松岡茉優、高校時代の同級生とトーク番組『ボクらの時代』に出演!?
2016/08/03
セラフィム
生年月日:1985年12月12日
血液型:A型
出身地:東京都荒川区
2002年、映画『修羅の群れ』で映画デビュー。映画『スウィングガールズ』(2004年)やドラマ『大奥〜華の乱〜』(2005年)、映画『夜のピクニック』(2006年)、NHK大河ドラマ『風林火山』(2007年)などに出演した後、2007年、NHK連続テレビ小説『ちりとてちん』のオーディションに合格し、同作で初主演を務める。
貫地谷しほりさん最近は2015年、ドラマ「マザー・ゲーム~彼女達の階級」
2015年、8月~9月舞台「もとの黙阿弥」に出演されています。
本学園の建学の精神は、「女性の本質を磨き、いつの時代にも適応できる教養高き女性の育成」という言葉で語り継がれてきました。
生徒たちには、この建学の精神の下での中高6年間の学びを通して、豊かな感性と高い教養を身につけ、社会で生き生きと活躍する女性のリーダーとして育ってくれることを願っています。さらに、本学園で育まれた女性ならではの感性を持った卒業生が社会で活躍することによって、より精神的に豊かな社会づくりへ貢献することが、本学園の女子校としての社会的使命であると考えています。
貫地谷しほりさんが卒業された高校ですが、校則が厳しいとの噂がありました。現在は、違うようですが髪型は三つ編みと決まっていたという噂もありました。そういった厳しい校則は、高校の伝統や建学の精神を守っていくのに必要だという意見も見られました。
建学の精神に立ちかえり、山脇ルネサンスの教育目標を「社会で生き生きと活躍する女性のリーダーの育成」と定めました。そして、現代社会で女性が活躍するために必要な4つの力として、「自己知・社会知」「創造的学力」「自己啓発力」「協働力」を定めました。また、現代社会では経済活動のグローバル化、企業活動と科学技術の一体化が進んでいます。そこで、「国際社会で生き生きと活躍する女性」「高度理系専門職として働く女性」を21世紀の女性の働く姿として掲げ、その実現に必要な資質の育成を目指しています。
貫地谷しほりさんの出身高校、ここ数年「山脇ルネサンス」という改革が実を結び進学実績が上がったそうです。伝統的なお嬢様高校とは、少しイメージが変わってきているようですね。
貫地谷しほりさんの出身高校は、伝統ある「山脇学園高等学校」だったんですね。出身中学は、「山脇学園中学校」のようです。ただ、高校は中退されたという情報や、高校在学中に転校したという情報もありました。ですが、今回はこちらの高校を卒業されたということでまとめていきたいと思います。
貫地谷しほりさんの芸能界デビューのきっかけはスカウトだったんですね。中学時代から可愛かったんでしょうね。
伊藤正次演劇研究所より
「中学生のときにスカウトされて、芸能界に入ったものの、オーディションに落ち続けて、もう嫌だって泣いてました」
そのとき、母の知り合いを介して研究所の存在を知った。一般募集もしていない演劇研究所。元研究生には錚々たる顔ぶれが並ぶ。
当時、貫地谷しほり、中学3年。伊藤が「僕はね、お盆にお祭りをしたり踊ったりするのはどうかと思う」と続けて言ったことに面食らいながらも「帰ってきたとき、明るいのはとってもいいことなんじゃないかと思います」と笑顔で答えた。
「そうしたら、じゃあ、次から来なさいと言われて。よく分からないんですよ。なんでOKだったのか(笑)」
研究所の研究生では最年少。一番、歳が近かったのが斎藤工で、それよりも一回り以上も年齢が上の役者や表現者の中に、放り込まれることになった。
「でも、研究所の先輩に、この歳でここに来られることは、すごくラッキーなんだよって言われて、そうなんだと思ったけど、本当は全然分かってなかったですね、そのときは」
高校生だった貫地谷しほりさんが通った「伊藤正次演劇研究所」には、役者志望の方だけでなく様々なジャンルの方が集っていたそうです。映画監督・音楽家・画家等々。高校時代に大人に混じって過ごされた貫地谷しほりさん、きっと多くのことを学ばれたんでしょうね。
「実は、この前も、部屋を片付けながら、当時のレッスンのノートを読み返していて、本当に大事な言葉をたくさんいただいていたんだなって、改めて思いました。役者は芝居の中で生活しなくちゃいけないんだから、ふだんの生活の中からちゃんとしなさい。そんなことがいっぱい書いてあって」
貫地谷しほりさん、高校時代とはまた違った感じで教えられたことを受け止めていらっしゃるんでしょうね。
落合由佳
生年月日:1988年1月19日
職業:アナウンサー
出身地:東京都練馬区
青森朝日放送で活躍中のアナウンサー。ABAニュース・天気予報・スーパーJチャンネルABA・夢はここから生放送 ハッピィ(2013年4月~、司会)等に出演されている。
小田正実
生年月日:1980年7月22日
職業:フリーアナウンサー
出身地:東京都葛飾区
秋田朝日放送局入社ご、退社し現在はタレントユニオン所属のフリーアナウンサーとして活動している。
鳥居かほり
生年月日:1965年3月13日
職業:女優
出身地:神奈川県鎌倉市
『欽ちゃんのどこまでやるの!』1976年10月から1986年9月テレビ朝日で放送された人気バラエティ番組。番組内の企画で小堺一機さん、藤井暁さんと一緒にサンドイッチとして、レコードデビューもしている。
井上ひさしが大劇場に書き下ろした数少ない作品の一つで、昭和58(1983)年に新橋演舞場で初演された『もとの黙阿弥』。膨大なせりふに笑いとペーソス、そして涙と、井上作品の魅力満載の本作を、井上戯曲の演出をいくつも手掛けてきた栗山民也の新たな演出で上演、8月の東京、9月の大阪で夏の暑さを吹き飛ばします。
出演は、片岡愛之助さん貫地谷しほりさん浜中文一さん(関西ジャニーズJr.)大沢 健さん波乃久里子さん床嶋佳子さん渡辺 哲さん真飛 聖さん早乙女太一さんです。
「舞台のスペシャリストの皆さんとご一緒できて…」と緊張の様子ながらも、2作目となる井上作品なので、さらに深められるようにしたいと意欲を見せ、「台本の面白さをどうやったらお客様にお伝えできるか、毎日考えて勤めたい」と述べました。
愛之助自身は、「歌舞伎をやったことのない人間が少し教わって演じる設定なので、貫地谷さんを見習ってやろうと思ったのですが、貫地谷さんがうまいので、上手にならないようにと言っていたんです」。
貫地谷しほりは、「愛之助さんは下手にやっても、身のこなしが美しい」と話し、「私は歌いませんが、家でもずっと歌ってしまうような素敵な歌もあります」と紹介。
出演者のみなさんが声を揃えて観客席から見たいとおっしゃる喜劇の舞台の様です。
貫地谷しほりさんも、ベテランの俳優さん達と共演できて、ますます演技に磨きがかかるのではないでしょうか。
ここまで貫地谷しほりさんの出身高校についてまとめてきましたが、いかがでしたか。明るい元気なイメージとは違って出身は、お嬢様高校でしたね。幅広い年代の方と演劇を一から学び充実した高校生活を送られていた貫地谷しほりさん。これからも注目して見ていきたいですね。
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