記事ID16364のサムネイル画像

【寅さん】渥美清が他界!死因は病気ではない?謎多き私生活も!

フウテンの寅さんこと渥美清さんが病気で他界した後に、その亡くなられた死因が病気によるものではなかったのでは?という説が浮上。病気がちだった渥美清さんの生涯と病気、死因についてをもう一度調べてみました。渥美清さんの死因は一体何だったのでしょうか。

【この記事は2020/04/02に更新されました】

「寅さん」が帰ってきた!

1969年8月27日に第1作「男はつらいよ」が封切られてから、今年で50年を迎える本シリーズ。故・渥美清さん演じる、日本中を旅する主人公・車寅次郎(通称:寅さん)が、故郷である東京・柴又に戻ってきては、家族や恋に落ちたマドンナを巻きこみ騒動を起こすさまをあたたかく描いています。

2019年12月に公開されたシリーズ50作目となる「男はつらいよ お帰り 寅さん」は、寅さんの甥・満男と、満男がかつて思いを寄せたイズミを軸に物語が展開します。メガホンをとった山田洋次監督は、長きにわたるシリーズの歴史がつまった新作に、「今まで見たことのない作品が出来た」と自信をにじませています。

 

渥美清と言えば寅さん

渥美清さんプロフィール

渥美 清(あつみ きよし)

本名:田所 康雄(たどころ やすお)
別名義:風天(俳号)
生年月日: 1928年3月10日
没年月日: 1996年8月4日(満68歳没)
出生地:東京府東京市下谷区(現:東京都台東区)
身長:173 cm
血液型:B型

渥美清さんの生い立ちは?

1928年(昭和3年)3月10日に、東京府東京市下谷区車坂町(現・東京都台東区上野七丁目)で地方新聞の新聞記者をしていた父友次郎と、元小学校教諭で内職の封筒貼りをする母タツとの間に次男として生まれる。

出典:https://ja.wikipedia.org

渥美清さんの生い立ちはあまり知りませんでしたが・・父は新聞記者で母は元先生だったんですね。

渥美清さんの幼少時代って?

小学生時代はいわゆる欠食児童であったという。加えて、病弱で小児腎臓炎、小児関節炎、膀胱カタル等の様々な病を患っていた。その為学校は欠席がちで、3年次と4年次では長期病欠であった。欠席中は、日がな一日ラジオに耳を傾け徳川夢声や落語を聴いて過ごし、覚えた落語を学校で披露すると大変な評判だったという。

出典:https://ja.wikipedia.org

渥美清さんは小さい頃から病弱だったという話はチラホラ聞こえてきていましたが・・・本当に病弱で学校に行けてない時期もあったようですね。 

渥美清さんの青年時代は?

第二次世界大戦中の1942年に巣鴨中学校に入学するが、学徒動員で板橋の軍需工場へ駆り出される。1945年に同校を卒業するも、3月10日の東京大空襲で自宅が被災し焼け出される。卒業後は工員として働きながら、一時期、担ぎ屋やテキ屋の手伝いもしていた(親友の谷幹一に、かつて自分は桝屋一家[注釈 2]に身を寄せていた、と語ったことがある)。この幼少期に培った知識が後の「男はつらいよ」シリーズの寅次郎のスタイルを産むきっかけになったといえる。

出典:https://ja.wikipedia.org

渥美清さんが、小学生~中学生の頃、日本は戦争の只中でした。自宅が被災するなど、大変な時代を生き抜きながらも、一生懸命働いていたんですね。そして、この時の経験が、後の「男はつらいよ」で演じる寅さんの元となっていたようです。

渥美清さん、俳優デビューまでの道のり

1946年には新派の軽演劇の幕引きになり、大宮市日活館「阿部定一代記」でのチョイ役で舞台初出演。

出典:https://ja.wikipedia.org

1951年、東京浅草六区のストリップ劇場「百万弗劇場」(建物疎開した観音劇場の跡)の専属コメディアンとなる。2年後の1953年には、フランス座へ移籍。

出典:https://ja.wikipedia.org

1956年にテレビデビュー、1958年に『おトラさん大繁盛』で映画にデビュー。

出典:https://ja.wikipedia.org

1946年に舞台への初出演を果たした後は、様々な劇団を経て、テレビデビューを果たしたんですね!

