野村萬斎の妻(千恵子)ってどんな人?子供の情報は?家系図は?
2020/04/26
みさとこ
・1931年2月16日ー2014年11月10日(満83歳没)
・1955年から俳優活動を開始。以降、任侠映画から『八甲田山』『幸せの黄色いハンカチ』などあらゆる日本映画で主演。
2014年11月10日、日本中が驚き、涙を流した高倉健さんの訃報。高倉健さんと言えば、多くの映画で主演を務め、その深みのある演技に多くのファンが胸打たれてきましたね。
わたしも高倉健さんが好きで、亡くなられたというニュースを見て驚き、悲しみました。
ファンだけではなく、高倉健さんは共演者からも慕われ、かつて共演した役者さんが様々な『健さん伝説』を語ってきました。
高倉健さんの共演者から語られた、高倉健さんのエピソードの一部を紹介します。多くの共演者からエピソードを語られる存在の役者さんって中々いませんよね。
映画『あなたへ』で再共演を果たした、高倉健さんと北野たけしさん。
映画『夜叉』で高倉健さんと共演した、ビートたけしさんは、「雪の降る中、撮影地の駅に着いて列車のドアが開いた時、健さんが花束を持って立っていた。健さんは「高倉です。今回はありがとうございました。」と挨拶してくれた」と、語った。
映画『夜叉』では妻に暴力をふり、薬に溺れる狂気の男を演じたビートたけしさん。撮影が始まる時の高倉健さんからの、心のこもった挨拶に感動したそうです。
映画『あなたへ』で高倉健さんと共演した、SMAPの草なぎ剛さんも高倉健さんの魅力にタジタジだったという。撮影中に、高倉さんと朝食を共にした際は、「緊張して何を食べているかわからなかった」のだとか。
生放送に出演するのは初めてだったのだとか!
高倉さんは終始リラックスした様子でした。
このエピソードを語った「スマステーション」には、なんとサプライズで高倉健さんが生出演!映画の記者会見以外ではあまりメディアに姿を見せない高倉健さんが、テレビ番組に生出演したことには驚きました!
初めての映画出演だったという、武田鉄也さん。高倉さんの優しさに救われたそうです。
『幸福の黄色いハンカチ』で初めて映画の撮影に参加した武田鉄矢さん。現場で監督に怒られてばかりで、落ち込んでいた時に高倉健さんが食事に誘われたという。その席で、武田さんが「怒られてばかりでめげちゃいました…」と弱音を吐いた時に、高倉さんは「監督はいい奴を選んだと思う」と自身を励ましてくれた、と語った。
『幸福の黄色いハンカチ』でなんだかカッコがつかない、情けない青年役を好演した武田鉄矢さん。自身の至らなさを感じながらも、高倉健さんの優しさに触れ撮影を頑張れたそうです。
初々しいお二人の写真。妻・江利チエミさんの柔らかな微笑みが印象的です。
女優で歌手の江利チエミさんとは1959年に結婚。しかし、二人の歩んだ道は壮絶なものでした。
・1937年1月11日ー1982年2月13日(満45歳没)
・歌手、女優として活動。代表曲は「テネシーワルツ」
・舞台『マイ・フェア・レディ』で数々の賞を受賞。
高倉健さんと元妻の江利チエミさん。素敵な写真ですね。
結婚前のエピソード。高倉さんから風邪をひいて入院した、という報せを受け心配して病院に行った江利チエミさん。
実はそれは、真っ赤な嘘。高倉さんは「あなたに会いたくて仮病を使ってしまいました」と謝ったそうです。
なんだか微笑ましいエピソードですね。男らしい高倉健さんの貴重な、可愛らしいエピソードだと思います。
こんなことを恋人にされたら、怒るよりも喜んでしまいますよね。
高倉さんが午前3時に友人と猟に行こうと、家を出るときの話。起き出してきた妻・江利チエミさんが「私、これからどうすればいいの?」と、猟に行く高倉さんを引き止めようとしたそうだ。
