2015/10/08
グリ777
乃木坂46の人気メンバーである西野七瀬さんと秋元真夏さんですが、かつて不仲疑惑が流れていたことがありました。
今となってみれば、乃木坂46の黒歴史とも言えるでしょう。
乃木坂46と言えば、AKB48の公式ライバルとして、いまやAKBグループや他のアイドルグループに負けないぐらい人気を誇る国民的アイドルグループです。
そんな乃木坂46ですが、当時はメンバー内で、人気メンバーでの西野七瀬さんと秋元真夏さんにある確執があったのではないか、と噂されていました。
そこで今回は、西野七瀬さんと秋元真夏さんの関係性がどう変わっていったのか、徹底解説します。
本名:西野七瀬
ニックネーム:なぁちゃん・ななせまる
生年月日:1994年5月25日(24歳)
出身地:大阪府
身長:159cm
血液型:O型
デビュー:2011年〜
所属事務所:乃木坂46合同会社
西野七瀬さんは、乃木坂46のオーディションを受ける前から、モデルのオーディションに応募していました。
それらのオーデショションでは3次審査を通過することもあったようですが、母親の勧めから看護師の道に進むことを決めていたそうです。
しかし、高校在学中の2011年に、母親が応募した乃木坂46の第1期オーディションに見事合格します。
その後、高校を転校して単身で東京に渡り、本格的にアイドル生活に打ち込み始めました。
乃木坂46の1stシングル『ぐるぐるカーテン』で初のCDデビューを果たし、乃木坂46の8thシングル『気づいたら片想い』では、4代目となるセンターに大抜擢されるなど、アイドルとしては絶好調でした。
その後は、ファッション誌『non-no』の専属モデルの仕事も始め、アイドルとモデルの両方で活躍し、絶大な人気を集めていました。
ですが、2018年9月の自身公式ブログで、卒業を発表し、2019年2月24日の京セラドーム大阪で開催される『乃木坂46 7th YEAR BIRTHDAY LIVE』の最終日公演をもって、乃木坂46メンバーとしての全活動を終了する予定です。
そんな西野七瀬さんは、メンバーから女子力が高いと評される一方で、人見知りとして有名です。
今回の秋元真夏との不仲騒動にも、この性格は関係しているのでしょうか。
本名:秋元真夏
ニックネーム:まなったん
生年月日:1993年8月20日(25歳)
出身地:埼玉県
身長:156cm
血液型:B型
デビュー:2011年〜
所属事務所:乃木坂46合同会社
秋元真夏さんは、幼稚園の頃から芸能界に憧れがあったようで、昔から目立つことが好きだったそうです。
中学や高校では、生徒会の会長や副会長を務めていたこともありました。
高校生のときに、受けた乃木坂46の第1期メンバーオーディションに参加すると、2011年8月21日には、オーディションの合格が決定しました。
さらに当時、暫定選抜メンバーにも選ばれていて、立ち位置も前列にくるなど、出だしは好調だったと言えます。
しかし裏では、通っていた高校が芸能活動禁止であったことに加え、両親からも、学業を優先するよう言われるなど、なかなか周囲の理解を得られない状況になっていたそうです。
結局、高校卒業までは芸能活動を休止することになってしまいます。
大学合格後は、無事に乃木坂46に復帰して、現在では、選抜メンバー入りも果たしています。
既に、テレビドラマ出演やソロ写真集の発売も果たしていて、順調に人気を集めています。
秋元真夏のファンやメンバーからのイメージは、甘え上手とされています。
アイドル業界では、俗に言う「釣り師」という扱いを受けているようです。
乃木坂46の西野七瀬と秋元真夏が不仲になった経緯は、何だったのでしょうか。
それには、秋元真夏さんの復帰が関係していました。
先ほど説明した通り、乃木坂46の秋元真夏さんは、2011年8月21日の乃木坂46オーディションに合格したのですが、学業の専念を理由に、かなり初期の段階で休業を余儀なくされました。
しかし、大学進学後の2012年10月、4thシングル『制服のマネキン』の選抜発表の際に、たまたまスタジオで見学中だった秋元真夏さんが呼ばれて、いきなり八福神(トップ8のメンバー)に抜擢されました。
この秋元真夏さんの急な復帰が、西野七瀬さんとの深い溝ができるきっかけになります。
乃木坂46の西野七瀬さんは、今でこそ白石麻衣とともにWセンターを務めるほどのエース的存在ですが、そんな西野七瀬さんもデビュー当初は、選抜に入ってはいたものの、決して目立った存在ではありませんでした。
