実は、エリート家族だった!?櫻井翔の家族エピソードを紹介します!
2016/08/10
シェフ
生年月日:1982年1月25日(33歳)
出身地:東京都港区(出生地:群馬県)
身長:171cm
血液型:A型
事務所:ジャニーズ事務所
13歳の頃、ジャニーズ事務所に自分で履歴書を送り合格。以降、ジャニーズJr.として活動開始。
1999年11月3日、嵐のメンバーとして「A・RA・SHI」でCDデビューを果たす。
2003年1月、日本テレビ『よい子の味方 〜新米保育士物語〜』で連続テレビドラマ初主演。
2006年1月、初のソロ・コンサートを開催。10月、NNN『NEWS ZERO』の月曜キャスターに就任した。
嵐としての活動以外にも、ドラマや映画、キャスターと幅広く活躍している。
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生誕:1953年12月14日(61歳)
出身校:東京大学法学部
職業:総務事務次官
任期 2015年7月31日 - (総務事務次官)
櫻井翔の父・櫻井俊氏は、東大法学部卒→郵政省→総務省・情報通信国際戦略局長→総務省・総務審議官という華麗な経歴をもつ超エリート。総務審議官とは、総務事務次官に次ぐ、総務省における官僚ナンバー2のポストである。
ストイックな性格で自分自身に相当厳しいことで知られている、櫻井俊さん。キャリア官僚候補として若いころから頭角を現していたそうです。また、子供たちを皆幼稚園から私立の学校に通わせるとても教育熱心なお父さん!
1957年生まれ。
出身地:静岡県
1979年:お茶の水女子大学文教育学部国文科卒業
大学:お茶の水女子大学
職業:駒沢大学文学部教授
櫻井翔さんの母親の実家は群馬県で新聞社を所有している結構な資産家であり、華族出身という噂もあります。
母の陽子さんは実家が資産家であったらしく、あの小渕元総理大臣の娘である小渕優子さんとは幼なじみ・・・だったらしいという噂もあります。
ちなみに、過去に「清盛と平家物語」という著書も執筆したこともあります。
生年月日:1986年8月18日
2009年に成城大学を卒業後、日本テレビに入社。
櫻井翔より4歳年下の妹・櫻井舞氏は、成城大学を卒業後、日本テレビに入社し、ニュース番組の記者やリポーターとして活躍している。
そのためテレビでも度々目にすることがあるが、目鼻立ちが兄・櫻井翔と似ており、日テレの美人記者として知られている。
このように、櫻井翔の家族エピソードをみると、まさに「華麗なる一族」。世の中には、こんなにも絵に描いたような家族がいるものかと、思わずため息が出てしまう。
大学:慶応義塾大学
部活:ラグビー部
身長:170cm
櫻井修さんは慶應義塾高校ではラグビー部に所属。
花園(ラグビーの全国大会、野球の甲子園のようなもの)まであと一歩まで迫りますが、
神奈川県大会決勝で惜しくも敗戦。
その悔しさを胸に大学でも体育会ラグビー部に入部しました。
170cm65kgとラグビー選手にしては小柄ですが
上半身は筋骨隆々。
兄の櫻井翔さんも顔に似合わずたくましい身体をしていますから、
遺伝的に筋肉の付きやすいたいしつなのかもしれません。
顔はというと、
すでに削除されていますが、
過去に大学ラグビー部のHPに写真が載っていました。
目元など、櫻井翔さんに似ているところもありますが
櫻井翔さんよりも男っぽい感じのイケメン。
嵐の櫻井翔が、23日放送の「とくダネ!」(フジテレビ系)に出演。家族との確執・和解について語った。
同番組では、“優等生・櫻井翔の裏側に迫る”という趣旨の元インタビューを実施。様々なテーマでトークが繰り広げられる中、家族のことについて話題が及ぶと、いつもとは違う表情を見せた。
櫻井は、中学生の頃、同級生と「“ノリ”で履歴書を送った」とデビューのきっかけを語り、「家に帰ったらリビングに履歴書が置いてあり、『なんだこれ聞いてねーぞ』って。親に内緒でしたから、当然怒りました」と告白。ジャニーズJr.として活動を開始させた後には、「祖父母の家に行けば、『いつ辞めるんだ』って言われてましたし、親も黙認という形だったのかもしれない」と確執が生まれたことを明かした。