ちなみに、一番最初に使っていた芸名は「渥美悦郎」という名前だったんだそうです。それがなぜ、「渥美清」に変わったのかと言えば、当時出演していた舞台の座長さんが原因だと言われているんです。なんでも、座長さんが観客に向けて役者紹介をするところで、なんと渥美さんの下の芸名である「悦郎」を忘れてしまい、とっさに「清」と言ってしまったんだとか。でも、その間違えた名前をそのまま使うことしたからこそ、「渥美清」が誕生したという訳ですね。

ちなみに、「渥美」は愛知県にある渥美半島から取った名前だと言われています。

渥美清さんの人柄とは?

実は「俳優=渥美清」もまた演じられたキャラクターのひとつだったことは意外に知られていないかもしれません。「渥美清」を演じていたのは、東京、上野生まれの病弱で真面目なお笑い芸人、田所康雄という人物です。

出典:http://laughy.jp

渥美清という俳優を演じていたという渥美清さん。
だから、プライベートと仕事はキッチリと分けていたようです。

妻は熱心なカトリック信徒で、渥美自身も、亡くなる直前に病床でカトリックの洗礼を受けていた事が明らかになっている。

出典:https://ja.wikipedia.org

渥美清さんの奥さんがカトリック信徒だったんですね^^ 最期には渥美清さんも洗礼を受けたようで・・・。渥美清さんの亡くなられた死因はガンと思っていたのですが・・。亡くなられた今、死因について色々な噂が。

渥美清が患った病気とは? 死因はその病気の悪化のため?

今の日本ではガンで亡くなる方が4人に1人はいるのですから、ガンによる死亡はそれほど不思議なことではありません。しかし、問題は渥美さんが、肺ガンの手術後4日で亡くなっていることです。

出典:http://laughy.jp

渥美清さんの死因について色々な憶測が飛んでいるようですが・・その理由は、肺がんの手術をしてまもなく亡くなってしまっているということが死因は肺がんによるものではないと言われています。

手術をしなくてはいけない原因は肺がんですが、それが直接の死因ではないというのですから、何ともわからないものですね。 肺がんが死因ではないというのなら・・手術が死因?!

手術が死因となってしまうと、手術の時のミスなどが想像できますが・・・。手術による死因は何もミスによるものでもないようです。今回の渥美清さんの死因も手術によるものと言われていますが、医師のミスによるものという見解はないみたい。病気や治療、死因などはわからないものですね。

医学の実態を知らない人たちにとっては、手術というとそれが生命を繋ぐ最後の手段として絶対視されがちです。
しかし、必ずしもそうとばかりは言い切れないものがあることを知らなければなりません。

出典:http://laughy.jp

病気になった時に、手術をすれば治るという感覚は素人の感覚なのでしょうか。手術をすることによって逆効果となるケースも絶対にないとは言い切れないようですね。渥美清さんもその可能性が高そうです。でも、少しでも生きるために行ったであろう手術が、死期を早めてしまったかもしれない・・死因の原因となってしまったかもしれないとなると複雑ですね。

渥美清の死因は手術によるものという説?!

手術できるだけの体力のある人が、手術直後に死んでしまったのは、いわゆる手遅れという状態ではなく、直接的な死因は手術そのものにあったと見るべきなのです。しかし、それが手術ミスかというと、そうは言えないでしょう。

出典:http://laughy.jp

渥美清さんの亡くなった原因が肺がんではなく、死因は肺がんの治療のために行われた手術によるもの・・という見解を示している医師がいるようです。渥美清さんの死因は手術によるものとしていても、それは手術ミスというのではないというのですから・・・良くわかりません。人の命ってわからないですね。

永遠に不滅の渥美清さんはいつも病気との戦いだった・・死因となったのは。

渥美清さんは、結核を患い片方の肺を無くしていた

1954年5月春日部にあった朝倉病院に入院した彼は、片方の肺を失い、死の危機をさまよいます。当時、結核という病は限りなく死に近い病いだっただけに、彼はそこで一度は自らの死を覚悟したようです。

出典:http://laughy.jp

肺がんになるだいぶ前に渥美清さんは、片方の肺を無くしていたんですね。それも病気で・・・。
結核を発病したというのですから、その当時は死を覚悟したというのも納得です。
様々な病気を超えてのガンの発症。 しかし、死因はガンが直接的な理由ではないという憶測が。。本当の死因はどこにあるのでしょうか。

元々、片方の肺がない彼にとって、寅さんを演じるだけがせいいっぱいとなるにつれ、新たなキャラクターへの挑戦は、精神的な面よりも肉体的な面が困難になっていったと考えるべきなのかもしれません。