3rdシングル『走れ!Bicycle』では、初めて七福神(トップ7のメンバー)に選ばれた西野さんですが、4thシングル『制服のマネキン』の選抜発表で秋元真夏さんが八福神に選ばれたために、西野七瀬さんが八福神から外れてしまいます。
それがきっかけで、西野七瀬さんと秋元真夏さんとの間に深い溝ができてしまったようです。
乃木坂46の西野七瀬さんと秋元真夏さんは、かつて不仲と言われていた時期がありました。
今では、尊敬し合っている2人ですが、不仲が解消されたきっかけは、一体何だったのでしょうか。
西野七瀬さんと秋元真夏さんの不仲が解消したきっかけは、2014年2月22日の横浜アリーナで行われた乃木坂46のライブ『2ND YEAR BIRTHDAY LIVE(2周年記念ライブ)』の公演中にありました。
会場の映像に合わせて西野七瀬さんのナレーションが流れていたとき、電撃復帰を果たした秋元真夏さんに対して、そのナレーションから、ある言葉が送られました。
この言葉がきっかけで、後に2人の不仲が解消されることになります。
西野七瀬さんは2012年後半の出来事を振り返るシーンで、秋元真夏さんが乃木坂46新選抜に34人目のメンバーとして電撃復帰したことで、乃木坂46の環境がガラリと変わってしまい、秋元真夏さんと素直に接することができなかったと、当時の心境を初めて明かします。
そして、このナレーションの最後に「あのときは言えなかった言葉で、この曲を始めます。真夏、おかえり。一緒に頑張ろう!」と秋元真夏さんに対してのセリフが流れました。
この言葉には、会場も大きな歓声が巻き起こります。
続けて、4thシングルの「制服のマネキン」に突入していきました。
西野七瀬さんの「真夏、おかえり」というナレーションだけで、2人が泣きながら抱き付き、一瞬で和解してしまうなんて、このシーンは感動しますよね。
秋元真夏さんによると、そのライブ中は、なぜか2人ともちょっとテンションおかしくなって、すれ違うたびに抱き合っていたそうです。
西野七瀬さんは、ナレーションの内容を誰にも言ってなかったこともあって、すごく緊張してたそうです。
「真夏、おかえり」と流れたときに、秋元真夏さんが視線の先にいて、2人とも瞬間的に泣いてしまったのだとか。
西野七瀬さんは、まさか泣くとは思ってなかったそうで、そこで一気に壁が崩れた気がして、自分から秋元真夏さんに抱き付いたと明かしています。
一方秋元真夏さんも、そこでやっと普通に接していいと思ったそうで、ステージに上がる数秒前なのに、涙が止まらなかったと明かしています。
ちなみに、秋元真夏さんも泣きながら抱き付いています。
秋元真夏さんは、次のステージの出番まで待ち時間があったようで、大泣きしている秋元真夏さんに対して、他のメンバーが心配して集まってきたそうです。
そして、その中のキャプテンの桜井玲香さんが、その事情を理解しながら、よかったねと慰めてくれたことも、秋元真夏さんは明かしています。
メンバーのみんなは、この状況を祝福モードと捉えていたのでしょう。
秋元真夏さんが電撃復帰してから、1年4か月余りが過ぎ、2人にはついに和解しました。
その証として、このライブの後に、初めてツーショット写メを撮っています。
ほかのメンバーが見ている前で、撮るのは恥ずかしかったようで、廊下に出たわずかなタイミングで、秋元真夏さんが声をかけ、写真を撮ったのだとか。
こんな日が来るなんて、本当によかったですね。
不仲説がささやかれた西野七瀬さんと秋元真夏さんですが、2015年1月4日に放送された番組『乃木坂って、どこ?』の「1stアルバム発売記念 乃木坂46オモテ年表・ウラ年表」という企画で、不仲が解消した後の本音が語られています。
テレビ番組『乃木坂って、どこ?』では、復帰して選抜入りした秋元真夏に対して、当時どう思っていたか、メンバーの正直な思いをそれぞれが語っています。
生田絵梨花さんは、秋元真夏さんがイメージと違うと明かしたり、中元日芽香さんは、アンダーのモチベーション低下したと明かしています。
何より、当時、秋元真夏と西野七瀬の2人と一番近くにいた高山一実さんから、西野と秋元ピリピリ時代が説明されました。
2人とも「喋んないなぁと…」とずっと思っていたと明かしています。
これに対して、秋元真夏さんは、全く喋らなかったと答え、続けて西野七瀬さんも、その年は喋ってないと答えました。
2人の間には、本当に深い溝があったんですね。
テレビ番組『乃木坂って、どこ?』では、西野七瀬さんと秋元真夏さんが不仲を解消させる前から、西野七瀬さんが秋元真夏さんと「こういう関係は嫌だな」と考えていたことを明かしています。
