プロレスラーでタレントの佐々木健介をご存知ですか?女子プロレスラーの北斗晶さんの旦那でもあり、現在は3人の息子の父親でもあります。現在は引退試合をきっかけにプロレスラーを引退したものの、夫婦で映画やバラエティ番組に出演し活躍の幅を広げている佐々木健介さんーーーー そんな佐々木健介さんの現在や長州力さんとの関係について紹介していきます。

 

 

 

【この記事は2021/12/30に更新されました。】

【佐々木健介 噂】佐々木健介さんの気になるプロフィール

佐々木健介

本名:佐々木健介
生年月日:1966年8月4日(55歳)
出身地:福岡県福岡市南区
ニックネーム:マッスルボルケーノ
身長:180cm 体重:115kg
ダイヤモンド・リング所属
デビュー:1986年2月
2014年2月11日に引退
現在職業:タレント(健介オフィス所属)会社役員

現在は奥さんの北斗晶さんと子供二人の4人家族。一家の大黒柱として活躍する佐々木健介さんですが、2014年に引退試合を経てプロレスラーを引退。その後現在は主にタレントとして活動しています。2021年には、夫婦生活25周年を記念し『老後のお金がありません』に出演。北斗晶さんと夫婦役として映画に登場しています。

コストコでお馴染み⁉︎テレビのキャラクターとは一変したとある噂とは?

佐々木健介さんのイメージは、オシドリ夫婦で愛妻家の印象がありますが、一部ではとある噂も囁かれています。 いつもニコニコ優しいイメージの佐々木健介さんですが、いったいどんな噂が広がっているのでしょうか?まずは佐々木健介さんのテレビやメディアでのイメージをまとめてみました。

いつもニコニコしている優しい旦那

そしていつもニコニコして優しいイメージがあります。奥さんの尻に敷かれて、たとえ怒鳴られたとしても、癒しの笑顔でその場を和ませてくれそうですね。

家のことは俺に任せろ

いざとなったら俺が家族を守る!といったプロレスラーならではの強さもあり、女性にしてみれば理想の旦那さん像です。

24時間マラソンでは奥さんを支え、家族を支え、自分も家族ために走る、そんな佐々木健介さんの姿がとてもカッコよく印象的でした。
そして奥さんが病気になった今でも、家族のために一生懸命頑張っています。

24時間マラソンでは奥さんを本番・トレーニング時共に支えている姿が印象的でした。 家族を支え、自分も家族ために走る、そんな佐々木健介さんの姿に心を打たれた方も多いのではないでしょうか?そして奥さんが病気になった際も献身的に家族を支えていましたね。

そんな優しくて頼もしいパパといった印象の佐々木健介さん。
次の章では、“黒い噂”についても紹介させていただきます。

試合中のとある行為が原因で、対戦相手が○○?

こちらの章では、元プロレスラー・タレントの佐々木健介さんに関する”とある噂”について紹介します。引退試合を経て現在は、プロレスラーを引退していますが、現役時代のとある行為が問題視されていたようです。

 

佐々木健介さんの黒い噂とは!?

1995年、当時新日本プロレスに所属していた佐々木健介さん。実はこの時“ある事件”が起こりました。これが佐々木健介さんの黒い噂の始まりです。

練習生の脳挫傷による死亡事件

当時、新日本プロレスではイジメのようなシゴキが日常的に行われていたそうです。
95年1月には、新日本の練習生(当時22)がスパーリング中に脳挫傷で事故死した事件がありました。これに佐々木健介さんが関わっているのではと噂に。

当時、新日本プロレスではイジメのようなシゴキが日常的に行われていたそうです。 1995年1月には、新日本の練習生(当時22)がスパーリング中に脳挫傷で事故死した事件がありました。この死亡事件に関して、佐々木健介さんが関わっているのではないかと噂されていたようです。

佐々木健介さんのスプーレックスが原因?

