明石家さんまに弟?明石家さんまについていろいろご紹介します!
2016/08/19
roe0528
名前 :明石家 さんま(あかしや さんま)
本名 :杉本 高文(すぎもと たかふみ)
生年月日 :1955年7月1日
出身地 :奈良県奈良市
身長 :173㎝
現在は「ホンマでっか!」でメイン司会を務めている。
「オレたちひょうきん族」「恋のから騒ぎ」
などを代表作に持つ方。
現在は「踊る!さんま御殿!!」「さんまのまんま」
「ホンマでっか!?TV」などで活躍中。
明石家さんまさんはいつもは元気を振りまいていますが、自身の生い立ちは複雑であり、実母はさんまさんが3歳の時に病死しています。そして、(さんま兄が)小学校高学年の時に父が再婚、さんまには年の離れた弟(故人)ができた。
さんま「中学生くらいの頃は娯楽といえぱ、三枝(文枝)のラジオ『ヤングタウン』でね。
二段ベッドでいつも二人で聞いてたんです。
新しい母には遠慮もしたし、やっぱり反発もあった。
その母が昔、隣の部屋で酒を飲みながら、
『うちの子はこの子(弟)だけや……』って言うのが壁伝いに聞こえてきたんですよ。
二人でよう二段ベッドで泣きましたわ…。
さんまはそれでも継母と仲良くしてもらおう、反応してもらおうと毎日毎日必死で面白いことを考える。
そのウチ学校でもそのノリで暮らすようになって一躍人気者、お笑いの道へ…。
さんまの弟(当時19歳)は火事が原因で亡くなっている。
弟は実家の火災で亡くなった。当時弟は高校生。さんまは冠番組を持つほど人気があった。
さんま「ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。
自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけだせるやつでしたね。ぼくもサッカーやったけど、チビのほうがすごいんですよ。
サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしねえ……。
去年の10月、大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。
キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに……。
まだ納得できません、あのチビが死んだなんて……」
明石家さんまさんが27歳(1982年頃)当時、
弟が亡くなったという事で週刊誌が追ったところ、
「家業を継ぐのが嫌だった弟19歳・
正登さんが焼身自◯したという記事が出た様子。
ここまでテレビ出れると思ってないからね。俺も鶴瓶兄さんも。もちろん紳助も、たけしさんも所さんも、誰もこの年代までテレビ出続けてるなんて誰も思ってなかったはず。だからたけしさんがよく「オレたちよぉ、3回くらい宝くじ当たったようなもんだよな」って、よう言わはる。
吉本の(同世代の)若手の中で勝てるやろうって(入った)。まあ、学校の先生が薦めはったから。「吉本行け」って勝手に進路決められたんやけど(笑)。高校時代が一番おもしろかったんですよ。多分頂点やったと思うわ。
元妻 大竹しのぶの連れ子に気を使うさんま
継母の件があったから、さんまは元妻大竹しのぶの連れ子ニチカをすごく可愛がっている。
子供らに自分のことをボスと呼ばせてるのもニチカに対する気遣いらしい。
家に帰ってくるとイマルより先にニチカに触っていた。
成長したニチカは慶應に進学。学生時代の友人と起業。
あのね、独りでがんばれるのは簡単やな。結婚して、嫁さんがいて、子どもがいて、浮気もせずちゃんとすごし、家庭も幸せにして、テレビも面白い人が最上級やろうな。俺は無理やった。育児とかになると疲れるし、その疲れが出てしまったりするのが。
大竹しのぶの話をよくするのは生立ちの話をしないためのバリアみたいなもの。
プライベート話をしてるようでしていないと付き合いの長い浅田美代子が発言していた。
継母に好かれることで
一生懸命だった明石家さんまは
お笑い芸人になることに。
弟さんが亡くなったことは
とてもショックだったと思います。
ご冥福をお祈りします。
現在の家族との関係や
多くの方への影響を与え
語り継がれるべきエピソードですね。
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