出典:http://laughy.jp

渥美清さんは、沢山の役をこなした俳優さんというよりは寅さんという役をとことん演じた俳優さんというイメージのほうが強いですよね。それもやはりご自身の体力的な問題だったようですね。

がんを患うも、周囲に公表せず「寅さん」を演じ続けていた

渥美清が順天堂大学付属病院で亡くなった。68歳だった。死因は転移性肺がん。死の5年前、発見された肝臓がんがその2年後、肺に転移。渥美は手術や抗がん剤治療のために入退院を繰り返していたが、その間も病気は家族以外ひた隠しにされ、渥美は寅さんを演じ続けた。

出典:http://laughy.jp

肝臓がんからの転移で肺がんになったんですね。
それでも、渥美清さんは俳優として病気のことは誰にも知らせずに寅さんを演じていたのだとか。
すごいなぁ。。

遺作となった「寅次郎紅の花」に、主治医は「奇跡に近い」

死の前年には48作目「寅次郎紅の花」にも出演した。主治医はこれを「奇跡に近い」と嘆息。結局この作品が遺作となってしまった。

出典:http://laughy.jp

亡くなられる前の年に、遺作となった寅さんの作品に出演。 本当に辛かったはずなのに、しっかりと変わらない寅さんを演じた渥美清さん本当に素敵ですね。

渥美清が他界。 病気、死因など様々な憶測の中・・お別れ会がありました

1996年の8月に、ガンで亡くなった渥美清のお別れ会がありました。

出典:http://laughy.jp

渥美清さんのお別れ会には多くの人が訪れました。

”死に顔を見せたくない”という本人の思いを受け、公表は葬儀の後に行った

生前から「死に顔を皆に見せたくない。骨になってから皆に連絡してくれ」と家族に言い続けていたという。このため、渥美の死はすぐにニュースにならず、公表されたのは遺族が密葬を終えたあとの7日午後だった。

出典:http://laughy.jp

病気の自分、最期を迎えた自分をリアルタイムで伝えたくないという渥美清さんの思いから、亡くなられた1週間後に公表されています。 ずっと渥美清さんのポリシーを貫いた生涯だったようですね。

松竹大船撮影所で「寅さんのお別れの会」が開かれた時の山田洋次監督の弔辞

5年前に渥美さんの病気を知り、予断を許さないのは知っていました。体の衰えが目立ち始めて、小島の急な坂を登るときは、とてもつらそうだった。この時、この陽気な男が、映画から手を引く日も近いと思っていました。そろそろ解放してあげたい、と思いながら、もう一作だけ、もう一作だけ、もう一作何とかと思って48作も撮ってきました。医師から、正月遺作となった映画に出演できたのは、奇跡といわれました。ああ、悪いことをしました。後悔しています。つらい思いをさせてすいませんでした。7月に入院して、肺の手術をした後、経過が思わしくなくて、ベッドに起き上がることも出来ず、うつむいたままと聞きました。何故そんなに苦しめたのか。27年間、映画を作る喜びを与えてくれてありがとう。スタッフも幸せでした。心からお礼を申し上げます。

出典:https://ja.wikipedia.org

思わず涙が出てしまう弔辞でした。 渥美清さんこと寅さんのお別れの会では、生前の寅さんを偲んで多くの人が涙を流したようです。弔辞でも病状や手術後の経過などの紹介がありましたが、死因については病気という説明だったようです。

日本政府からは国民栄養賞も。”国民に喜びと潤いを与えた”

、渥美清の死を寅さんの死と捉えて報道された。死後、日本政府から渥美に国民栄誉賞が贈られた。『男はつらいよ』シリーズを通じて人情味豊かな演技で広く国民に喜びと潤いを与えたことが受賞理由

出典:https://ja.wikipedia.org

国民栄誉賞を受賞した寅さんこと渥美清さん。 やっぱりすごいですよね。
偉大な役者さんだったんだなということを改めて実感ですね。

渥美清さんの死因については、色々言われていますが、でも寿命を全うしたのかもしれません。
若い頃から沢山の病気と戦ってきた渥美清さんだからこそ・・・・死因は何?というよりは、寿命を全うしたという風に思いたいですね。

関連記事はこちらから

関連する記事

この記事に関する記事

この記事に関するキーワード

キーワードから記事を探す

TOPへ