沢田研二&田中裕子不倫略奪婚30年・ジュリーに昔の面影は無し…!
2018/02/25
lamar_
グループサウンズ時代から沢田研二さんのファンという方はアラウンド60になっていることでしょう。ソロになってもスーパースターだった沢田研二さんの今は?気になる人も多いのでは?ちょっと探ってみましょう。
現在の沢田研二さんです。1948年6月25日生まれ60代後半の年齢になるんですね。今の沢田研二さんと昔のスーパースターのころとは全く変わってしまいましたけど今でも歌手活動してるんですよ。
沢田研二さんは京都生まれと思われてる方も多いですが、実際は鳥取県の生まれで京都で育ったようです。TVのフリートークの様な場面では関西弁のアクセントも出ていたようでそのように思われていたかもしれませんね。今もそのアクセントは変わりませんよ。
僕のマリーがデビュー曲です。今でもそう呼ばれている、沢田研二さんのニックネームのジュリーはイギリスの女優@ジュリー・アンドリュースのファンでそこからきたようです。
ザ・タイガースの頃の沢田研二さん(中央)
●岸部修三(サリー、後に岸部一徳に改名) ベース、コーラス●加橋かつみ(トッポ)リードギター、コーラス、ボーカル●森本太郎(タロー) ギター、コーラス●瞳みのる(ピー)ドラムス
今のアイドルよりなんだか大人にみえませんか?
ザ・タイガースというと「日本初の男性長髪アイドルグループ」としてその後のGSブームの中では断トツの人気を誇っていました。沢田研二さん@ジュリーというひとつの文化だったようにも思えます。今でいうとキムタクこと、木村拓哉さん・・いや、それ以上でしょう。
1971年に解散するまでトップでいるのですが事務所が沢田研二さんを筆頭にアイドルとして売り出していきたかったのに対して、ミュージシャンとしていきたいという他のメンバーとの考え方の違いもあったようですよ。今でもそういうグループはありますね。
ザ・タイガースThe Tigers/僕のマリー (1967年)
デビューして一躍、GSグループの中でのトップの人気に!ボーカルの沢田研二さんと全面に押し出したグループでしたね。今の沢田さんと比べてみるのもいいでしょう。
ザ・タイガース モナリザの微笑 1967
デビューしたあとも次々にヒット曲をだし、ジュリーファン急増になります。対して、沢田研二さんのライバルとされていたのが、 ショーケン”こと萩原健一を中心に結成され、ルックス面、サウンド面共にザ・タイガースと 人気を二分していたGSグループのザ・テンプターズですね。ショーケンも今でも活躍されています。
https://www.youtube.com/watch?v=Ig2RyqC8j9Y
タイガースというとまずこの曲を方も上げる方も多いはず。君だけにというこの曲の時に沢田研二さんが客席に向けて指さしするたびに女性ファンから黄色い歓声があがったとか。今でもそんなアーティストのスタイルを持つ方もいるでしょう。。
1971年
タイガース解散のあと、ソロになった沢田研二さん。ソロになっても彼の人気は変わることはなかった様です。数々のヒット曲に恵まれることになります。今でも口ずさめる人も少なくないでしょう。
1973年
オリコン初1位獲得の曲がこの「危険なふたり」。沢田研二さんの魅力は何より彼のfaceと彼の独特な歌声でしょう。今でもその声は変わりないと思います。
1974年
沢田研二さんのあの声で歌い上げるバラードのファンも多いですね。彼のその声の魅力に魅了された人も多かったはず。その歌声は今でも健在。
時の過ぎゆくままに 沢田研二
1975年のこの曲のファンも多いです。沢田研二さんのファンじゃないけど、彼のこの曲が好きだったという人は今でも多いです。
勝手にしやがれ 本番前の前説
1977年リリース。第19回日本レコード大賞を受賞。受賞シーンでは、萩原健一や岸部一徳などのザ・タイガース・PYG時代からの仲間が駆けつけ、とにかく、この曲は沢田研二さんの代表曲となりました。今の彼の活動でもこの曲は外せない曲。
1975年当時、沢田研二27歳・伊藤エミ34歳。6年の交際を経ての結婚だったようで、この早いうちの結婚は今だったら、ちょっとキムタクと重なるところがありますね。
1982年に男はつらいよで共演した沢田研二さんと田中裕子さんが共演したのがきっかけで不倫関係になり、伊藤エミさんとは1986年頃から別居し、翌年の1987年に離婚という経緯があります。その後、田中裕子さんと結婚されていますが、今でもおしどり夫婦でいますね。
もともと太りやすい体質だった沢田研二さんですが、スーパースターのころはそれはそれは気を付けていたのでしょう。そして、太りだしたのは50代になった頃のようです。今のアイドルの人も体形にとても気を付けているのでしょうね。
沢田研二の場合、デビューしたての頃が48kg。そして昭和50年代のソロ全盛期でさえも、57kgでした。これは何を意味しているかというと、ほぼ筋肉がなく、骨と皮状態であるということです。つまり、基礎代謝が低いので、活動量が落ちてしまうと、太りやすくなってしまうのです。ですから、現在のジュリー沢田研二の激太りの原因は、若い時に筋肉があまりなかったことともいえるのです。
70年代から80年代に沢田研二さんが歌番組にトップテン入りしていた映像などを沢田さん自身が肖像権でストップをかけ、理由は昔の人扱いに反発したからともいわれています。今は解禁にもなっているようですよ。
今も勢力的にライブ活動している沢田研二さんですが彼自身のMC中、遮られるのをとても嫌うということがあるようです。
2015 沢田研二(当時66歳) 正月LIVEのとkの出来事でこんなことがあったそうです。
最近では、政治にもとても強い興味がある沢田研二さんのようで、そのライブのとき、2時間近く歌い続けたが最後の最後でMCに立った時に起こったことです。「イスラム国」の日本人人質事件にも触れつつ、「皆さん、大変な事態になりました。日本の将来を憂うのではなく自分自身の頭と心で考えなければなりません」と、自説をとうとうと述べていると、客席から「歌って~!」という黄色い声援があったそうです。すると、その声に反応した沢田さん。間髪入れずにステージ上から、「黙っとれ! 誰かの意見を聞きたいんじゃない。嫌なら帰れ!」と怒鳴りつけたというのだ。ファンは目が点。会場は凍り付くような雰囲気に包まれたという事態に。。。
この画像の沢田研二さんは山本太郎さんの選挙の応援演説に駆け付けたときのものです。このころに公の前に姿を見せたのも久しぶりだったはず。
今でももちろん、TV出演のオファーはあるのでしょう。でもそういった番組の依頼では常に昔のヒット曲を歌ってほしいとの依頼なんだそうです。でも沢田研二さんは「"歌謡ショーはやりたくない"がポリシーなんだそうで、商業ベースではない、今、歌いたい曲・伝えたい曲を演るというアグレッシブな姿勢が強いアーティストとして活動している。だそうです。
若かりし頃の沢田研二さんの姿と今の沢田研二さんでは面影もなく残念?に思う人も多いかもしれませんが今でも音楽活動しているというところにまだまだ彼の魅力に触れていたいと思います。
今でも機会があったら、沢田研二さんの名曲の数々を聴いてみてください。古く感じることなくすっとはいってくるかもしれませんね♪それだけの魅力ある声だと思います。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局