軍隊?刑務所?今田耕司の出身高校は凄まじいスパルタ指導だった!
2016/08/15
きゃとらん
今田耕司さんの通っていた高校が凄過ぎる……!と話題に……
性別: 男
生年月日: 1966年 03月 13日
身長/体重: 174cm / 65kg
血液型: A型
出身地: 大阪府大阪市
趣味: 格闘技/マンガ/映画/フィギュア収集/ピアノ/掃除
1985年 NSC大阪校4期生
今田耕司さんの通っていた高校がすごい!と話題になっています。
一体どんな高校なんでしょうか?
今田耕司さんの通っていた高校について、調べてみました。
今田耕司さんのトークで発覚した
今田耕司さんの通っていた高校が凄過ぎる!
三重県にある日生学園高校です。
この日生学園第二高校のスパルタ教育はあまりにも有名。
有名人では、ダウンタウンの浜ちゃんこと浜田雅功の母校で、何度も脱走し、相方である松ちゃん(松本人志)の家に逃げ込んでいたそうです。
松本さん曰く、浜田は死にそうだったとか。
今田耕司さんが通っていた日生学園………
現在は進学クラスが出来たり進英国式教育を実施するなど、昔とは様子が違うようですが、今田耕司さんが通っていた時期は相当に厳しかったようです。
卒業生だけど今はもう面影ないよ
不登校と退学食らった奴が多い
朝起きてマラソンと掃除して学校行って帰って強制の自習して就寝
クラスがテストの結果によってコロコロ変わる
どの寮も体育会系が幅利かせてる
今田耕司さんの通っていた日生学園の様子。
今田耕司さんの通っていた日生学園の昭和時代。
30年以上前の今田耕司さんが通っていた頃の日生学園は相当スパルタ教育だったんですね。
15年前に卒業した。
もう、自分らの時は創始者の息子が校長やっててユルユルだった。
自分が入学した時には創始者の強先生は亡くなってたけど、
強先生が残した書籍を読んだところ、在日や宗教家などの偏った思想では無く、
日本の未来を心配してこの学園を創設した感じだった。
んで、その強先生が大切にしていたのが『全力』で物事に取り組む姿勢。
どんな物事にも『全力』で取り組めと。
そこから、あなた達の個性が輝きだすのだと。
また、この世の中に必要とされて無い人など居ないし、誰もが必要とされ生まれてきたんだと語っていた。
『棒全力無我無我通天の精神をもって世の一隅の光たれ』
因みに、当時のトイレは常にピカピカだったみたいだね。
自分がトイレ掃除の当番の時にウンコ付いてたら嫌でしょ?
だから、絶対に誰も汚さないってさ。
朝5時起床で、朝から体育館のぞうきんがけをやらされ、校外への外出は、月1度の帰宅時以外許されない。
今回、今田は「トイレ掃除は、便器を素手で磨かされる。それは伝統でしたね。学校の掃除係とか、そうでしょ?素手でしょ?違います?」と語っていた。浜田は、「汚れとかも、爪で削って落としたり」と、代々、そのような掃除方法を強いられていたことを明かした。
「校長先生の話を聞く時に、物凄い数の生徒がいるんですけど、校長先生の目線からサッとそらしたら、校長先生が壇上から指を指すんです。その目をそらした生徒を。そうしたら、両脇から先生がやってきて…ペチペチペチって」と、気を抜くことを許さない厳しさについて語った。
他にも生活のあらゆる面では厳しく管理され、「甘い物、お菓子類は一切、禁止やったんですよ。だから、砂糖とか貴重品なんですよ。外から帰ってきたら、身体検査ってどこの学校でもやってると思うんですけど、変なものを持ち込まないように、全生徒が身体検査をされるんですよ」という。
「外からお菓子とか持ち込めないんですけど、工夫して持ち込まなダメなんで。僕がやったのは、生活用品は親から送ってもらえたりするんで、手紙の中で、『マクラの中に砂糖の袋を綿の中に入れて送ってくれ』って。僕の場合は、いちごミルクのアメが凄い貴重品なんで、いちごミルクをマクラの中に仕込んだりして。普段お世話になってた人に、いちごミルクを持ち込むことに成功しましたってことで、配ったりしましたね」と、寮生活について語った。なお、今田は以前、「角砂糖1個あればクラスをシメれた」とも語っている。
また、「月に一回、面会日で親が一度会いに来るんです。…これ、学校の話ですよ(笑)そのときに、山の敷地内で親と自由な時間があるんですね。そこで、ケーキを手渡しでもらうんですけど、持ち込めずに処分せなアカンので、山の陰で食べて寮に戻る、みたいな」と、まるで刑務所のようなシステムの寮生活であったようだ。
高校時代は今田耕司さんも浜田雅功さんもみんな坊主。
寮内での先輩・後輩の上下関係は厳しく、「先輩がみんな寝静まってからトイレに呼んでいただき、ご指導いただきましたよ。『こういうところがアカンぞ』ってことで、お腹を蹴られたりとか」と、"指導"が色々あったという。
また、浜田雅功に関しては、「浜田さんは、副学寮長。副学寮長っていえば、僕らからしたら、凄い人ですから」と言い、「浜田さんの場合は、学校出て、吉本に入ってから、それを僕にやってましたからね。風邪薬買ってくるので間違ったら、思いっきりドツかれたんですよ」と、卒業してからも、その片鱗を覗かせていたそうだ。
今はほんと普通の共学高になったんじゃねえかな?
