんですが、ようやく自分を受け入れてくれる環境に出会います。
黒柳徹子・年齢11歳頃
やがて、日本は戦争に突入。黒柳徹子は、青森の疎開しました。
このとき、黒柳徹子さんはまだ11歳だったんだそうです。
黒柳徹子・年齢20歳頃
その後、オペラ歌手を目指して音楽学校に入学するも、オペラの道は厳しいと断念。
そこで、NHKに入局して女優のお仕事を開始します。
これがちょうど、19歳~20歳のときでした。
黒柳徹子・年齢20歳頃
写真を見ればお分かりいただけると思いますが、若い頃の黒柳徹子さんは、超美人!!
女優さんになれるのも頷ける、綺麗さですね。
黒柳徹子・年齢20代前半
女優になり、順調に仕事ができているかと思いきや、最初はそうではなかった模様。
やはり、発達障害などの強い個性がありますから、それが邪魔して、うまく仕事ができずにいたんだそうです。
黒柳徹子・年齢20代前半
しかし劇作家の飯沢匡と出会い、転機が訪れます!
飯沢匡さんは、黒柳徹子さんの個性を評価して、芸能活動をバックアップしてくれたんだとか。
黒柳徹子・年齢25歳頃
晴れて才能を開花させることができた黒柳徹子さんは、25歳のときに紅白歌合戦の司会者に抜擢されます。当時、25歳で司会者を務めることは異例で、その後松たか子さんが19歳で司会をするまで、紅白歌合戦の司会者の最年少記録を保持し続けていました。
こうして、芸能界で大活躍する、今の黒柳徹子さんが誕生したのでした!!
黒柳徹子さん
さてさて、黒柳徹子さんの家族構成や、弟の逮捕、幼少期のエピソードなどを紹介してきました!
年齢80代になった今でも元気に活躍されている黒柳徹子さん。
今後の活躍にも期待ですね。
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