2017/05/17
chihiro
今田 耕司(いまだ こうじ、1966年3月13日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者である。愛称は今ちゃん。大阪府大阪市出身。
現在は多数のレギュラー番組に出演しているほか、ルミネtheよしもとで新喜劇の座長も務めている。
1981年、先生からの勧めで全寮制の日生学園第二高等学校(現在は青山高等学校)に入学。しかし、上級生の「温かい指導」に遭い、1年で「映画『大脱走』みたいな感じ」で寮から脱走し、そのまま中途退学した。 (一度目の脱走は失敗し連れ戻され、二度目の脱走で成功しそのまま退学する)
多数のレギュラー番組を抱え、大活躍中の今田耕司さん。現在の明るい芸風とは裏腹に、壮絶な高校時代を送ってきたことが発覚し、ネットで話題になっています。
2014年8月6日放送の「水曜日のダウンタウン」で、今田耕司さんの驚くべき高校生活が明らかになりました。深夜番組などではたまに話すことがありましたが、これほど詳細に語られたのは初めてではないでしょうか。
日生学園第二高等学校という私立の高校に通っていた今田耕司さん。90年までは「強制収容所」「リアル男塾」とも呼ばれスパルタ指導で有名な高校として知られていました。
「校長先生の話を聞くとき、校長先生から目線をそらすと、ものすごい数の生徒がいるのに、校長先生が壇上からパッて指さす。指された生徒の所に両脇から先生がソソソって来て、体育館の外に連れ出されて…ペチペチペチっていう」
学校の規則で「甘いものは禁止」。そのため、砂糖などもなく、甘いものは貴重品だった。
休みの日に、外から帰って来た生徒は全員、ヘンな物を持ち込んでいないか身体検査を受けるので、隠して持ち込むことも出来ない。
今田は、親から生活用品を送ってもらう際、枕の中に「いちごミルク」キャンディーを入れて送ってもらったそう。
密輸したいちごミルクは、お世話になってる先輩などに「いちごミルクを持ち込むことに成功しました」と1個1個配ったとか。
「先輩がみんな寝静まってからトイレに呼んでいただき、ご指導いただきましたよ。『こういうところがアカンぞ』ってことで、お腹を蹴られたりとか」
素手でのトイレ掃除に、教師・生徒からの暴力、甘いものの入手は密輸レベルで警戒しなければならない禁欲的生活・・・現代では考えられないようなことばかりですが、全て実話です。今田耕司さんと同じくらいの世代に高校時代を送った方からも同様の証言が多数存在しています。
あまりに過酷な学校生活に耐えきれず、1年生の秋、脱走を決意。見つかると「すっげぇ怖いんで」計画を綿密にたてて実行した。
外出した際、「電車に乗るためのお金を、汚い話なんですが、身体検査があるので、パンツの中、玉の裏に小さく数千円を隠して持ち込んだ」
これだけで映画ができそうなほどのリアルな脱走計画。地元の人が通報するというシステムも恐ろしすぎます。当時今田耕司さん以外にも脱走を試みた高校生は数知れないとのこと。
やりすぎコージー(2007年9月22日)1:55~
脱走者が出るとサイレンが鳴るのは本当なのでしょうか?今田耕司さんの語る高校脱出の描写がリアルすぎです。目の前で同級生の男子が先輩に掘られたのがショックで脱走を決意したという噂もあります。
大阪の実家に帰宅したところ、「一回、学校に辞める手続きに戻ってください」と言われ、戻った。教師は「お母さん。これからこの子が学校を続けるって言うまで、僕はこの子を殴ります」と言われ、5~6発目には「続けます」と言ってしまい、しばらく学園生活を続けたそうだ。だが、結局、冬休みの帰省をきっかけに退学したという。
「学校を辞める手続きに戻ってください」と言うのも巧妙な罠のような気がします。ブラック企業やいじめのある学校もそうですが、一度逃げたら後の手続きはなるべく会わずに済ませるべきです。お母さんは今田耕司さんの高校の教育方針を支持していたのでしょうか?