この死亡事件、実は佐々木健介さんが死亡した練習生に、危険なスープレックスを何度も繰り返していたのが原因ではないかと噂になっているんです。

この死亡事件、実は佐々木健介さんが死亡した練習生に、危険なスープレックスを何度も繰り返していたのが原因ではないかと噂されています。スプーレックスは、プロレス技の一種です。スプーレックスをかけられた相手は、後頭部や頸椎に強い衝撃を受けるので、打ち所が悪いと即死や後遺症が残る場合もあると言われています。

警察は事故として処理

しかし、この事件で警察は練習中の事故として処理をしています。
当時、佐々木健介さんはコーチを務めており、自分はスパーリングをしていないと告白。2012年7月5日号の週刊文春によれば、練習を観ていたので、管理責任があると報じられています。
ご本人も当時のことはとても辛い思い出と語っています。

練習に参加した他の選手の話によると、メンバーでスパーリングをしている最中の事故であり、佐々木健介さんはその場にはいたものの、何度も投げるなどはしていないとのこと。

佐々木健介さんの黒い噂は、この練習生死亡事件に絡んでいることでした。警察の調べでは練習中の事故として処理されましたが、何故黒い噂として話題になっているのでしょうか。

黒い噂を裏付ける数々の証言が!

クリスベノワの自叙伝が話題に!

新日本プロレスで活躍し、のちにアメリカのWWEでも活躍した超有名スター選手、カナダ出身のプロレスラークリスベノワが自叙伝で、当時の事件を「あれは殺人事件だった」と断言しています。
名前は伏せられていますが、それが佐々木健介のことではないかと噂になっているというのです。

『殺人容疑者が罰を受けることもなく、表舞台で活躍している』と語るクリスベノワ氏。
真相はどうなっているのでしょう。

しかし真相は闇の中へ

クリスベノワ氏は40歳という若さで亡くなりました。死因は自殺でした。家族を殺し、そして自殺。
プロレスの厳しさを知っていた方がこの事件を告発しているということで、佐々木健介さんの黒い噂として話題になったようです。

シゴキとして片付けられるものではないレベルだったことを伝えたかったのでしょう。
しかし、事件は事故として処理されました。真相は闇の中ということです。
ただ、佐々木健介さんの黒い噂はこれだけではありませんでした。

佐々木健介さんの暴力が酷いと告発

2013年に佐々木健介さんが立ち上げたプロレス団体、ダイヤモンドリングに所属していた西川潤さん(当時26歳)が、佐々木健介さんから理不尽な暴行を日常的に受けていたことを自身のブログで暴露。

弟子の告発で更なる黒い噂が

2011年のプロレスリング・ノア栃木大会で売店の準備をしていた彼は、「SK」に控え室に呼び出され、人がいないのを確認すると思いっきり殴りかかってきたと綴っています。
この「SK」は佐々木健介さんのことではないかと噂に。

当時のことを西川さんは「コンクリートの壁に頭を打ち付けられた」と語っています。

他にもあった佐々木健介さんの被害者!?

2003年、格闘家・ジャイアント落合(落合博満の甥=当時30)がWJプロレスの道場で、ロープワークの練習中に倒れて意識不明の重体になり、手術を受けるも急性硬膜下血腫により死去。
これが佐々木健介さんによる『かわいがり』が原因なのではと噂に。

理不尽な暴力はこれだけではなく、試合前に西川さんが先輩たちと腹筋トレーニングをしていると、会場に現れた佐々木健介さんが「ちゃんとやれ!」と先輩の背中にサッカーボールキックを食らわしたと綴っています。

2003年、格闘家・ジャイアント落合(落合博満の甥=当時30)がWJプロレスの道場で、ロープワークの練習中に倒れて意識不明の重体になり、手術を受けるも急性硬膜下血腫により死去。これが佐々木健介さんによる『かわいがり』が原因なのではと噂になっていました。

理不尽な暴力はこれだけではなく、試合前に西川さんが先輩たちと腹筋トレーニングをしていると、会場に現れた佐々木健介さんが「ちゃんとやれ!」と先輩の背中にサッカーボールキックを食らわしたと綴っています。

 

そしてその後、社長である佐々木健介さんの奥さん北斗晶さんに道場に来るように言われ、「先輩の言うことは絶対の世界だから、先輩に逆らうようなことはするなよ」と言われたことを綴っています。

普段はニコニコして良きパパのイメージの佐々木健介さん。でも実は裏の顔はとんでもなく怖い人だったとしたらとてもショックですよね。

普段はニコニコした愛妻家のイメージが強い佐々木健介さん。しかしプロレス業界の風習かプロ意識による厳しさ故かーーーー 現役時代はかなり厳しく怖い方だったようですね。

長州力が佐々木健介選手に対して怒りを表明している?