妻の江利チエミさんとしては、お互い忙しいのでせめて眠る時は側にいて欲しかったのかもしれませんね。
高倉健さんとしては、趣味と結婚生活の両立が難しいと感じた瞬間だったのでは。
妻・江利チエミとの出会いは映画共演がきっかけ。結婚3年後には、江利が妊娠。しかし当時、江利の異父姉が起こした様々なトラブルに対するストレスが原因で、妊娠中毒症を発症し中絶を余儀無くされた。
妻・江利チエミさんと出会い、結婚するも高倉健さんと妻・江利チエミさんの周囲ではトラブルが多発していたそうです。それは主に妻・江利チエミさんの親族が起こしたトラブルで、それによるストレスが高倉健さんと妻・江利チエミさんを襲いました。
江利チエミの異父姉は、江利チエミの活躍を妬んでいたのと同時に、金銭目的で江利チエミに近付いた。家政婦として江利チエミの元で働き、やがて江利チエミの信頼を得てからは江利チエミ印鑑で高額の借金をしたり、高倉健・江利チエミのでっち上げの噂を流したりと次々にトラブルを引き起こした。
江利チエミさんの活躍の裏では、異父姉からの嫉妬によるトラブルがあったとは、恐ろしいですね…。その後、江利チエミさんは異父姉を告訴したそうで、異父姉は実刑判決を受けています。
しかし、異父姉の借金を江利チエミさんが肩代わりし、その額はなんと億を超えていたそうです。江利チエミさんはその借金を全て自身で働き、完済しました。強くて、立派な女性です。
結婚後、妻・江利チエミの親族が引き起こす数々のトラブルが原因で、江利側からの申し入れから1971年に離婚。高倉は妻との離婚後、女性との交際の噂はあったが一度も再婚はしなかった。
12年の結婚生活は決して円満ではなかったようでした。夫と妻の問題、というよりは二人の周囲が起こしたトラブルが原因というのが切ないです。妻の江利チエミさんは高倉健さんを愛していたからこそ、別れを切り出したのでしょう。妻との離婚後、一度も再婚しなかった高倉健さんもやはり、別れた後も妻を愛していたのではないでしょうか。
妻との離婚から11年経ち、高倉健さんの元に届いたのは悲しい報せでした。
1982年2月13日、江利チエミは自宅マンションの自室のベッドで倒れているのをマネージャーが発見した。死因は脳卒中と吐瀉物が気管に詰まり、窒息したことだった。
離婚した高倉健は当時、葬儀には出席はしなかったという。しかし、葬式には本名で花を贈り、会場の前で車を送り出す際に合掌していた、と関係者は語っていた。
当時、大スターだった江利チエミさんの突然の死に芸能界は騒然。45歳というあまりに若すぎる死ですね…。高倉健さんは毎年必ず、江利チエミさんの命日にはお墓に出向き、線香をあげていたそうです。
高倉健さんは、どんな想いで墓の前に立っていたのでしょうか。
妻との永遠の別れから数年後、かつて二人の家があった土地を購入。高倉さんはそこに家を建てた。家の近くには、江利チエミさんの眠る墓があること、二人の思い出が詰まった場所を高倉さんは守りたかったのだろう。
1970年に、二人の家が全焼するという事件が起きた土地を高倉さんはその後購入していたんですね。
こういったエピソードを聞くと、高倉健さんは妻と離婚しても妻との思い出、妻への想いを大切に生きていたということを感じますね。
いかがでしたか?
高倉健さんと妻・江利チエミさんの結婚生活は波乱続きでしたが、二人の間には深い絆があったのだと思います。
孤高の俳優の裏には、悲しみと深い愛情があったのです。今年一周忌を迎え、命日にはいくつもの局で高倉健さん主演の映画が放映されました。
たくさんの人に優しさを与えた高倉健さんは、これから先もずっと人々に語り継がれていく伝説の人となったのだと思います。
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