また、当時の心境を「いつか辞めようと思っていた。17、8いっぱいでジャニーズJr.の活動は辞めることになるだろうなと思っていました。好きだから、部活のように楽しんでいたという状況でした」と語った櫻井。嵐としてデビューを果たした後も、家族とのわだかまりは溶けぬままだったという。
このエピソードから、芸能界入りを反対していたのは家族の中でも特に教育熱心な父親。そして、祖父母の発言からも受け取れるように、きっと家族だけでなく親戚も厳しく、エリートなのでしょうね。
ソロコンサートが週末に迫ったある日、櫻井はたまたま自宅のリビングで父親と2人だけになった。「週末に独りでコンサートやるから、来てくれないか?」と、初めて誘ってみたそうだ。「じゃあ、行ってみるか」。この時のリビングの光景を、櫻井は鮮明に覚えているという。1995年にジャニーズ事務所入りしてから約10年、やっと父親から“芸能界を選んだ、櫻井翔”を認めてもらえたと、実感できた瞬間だったのだろうか。それ以来父親は、コンサートにも頻繁に来てくれるようになったそうだ。
最初は芸能界入りを反対していた櫻井翔さん。
ジャニーズに入ってから和解まで約10年間かかりましたが、家族の中で一番反対されていた父親がコンサートに来てくれた事で、わだかまりも解けていったのではないでしょうか。
今は国民的アイドルグループ・嵐のメンバーとしての活動以外にキャスターとしても活動しており、家族もきっと櫻井翔さんの努力を認めてくれたのだと思います!
僕にとって家族というのは心から好きといえる存在。
子供の頃から厳しかった父と母ですが、その裏側にはいつも愛情がありました。
今でも芸能界で一番のファンは僕だって(笑)
家族エピソードで一番の思い出といえば、やっぱり嵐の結成が決定した時。
母は一番に喜んでくれて、父には厳しい言葉をもらいました。
これからが本当の勝負であり、気を抜くと仕事が無くなったりするよ。
2008年、翔さんは名古屋でのコンサートのリハーサル中にステージから落ちて右手の親指を骨折してしまったそうです。
翔さんは右手が使えないことを忘れてファミレスでステーキを頼んでしまいました。
そんな翔さんに妹の舞さんはステーキを切ってあげたらしいです。とても優しい妹さんですね!
櫻井翔さんと櫻井修さんは学部が一緒でもあり、プライベートでも兄弟仲良しのようです。
スポーツ紙記者は次のようにコメントしています。
「櫻井くんは弟が可愛くて仕方ないみたいです。 昨年まで正月には弟にお年玉を渡していましたし、 弟は弟で学校の合唱祭で嵐の曲を歌ったそうです」
櫻井翔さんは弟がかわいくて仕方がないみたいですね!
中学2年生の頃にジャニーズ事務所に入所し、高校3年生で嵐のメンバーとなった櫻井は、「親がまったく想定していなかった仕事についてしまったことは申し訳ないなって思う」と胸の内を告白。芸能界という特殊な世界に関わっているからこその心配や迷惑を掛けたことについて「罪の意識は感じるなぁ…」と本音を吐露した。
櫻井翔さん自身も、このような職業に就くとは思っていなかったのではないでしょうか。
幼い頃からたくさんの習い事や勉強に励んで、学業に専念していた櫻井翔さん。一生懸命教育してくれた親に対して申し訳なさも感じているようです。
しかし、今では両親も応援してくれているそうなので、嵐の櫻井翔としての活動を精一杯楽しんで欲しいですね。
いかがでしたか?
櫻井翔さんの家族構成や、家族とのさまざまなエピソードをご紹介しました。櫻井翔さんの家族構成は、以前からエリートすぎると話題になっていましたが、改めてその凄さを実感しました☆芸能界に入ったことで、家族との間に確執があった時期もあるそうですが、家族の仲は良さそうですね。
そんな櫻井翔さんの今後の活躍に期待しています!
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