実は当時佐々木健介さんが、日本プロレスを辞める際に長州力とトラブルを起こしていたという噂も上がっています。辞表した佐々木健介さんに対して、長州力さんはとある発言をしていました。そのトラブルとは一体何なのでしょうか?

 

日本プロレスを引退し、長州力が記者会見にて表明

この長州力と佐々木健介さんの関係は、佐々木健介さんの辞任が原因と言われています。

結論からお伝えすると、長州力は当時の佐々木健介さんを助け、日本プロレス側に怒りを表明していることがわかりました。

この事件は、2002年10月8日、辞表を提出した佐々木健介について見解を語ったことが発端です。当時佐々木健介さんは、新日本プロレスに対する不信感を募らせ、会見で自身の思いを涙ながらに吐露。新日本プロレスに提出前の辞表も公開していました。

その後、「無我後楽園大会前」にプロレスラー蝶野選手は退団問題に対し「裏に隠れているヤツ出てこい。トークバトルだ」などと反論していました。

この長州力と蝶野選手の発言の裏には、佐々木健介が新日本プロレス事務所を訪れ、辞表を提出したが、辞表は受理されず倍賞鉄夫取締役預かりという形になったことが問題視されていたようです。

その後長州力は、同年5月に新日本プロレスを退社。その後長州力は、新団体を創設していました。その際の記者会見では、下記のような発言を公表。長州力は、佐々木健介を庇う姿勢を明らかにしています。

 

「新日本がまず健介に対する問題じゃなくて、永島(勝司)=長州という、糸を引いたって部分に対しての、そこを新日本が吐いて紙面を飾ったってことに関して久しぶりに気分が悪い。まだそんなふうにしかとらえないのか?」

「新日本がそんなに騒ぐなら期待に添えて動いてやる。オレのところに来たい選手は来てください」

「オレの感覚的なものは…猪木さん、黒幕はアナタなんですよ」

 長州は新日本に対して強烈すぎる宣戦布告をおこなった。2002年11月にWJプロレスを設立。新日本プロレスを退団した健介も合流して2003年3月1日、横浜アリーナで華々しく旗揚げ戦をおこなったのだが…。

出典:https://news.yahoo.co.jp

このように日本プロレスの当時の体制に関しては、多くの”闇”が存在しています。

そのため当時の運営体制から考えても、後輩レスラーに対するしごきは、日常的に行われていた可能生が高いように思えますね。

日常的に弟子に暴力を振るっていたって本当!?

佐々木健介さんのしごきは、後輩レスラーへ頻繁に行われていたと言われています。

一体どのような暴力やしごきをしていたのでしょうか?

西川さんの追加証言が、暴力の実態を浮き彫りに?

デビュー前ということで、すごい数の受身とスパーリングをしている時期のこと。
Nに言われショルダースルーの練習をすることにーーーー Nに投げられ受身を取った瞬間、背中がつまり声も出なくなったそうです。しかし、それを見ていた佐々木健介さんは無理やり西川さんを起こし、10回も同じ技で投げられたと語っています。

デビュー前ということで、すごい数の受身とスパーリングをしている時期のこと。 Nに言われショルダースルーの練習をすることにーーーー Nに投げられ受身を取った瞬間、背中がつまり声も出なくなったそうです。しかし、それを見ていた佐々木健介さんは無理やり西川さんを起こし、10回も同じ技で投げられたと語っています。

現在西川さんは引退をし、今はどこで何をしているか分かりません。この告発ブログも奥さんの北斗晶さんによって削除されたのではと噂になっています。

現在西川さんは引退をし、今はどこで何をしているか分かりません。この告発ブログも奥さんの北斗晶さんによって、削除されたのではと噂になっています。

プロとしての練習が厳しいのは、仕方ないことかもしれません。しかし当時の日本プロレスは、過度なしごきや暴力が問題視されていたので、噂の信憑性も高くなります。

父親から息子への暴力が!? 一連の噂は生い立ちに関係していた?