昔は素手で便所磨かされてたり、本当にきつくて脱走するやついっぱいいたらしい。
そんな厳しい環境で浜田は寮長になってみんなを統制する役割を担ってたから相当根性あった
壮絶な高校生活に、今田耕司さんは一年持たずに脱走を決意………!
しかし、その厳しい生活に耐えかねて、今田は脱出を試みた。一年生の秋に一度目に脱走。ちなみに、脱出した生徒がいると、アラームが響き渡り、その生徒が見つかるまで、1年生は正座させられるとのこと。
電車賃を捻出するため、数千円を持ち込む際、「パンツの玉の裏に、小さく畳んで持ち込んだんですよ」と語った。それは夏頃の話で、いよいよ無理、と思った際に使おうと思ったという。
消灯してから、学校の体操着で1回、下見をしてあった1階のトイレの窓を開けて学校を出た。まず、山奥にあるため、車のライトが向かってくるということは、全て先生が捜しにやってきていると分かる。ライトから逃れるように草むらに隠れ、下半身は全て水に浸かってしまったという場面もあったそうだ。
最寄りの駅に行こうものなら、「脱出した生徒が駅にやってきている」と通報されてしまう。そのため、山を一つ越え、先の駅で電車に乗らなければならなかった。結局、2山越えて、途中で野宿しつつようやく電車に乗ることができた。
その駅に着いてからも、「いつ見つかるのではないか…」と思い、身を屈めていたそうだ。ついに電車が走り出したとき、一緒に脱出した仲間とともに、手を取り合って喜んだという。
大阪の実家に帰宅したところ、「一回、学校に辞める手続きに戻ってください」と言われ、戻った。教師は「お母さん。これからこの子が学校を続けるって言うまで、僕はこの子を殴ります」と言われ、5~6発目には「続けます」と言ってしまい、しばらく学園生活を続けたそうだ。だが、結局、冬休みの帰省をきっかけに退学したという。
本当に高校生活の話というよりも、監獄からの脱走のような今田耕司さんの高校時代の話でした………30年以上前の高校時代の話とはいえ、すごいですね。
今田耕司さんだけでなく、浜田雅功さんも脱走!
一方、浜田も脱走を試みたことがあった。松本人志は、「浜田さんも一回、脱走したことがあったんです。『とりあえず、お金を持って迎えに来てくれ』って、鶴橋駅まで迎えに行って」と、当時のことを語っていた。
「お腹も減ってて、立ち食いうどん屋に連れてったったら、アッツアツのうどんですよ。僕、忘れられませんけど、腹減ってたんでしょうね。一すすりで食べましたよ」と、大変な思いをして脱走を試みた様子について明かしていた。
今田耕司さんと同じように、浜田雅功さんも高校を脱走したことがあるそうです。
よほど厳しかったんですね………
いかがでしたか?
今田耕司さんの壮絶な高校生活についてまとめてみました。
今田耕司さんのお笑いの先輩である浜田雅功さんも同じ高校の先輩だったとは、なんだかすごい偶然ですね。
そんな過酷な高校生活に耐えて、今の浜ちゃんの性格が形成されたのでしょうか………
今田耕司さんも浜田雅功さんも高校時代は大変だったんですね……
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