いろもん(2002年3月28日)1:15~
今田耕司さんは日生学園を退学後、清風高校という定時制の高校で働きながらそれなりに楽しい生活を送ったようです。高校卒業後は専門学校の入学を希望するも、学費の高さに断念し吉本に入ったとのこと。
水曜日のダウンタウン(2014年8月6日)12:25~
「浜田さんは、副学寮長。副学寮長っていえば、僕らからしたら、凄い人ですから」と言い、「浜田さんの場合は、学校出て、吉本に入ってから、それを僕にやってましたからね。風邪薬買ってくるので間違ったら、思いっきりドツかれたんですよ」と、卒業してからも、その片鱗を覗かせていたそうだ。
卒業アルバムの浜田雅功さんの写真が既に風格が漂っています。浜田雅功さんは高校で副学寮長となり、この頃からリーダーシップを発揮していたようです。
「浜田さんも一回、脱走したことがあったんです。『とりあえず、お金を持って迎えに来てくれ』って、鶴橋駅まで迎えに行って」と、当時のことを語っていた。
「お腹も減ってて、立ち食いうどん屋に連れてったったら、アッツアツのうどんですよ。僕、忘れられませんけど、腹減ってたんでしょうね。一すすりで食べましたよ」
今田耕司さんと同様に浜田雅功さんも高校を脱出したことがあるようです。卒業・中退に関わらずこの「無事脱出できる」という要領の良さ・脱出に協力してくれる友達がいること・後に当時のことを笑って話せる器の大きさが将来大物になるポイントのような気がします。
コント番組「ごっつええ感じ」で高校時代の恩師・若杉先生と再会した浜田雅功さん。このビビリっぷりは凄いです。
閲覧注意(トイレの掃除シーンあり)
今見ると宗教団体の洗脳のように見える異様な学校風景。
昔は他にも戸塚ヨットスクールや愛知県立東郷高校 など不良の更正・不登校の克服の手段として昭和の根性論がまかりとおっていました。1970~80年代は校内暴力が問題になり、このような教育方針にニーズがあったことも事実です。未だに体罰が横行する体育会系部活や自殺が相次ぐブラック企業の実態がその名残を感じさせます。
現在は校長先生も代替わりし、学校名も青山高等学校に改められ、大きく校風が変わっているようです。放送部・ダンス部などが全国大会で優秀な成績を収めており、不登校生を現役で京都大学・早稲田大学・慶応大学などの難関大学に多数合格させているという実績があります。
今田耕司さんが体験した教育方針はあくまで30年以上前のものであり、当時の資料としては一見の価値があると思います。
今田耕司さんは退学後に定時制の高校に通い、夏休みには母方の実家である宮崎県のうどん屋でアルバイトをしながらサーフィンに没頭していたそうです。
現在とはイメージが全く違って意外にもかなりのヤンキーっぽい今田耕司さん。現在はサーフィンをしていないのでしょうか?
家出と万引きを繰り返す中学生だったという今田耕司さん。
小学校以来の親友の安田くんは放浪癖があり、一緒に家出をした日以来そのまま家に帰らず全国各地を転々としながら、お金がなくなると今田耕司さんを訪ねてくるそうです。
今でも歯も毛も住民票もなく放浪しているとのこと。90年代には「おしゃれカンケイ」に登場したり、ラジオ番組「今田東野のファンキーリップス」で度々話題になっていました。
このような人と親友と知ればお母さんが心配して更正させようとするのは無理も無いですね。
やりすぎコージー(2008年9月13日)14:40~
いきなり東野幸治さんの自宅に「3万円貸してくれ」と押しかけたり、東京に住むといって今田耕司さんに30万借りようとしたり、勝手に鍵をコピーしたりとかなりの曲者の安田さん。
今でも交流があるという今田耕司さんの面倒見の良さが凄いです。
『ひな壇芸人』の元祖とも言われ、ダウンタウンやビートたけしなどの大物や99や雨上がり決死隊などの中堅芸人に絶大な信頼を寄せられている今田耕司さん。その「反体育会系」ともいえる面倒見の良さと潔癖なほどのキレイ好きな性格は、高校生活の影響があるように思います。
ジョイのCMや人気ドラマ『下町ロケット』の出演などお笑い以外でも大活躍の今田耕司さん。
その飾らない庶民的な人柄で、今後もさらなる活躍が期待できそうですね!
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