佐々木健介さんの生い立ちを調べてみると、子供の頃は父親から投げられたり、顔面を蹴られたり、熱湯をかけられるなど、日常的にシゴキを受けていたんだとか。

これが今現在の佐々木健介さんのトラウマとなっているかは分かりませんが、黒い噂になっている日常的な暴力の根源かもしれません

佐々木健介の父親はどんな人だったのか

佐々木健介には色々な噂があると言われていて、練習が厳しくて死亡事故にも繋がっていると言うことです。

そんな佐々木健介の性格を形成したのは、幼い頃の生い立ちが原因ではないかという話があるのです。そしてその暴力を振るっていた父親は、どんな人だったのでしょうか。

父親は金融業を営んでいた

佐々木健介の父親は、福岡で金融業を営んでいました。我が儘で自分の思い通りにならないと、子供に対してでも暴力を振るっていたそうです。佐々木健介も暴力を振るわれ、近くにある雑貨屋に逃げていたそうです。

また父親からある日、「もう雑貨屋に行くな」と言われていたそうです。2年間のあいだ雑貨屋に行くのを我慢していたのですが、とうとう我慢できずに雑貨屋に行くと、そこはもう更地になっていて雑貨屋はありませんでした。

逃げ場を失った佐々木健介は、自分が強くなるしかないと考え、レスラーへになる決心をしたと言うことです。

暴力の対象が母親へと変わった

佐々木健介が家を出たあとは、暴力の対象が母親になってしまいます。その暴力に耐えきれずに母親は健介のもとにすがっていくのです。父親は母親に帰ってくるように懇願するのですが、健介や母親はその懇願をはねのけます。

その後、佐々木健介の父親は、自分で命を絶ってしまったのです。その他にも原因があるようで、父親の親友が詐欺にあい、保証人になっていたため自暴自棄に陥り命を絶ったとも言われています。

それにしても悲惨な生い立ちですね。悲惨と言うより幼い佐々木健介にとっては、暴力は耐えがたい苦痛だったのでしょうね。

佐々木健介が家を出たあとは、暴力の対象が母親になってしまいます。その暴力に耐えきれずに母親は健介に助けを求めるようになったようです。父親は母親に帰ってくるように懇願するのですが、健介や母親はその懇願拒否します。

その後、佐々木健介の父親は、自分で命を絶ってしまいました。また父親の親友が詐欺にあい、保証人になっていたため自暴自棄となり、命を絶ったとも言われています。

それにしても悲惨な生い立ちですね。悲惨と言うより幼い佐々木健介にとっては、暴力は耐えがたい苦痛だったのでしょうね。

二人の子ども(息子)は病気という噂

黒い噂のある佐々木健介。そんな佐々木健介の家族にもある噂があがっています。佐々木健介の子供は障害を持っているのではという噂です。

一体どんな噂があるのでしょうか。

ここまで佐々木健介さんの暴力事件の疑いがある噂について紹介してきました。 そんな佐々木健介の家族にもある噂があがっています。

それは、佐々木健介の子ども(息子)は障害を持っているのではという噂です。

 

佐々木健介には3人の息子がいる

佐々木健介には、2人の息子がいます。長男の健之介くんと誠之介くんです。長男の健之介くんは1998年11月生まれで現在23歳。また弟の健之介くは2003年3月生まれの18歳と言うことです。

一時、長男の健之介くんは、カナダへ留学。「アメリカ人のプロレス選手が何を喋っているのか知りたい」という動機がきっかけで、留学したそうです。現在はカナダでの就職も検討していることをテレビ番組「メレンゲの気持ち」で公言していました。

次男が発達障害という噂が

結論から言うと発達障害ではありません。

このような噂がリークしたのも、佐々木健介家族がテレビに出演していた際に、次男の誠之介くんが落ち着きのない態度をとっていました。その行動を見たただの視聴者が、発達障害ではないかと指摘したことが原因だったようです。

 

子どもなので、落ち着きがないのはあたり前なので、ただの心ない噂ということが、正解のようです。

 

その後も佐々木健介家族はテレビに出ていますし、次男の誠之介くんには特に変わった様子はありません。

次の章では、佐々木健介と妻である北斗晶さんの関係について紹介します。

北斗晶さんの闘病生活を支えたり、24時間マラソンでのトレーニングのサポートをしたりと献身的な佐々木健介さん。後輩レスラーの証言と共に紹介していきます。

佐々木健介の妻・北斗晶の闘病生活を支える

マスコミからも注目を集めたのが、北斗晶さんの癌(ガン)報告です。彼女の闘病生活を献身的に支えたのが、佐々木健介さんという存在。様々な噂が飛び交っていましたが、佐々木健介さんと北斗晶さんは、オシドリ夫婦ということは本当のようです。