秋元真夏さんも、同じく楽屋で、西野七瀬さん含むメンバーの会話に入ろうと努力していたそうで、2人ともそれぞれが、それなりの努力をしてきたことがわかります。
不幸にも、乃木坂46 4thシングルで、西野七瀬さんのいた位置に秋元真夏さんが入ってきたことがきっかけとなって、2人には埋められない溝が生じてしまいましたが、このままの関係ではいけないという姿勢が、乃木坂46の『2ND YEAR BERTHDAY LIVE』において、報われたということではないでしょうか。
テレビ番組『乃木坂って、どこ?』では、西野七瀬さんが、秋元真夏さんが悪くないことを素直に語っていました。
秋元真夏さんと、深い溝ができてしまったのは、本当に自分がダメな子だったので、普通に話しかけることもできなかったためだと語っています。
よくよく考えると、秋元真夏さんは何も悪くないですもんね。
でも、自分の間違いを素直に打ち明けられる西野七瀬さんは、この件で成長したのではないでしょうか。
バナナマンが司会を務ている乃木坂46冠番組の『乃木坂工事中』で、22枚目シングルヒット祈願と題して、センターの西野七瀬がメンバーと最後の小旅行をした模様がオンエアされました。
この放送は11月にオンエアされたもので、卒業直近の西野七瀬さんをクローズアップしたものでした。
そこに、秋元真夏さんも出演して、卒業前だから言える西野七瀬さんのコメントが送られています。
西野七瀬さんと秋元真夏さんが合流し、当時の状況を改めて語ります。
秋元真夏さんの復帰で、弾き出されてしまった西野七瀬さんは、それから険悪な関係が1年4ヶ月続いたようで、口も利かない状態になってしまったと、説明します。
西野七瀬は、別に起こそうと思ったわけでもないし、初めに変な関係になってしまったのは、自分が子供すぎたことが原因なんだと伝えました。
続いて、綺麗にわだかまりがとけるとも思ってなかったと、涙ながらに説明し、それは真夏の人柄がよかったからと打ち明けました。
続いて、綺麗にわだかまりがとけるとも思ってなかったと、涙ながらに説明し、それは真夏の人柄がよかったからと打ち明けました。
VTRを見ていたスタジオでも西野七瀬さんは涙を流してしまいます。
そして、枠からはじき出されたことに対して、当時は幼い感情があったと、スタジオでも改めて振り返りました。
それを聞いていた秋元真夏も、仲直りがきっかけのライブのおかげで、関係性がより深くなったと、涙ぐんでいました。
西野七瀬さんが、卒業発表をした時、秋元真夏さんは震えが止まらなかったのだとか。
この番組の最中、西野七瀬さんの卒業曲である『帰り道は遠回りしたくなる』のミュージックビデオについて話す場面がありました。
ミュージックビデオでは秋元真夏さんが、西野七瀬さんに向かって「おかえり」と言うシーンがあったようで、ファンの中では、2人が和解したときのエピソードをもとにしたものだと予想されていたことに触れました。
西野七瀬さんは、このシーンを個人的に好きなポイントだと説明し、秋元真夏が「おかえりと言っていたのは、多分偶然だと説明しました。
秋元真夏さんも、当時の因縁のことをいろいろ思い出していたことを明かしています。
この番組での2人の仲直りが、美談扱いの演出だったために、ファンの間では厳しい声も上がっています。
西野七瀬さんは、涙ながらの感動エピソードとして、仲直りの話をしていましたが、秋元ファンからは、ただのイジメだろとの批判が続出したのです。
また、これを美談として扱っている番組に対しても、批判が上がり、ネット上には、イジメを美談扱いするな、などの意見が上がっていました。
当然2人の間では、素敵なエピソードでも、秋元ファンにとっては不快だったのかもしれません。
秋元真夏さんが、乃木坂46 4thシングル『制服のマネキン』で、いきなり八福神として電撃復帰したことによって、前作で七福神だった西野七瀬さんが後ろに下がることになってしまい、2人の間に埋められない溝ができてしまいました。
それから約1年4か月の間、秋元真夏さんと西野七瀬さんは、ほとんど言葉を交わすことなく過ごしますが、この2人のわだかまりが、一気に解消されたのが、横浜アリーナで行われた乃木坂46のライブにおいてでした。
今となっては二人の仲の良さそうな写真がたくさんあるので、溝のある時期があったことが信じられません。
このようなことがもう起きないことを信じたいですね。
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