鈴木杏樹の本当の父親はあの人って噂は本当?父親の真相に迫る!
2016/09/12
すまいる
ウィキペディアで千秋さんを検索するとこのように出てきます。幅広い分野で活動していることが分かりますね。父親の紹介をする前に、まずは千秋さん本人の紹介をさくっとしてみたいと思います!
千秋(本名:藤本 千秋)
1971年10月26日生まれの44歳。見た目にはとても40過ぎとは思えない幼く見えるルックスとファッションも千秋さんの特徴のひとつですよね。身長は151cmと小柄です。
千秋さんの芸能界入りは1991年。当時フジテレビで放送していた「ゴールドラッシュ」というオーディション番組に出演し見事に準優勝。しばらくの間は目立った活躍はなかったものの、1992年に「ノンタンといっしょ」という、同名の絵本をアニメ化した作品で主役のノンタン役を担当し、主題歌も歌っていました。
ポケットビスケッツ時代の千秋さん
千秋さんに転機が訪れたのは1996年。「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」の番組から誕生した「ポケットビスケッツ」でボーカルを担当することが決まりました。夢だった歌手になることができた千秋さんは、数々のヒット曲を世に送り出すことになります。
対抗するグループとして「ブラックビスケッツ」が誕生し、そのボーカルだったビビアン・スーと千秋さんは、共に苦労しつつも「戦友」として切磋琢磨したことからとても仲がよかったそうです。当時小学生だった筆者としてはとても懐かしいです。全国で人気調査のアンケートをしていたことを思い出しました。
千秋さんが芸能界に入ることに反対だったという父親。お待たせしました、次はいよいよ千秋さんの気になる父親についての紹介に移ります。なんでも父親は財界でもかなりの有名人だそうですよ!
千秋さんの父親・藤本勝司さん
こちらが千秋さんの父親、藤本勝司さんです。テレビの有名企業の記者会見に出てきそうな雰囲気満載ですね!実際に千秋さんの父親はある有名企業の元社長だったそうです。
会社名を聞いてもピンとこない方のために。千秋さんの父親が社長をしていた日本板硝子株式会社とは世界第一位とも言われるガラスメーカーです。
千秋さんの父親がまだ社長を務めていた2006年時点の売上です。単純に売上だけを見ても父親の会社がいかにすごいか分かりますよね。ちなみに創業は1918年という老舗中の老舗です。
兵庫県出身の父親は大の阪神ファンだそうで、東京の阪神タイガース公認の後援会を発足させたメンバーの一人だとか。千秋さんも父親の影響からか阪神ファンで知られており、千秋さんの元夫、遠藤章造さんとも阪神ファンという共通点がきっかけで結婚したとか。ちなみに、千秋さんと遠藤章造さんは結婚当時、夫婦そろって父親が発足させたこの後援会に所属していたらしいです。
千秋さんの父親は一度、社長から会長職へ退いたことがありました。しかし2009年、父親に変わって社長を務めていたスチュアート・チェンバースという人物が辞任することになり、再び父親が社長に就任します。
このスチュアート氏が社長を務めている間に、父親の会社は大赤字になってしまいます。スチュアート氏の引責辞任という形で再び父親に白羽の矢がたったのです。
自分の父親がそんなすごい人だと全く知らなかった、という千秋さん。長年一緒に暮らしていてそれはないでしょう!大企業の社長令嬢となれば、さぞ贅沢な暮らしをしていたはず、と思い調べてみることにしました!
千秋さんは2004年33才の時にファッションブランドを
立ち上げたのですが、その立ち上げに協力してくれた人が
「千秋さんのお父様は財界でもよくお名前が挙がりますね」
と言ったそうです。
千秋さんは11年前、自分のブランドを立ち上げました。そのとき協力してくれた人物から、父親の名前をよく聞きますよ、と言われたそうです。
その時、千秋さんは否定したんだそうです。
というのも、両親はいつもボロボロの洋服を着て、
いかにも貧乏って暮らしをしていたからなのだそうです。
ところが千秋さんは「なんのことだ?」とでも言いたげにその話を否定。普段見る父親の姿がとてもそんなすごい人に見えなかったからだといいます。
おそらく本当に父親について知らなかったのでしょう。自宅でもそんなに贅沢はしていなかったという千秋さんの父親。ナゼなんでしょう?
千秋さんの母親は、千秋さんに自分の父親の職業について話してほしくなかったといいます。と同時に、千秋さんに自分たちがお金持ちなんだと思わせないようにしていたのでしょう。教育に悪いと思ったのでしょうか。
「千秋」という芸名には千秋さんの家族への想いが込められていました。そこには、父親と衝突した過去があるといいます。
芸能界入りを反対した父親と衝突したという千秋さん。
それで、もめた挙句、半ば強引にデビューをします。
その時に、家族に迷惑をかけないように
「藤本千秋」の「藤本」を外し「千秋」として
デビューしたのだそうです。
上で紹介したオーディションを受けたときには「藤本千秋」だった芸名を、父親や家族に迷惑を掛けないようにと「千秋」に変更したそうです。もし「藤本千秋」のままだったら、父親が財界でもトップクラスの有名社長だと気づく人もたくさん出たことでしょう。そうすれば父親のコネだけで芸能界で生きていくことができたのかもしれません。それをしなかった千秋さん、自力で現在の地位を掴んでいるのですから流石です。
父親の力を借りず、自らの努力で現在まで芸能界を歩き続けた千秋さん。千秋さんが立ち上げたファッションブランドの会社もかなり好調だと聞いていますから、父親から商売の才能を多分に受け継いでいるのでしょうね。千秋さんも将来は大物実業家になるかもしれませんよ!?
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