死亡説が浮上するも、真相は北斗晶のガンによる闘病生活

佐々木健介の妻北斗晶死亡説は、実はガンに罹っていたことで噂になったようです。自身のブログで、乳ガンを公表した北斗晶。それもステージ2の乳ガンでした。佐々木健介の妻北斗晶は、自分の闘病生活をブログにアップして公表するのです。

自分の闘病生活を公表することで、勇気を出して病気と闘ってくれる人が増えることを願って公開しつづけます。

闘病生活を公開することで女性の乳ガン検診の啓蒙に繋がり、少しでも乳ガン検診を受診する人が増えてくれることを願っていたのです。

一時期は、北斗晶さんの死亡説がネットで流れていました。しかしこの情報は、ただの噂でガン治療による闘病生活が原因でした。

自身のブログでも、乳ガンを公表した北斗晶さんーーーーそれもステージ2の乳ガンだったようです。本人のブログでも、自分の闘病生活をアップして公表していました。

後日発覚したことですが、自分の闘病生活を公表することで、勇気を出して病気と闘ってくれる人が増えることを願って公開し続けていたそうです。

闘病生活を公開することで、女性の乳ガン検診の啓蒙に繋がり、少しでも乳ガン検診を受診する人が増えてくれれば良いと考えての行動でした。

家族の献身的な看病が救ってくれた

佐々木健介の妻北斗晶が、抗ガン剤での治療を続けているときに、佐々木健介や子どもたちは全員坊主になりました。それは、治療のために髪が抜けていく北斗晶の事を思っての事でした。

1年2カ月の闘病生活を終え、北斗晶さんは退院。北斗晶のガン告知で、多くの人たちが勇気を貰ったと言っています。

後輩レスラー・中嶋勝彦が夫婦関係について証言

中嶋勝彦選手(当時の佐々木健介の付き人兼後輩レスラー)は、当時の北斗晶さんと佐々木健介さんとの会話が心に残っていると「スポーツ報知」の取材で語っています。

 

 

 


「あれは、佐々木さんがフリーになられて健介オフィスになってすぐぐらいで自分と佐々木さんが2人の時です。まだ、北斗さんもテレビに出られる前で本当に健介オフィスの最初の頃です。佐々木さんが自宅から試合場に出かける時に自分は、付け人なので、荷物を持って一緒に出るんですが、必ずいつも玄関先まで北斗さんが見送ってくれるんです」

「佐々木さんが北斗さんに『試合、行ってきます』って言うと、毎回、必ず北斗さんが『次の試合持ってきて』っておっしゃって、佐々木さんは『オウ』って返事をしていたんです。北斗さんは、佐々木さんのマネージャーとして、そして、家族もいるんで、その言葉を言っていたと思うんですが、毎回、必ず言う言葉だったこともあって、当時の自分は正直、その言葉の意味が分かっていませんでした」

 佐々木と北斗の言葉の意味が分かり始めたのは、自分自身がプロレスラーとしてキャリアを重ねた時だった。

 「フリーという立場だった佐々木さんは、今日の試合で何も見せられなかったら、次の試合を持ってこられない状況だったんです。なので、『次の試合持ってきて』っていう北斗さんの言葉に『オウ』って返事する、あのお二方の会話って『意味のある試合をしてこい』『分かった。意味のある試合をしてくるぞ』っていう意味が込められていたんです。

出典:https://hochi.news

このように良い夫婦であり、ビジネスパートナーであった、佐々木夫妻。旦那を献身的に支える良き妻であり、旦那は外で最高の試合をするーーーー理想の夫婦関係のように思えますね。

黒い噂の真相はいかに!?

いかがだったでしょうか?今回は、佐々木健介さんの現在や噂、長州力選手との関係について紹介してきました。引退試合後は、タレントや俳優としても活躍するほどマルチな才能を見せる佐々木健介さん。噂の元凶となる後輩へのしごきがあったかどうかは、定かではありません。しかし中嶋勝彦選手の発言や北斗晶さんへの献身的な対応を考えると、練習としての一貫に過ぎなかった可能性が高いでしょう。これからも佐々木健介さんの活躍に期待していきたいです。

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