2015/12/14
sakurayuzu
秋吉久美子
秋吉久美子が初めて表舞台に立ったのは1972年、映画「旅の重さ」でデビューしました。以来43年の間、スクリーンやテレビで活躍した日本の女優です。目立った主演作品こそ少ないものの、数多くの映画やドラマ、さらには舞台にも立ち続けています。
秋吉久美子は1954年生まれの61歳、研究者の父親と看護師の母親の間に生まれました。芸能界に入るきっかけとなったのは、大学受験のときに聞いた深夜ラジオでした。その番組内では先ほど紹介した映画「旅の重さ」のヒロインを募集していたようで、両親に内緒で応募したのだそうです。
芸能界に入るとカワイイ系女優として名を馳せますが、とある発言がきっかけで「シラケ女優」とのレッテルを貼られてしまいます。
同じ芸能界で芝居をしながら生きるものとしてこの発言はどうなんでしょうか・・・今であれば間違いなく芸能界から干されているでしょうが、当時はこんな秋吉久美子の言動にも注目が集まる世の中だったようです。
また秋吉久美子といえば数々の男性と浮名を流してきたことでも有名です。とあるインタビューで自らの息子に対して「私はただの母親になるつもりはない」とメッセージを送っています。息子には絶対にママと呼ばせなかったとも言われています。
この記事では、そんな秋吉久美子と息子の関係や息子の死について迫りたいと思います。離婚や再婚を繰り返した秋吉久美子は息子とも距離を置いていたと言われていますが、果たして真相は?
秋吉久美子は一人息子がいることは話しても、息子については何も語ろうとしませんでした。なので息子に関しては謎に包まれた部分が多いのです。
息子に関して分かっていることは、名前が遊(ゆう)ということだけです。
息子の知人の話では、
「彼はもう何年も知り合いの家に居候していたみたいです。定職には就いておらず、ときどき警備員のアルバイトをしていました。なぜ病院に行ったのかはわかりません」
息子の知人の話として、このような記事が週刊誌に掲載されていました。就職に失敗したのか就職しなかったのか、息子は1979年生まれと言われているので36歳になるいい大人にも関わらず他人の家に居候するような生活を続けていたそうです。
先ほども紹介したとおり、秋吉久美子は息子に対して母親になることを拒否していたような節もありますし、秋吉久美子からの援助というものは一切なかったのではないでしょうか?他人の家に居座りアルバイト生活をしているということは、息子は相当お金に困っていたはずです。それが、息子の身に起きた悲劇の始まりだったのかもしれません・・・。
1月13日、女優・秋吉久美子(60)の長男A氏が東京都港区にある大学病院の敷地内で、遺体となって発見されたことが「週刊文春」の取材により明らかとなった。転落による事故死と見られている。
2015年1月13日、秋吉久美子の息子が遺体で発見されたとのニュースが報じられました。現場となったのは東京都港区にある病院の敷地内ということです。
一人息子の突然の死に驚きを隠せない様子で秋吉久美子が警察署に入ったのは遺体発見当日の朝5時のことでした。マネージャーが付き添っていたようですが、憔悴しきった表情に見えたといいます。
捜査関係者の話として、遺体が見つかった状況から、長男は、柵を乗り越えて非常階段に飛び移ろうとして、9メートル下の地下まで転落したのではないかとした
病院敷地の地下で見つかったために、遺体発見まで時間がかかったいいます。この話が本当であれば、息子はこんなところでなにをしていたのでしょうか?柵を乗り越えるなんてことは普通であればまずしないことです。息子にはこのとき何か緊急の出来事があって、非常階段へ飛び移ってでも逃げなければならない理由でもあったのでしょうか?
病院の敷地で誰かに追われるような事態になるとは・・・秋吉久美子の息子になにがあったのでしょう?事件の概要を追ってみます。
長男が転落したときの様子は、病院敷地にある防犯カメラ3台に映っていた。長男は、2つの黒いカバンを両手に1つずつ持って、玄関前を走って裏に向かい、いったん表に戻ろうとした。
このカメラ映像が記録されたのは1月10日の深夜だということ、そして息子は両手にカバンを抱えていたこと、慌てた様子で走っていたことなど・・・不可解な映像が映し出されていたそうです。
その後の警察の調査によって、この鞄は工事現場作業員のものであると判明しています。つまり、息子は何らかの理由、というよりはその鞄を盗み逃げる最中に誤って転落したと考えるのが自然でしょう。
秋吉久美子も恐らくは警察でこの話を聞いたはずです。自らの息子が、もしかしたら窃盗の罪を犯したかもしれないと知ったらいくら放任主義(?)の秋吉久美子もさすがに焦ったんではないでしょうか?
突然の訃報に、秋吉の所属事務所は「たった一人の息子を亡くし憔悴しきっている」とコメント。岩久氏にも関係者を通じて取材を申し込んだが、期日までに連絡は来なかった。
秋吉久美子の所属事務所はこのようにコメントしていますが、実際に秋吉久美子が息子と過ごした時間はそう長くなかったといわれています。
秋吉さんと岩久さん、そして息子さんの3人の生活は10年ほどで終わっていました。
そして息子のA氏は離婚前から中学卒業まで秋吉さんの実家のある福島県いわき市に預けられていたそうです。
秋吉久美子は結婚と離婚、再婚を繰り返すような生活をしていたために、息子をずっと知人に預けていたようです。秋吉久美子曰く「祖父と祖母に預けるほうがいいと思った」と話していますが、息子としては母親である秋吉久美子と一緒に居たかったのではないでしょうか・・・?
秋吉久美子の援助も母としての愛も十分に受けられず、半ひきこもりのような生活になりついには窃盗まで・・・しかしこんな人生になったのも仕方ないのかもしれません。この母親にしてこの息子あり、というものでしょう。
秋吉久美子は息子の死について何もコメントを発表しておらず、さらには所属事務所もプライベートな問題だからと取材を拒否しています。やはり息子の死には公にできない重大な問題があったということなのでしょう。
息子の死によって秋吉久美子自身の経歴にキズがつくことを恐れたのでしょうか・・・なんにしても、薄情な母親だと思わざるを得ませんね。
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