輝き続ける女優・宮沢りえを支え続けた「りえママ」こと母・光子さん
2015/11/02
onozawa
宮沢りえ
生年月日:1973年4月6日
出身地:東京都練馬区
血液型:B型
職業:女優・歌手・ファッションモデル
1985年、11歳のときに雑誌の表紙モデルとなる。その後CMに出演すると人気が高まりトップアイドルの一人となる。2002年に出演した映画「たそれが清兵衛」に出演して映画は大成功。女優としての活動の幅が広がっていく。さらにはナレーション業もつとめるなど、幅広い分野に活躍の場が広がりつつある。
落ち着いた演技を見せる宮沢りえ
プロ野球・読売ジャイアンツの大ファンであるらしく、現在は同チームのヘッドコーチを務める川相昌弘のファンだったそうだ。
宮沢りえは前述したとおり2012年に元夫と離婚している。宮沢りえの娘は父親のことなどほとんど覚えていないだろう。その理由については後に触れるとして、実は宮沢りえ自身も寂しい幼少時代を過ごしていたことが分かった。
果たして宮沢りえの父親はどんな人物なのか。
宮沢りえさんの母親・光子さんは、働いていたクラブでオランダ人男性と出会い恋に発展。このオランダ人というのが宮沢理恵の父親だ。
宮沢りえさんを支えてきた母・光子さん(左)
その仲の良さから「りえママ」の愛称でファンからも親しまれていた。
恋に落ちたまではよかった。だがほどなくして宮沢りえを授かり出産したあと、宮沢りえの母親は生まれたばかりの娘を置いて宮沢りえの父親の祖国で共に暮らすために、宮沢りえの父親と二人きりでオランダへ渡ってしまう。
その後、光子さんはオランダの家族と折り合いが悪くなり離婚。そのまま一人で帰国してくる。その間宮沢りえはタクシー運転手をしていた祖父の手によって従兄弟とともに暮らしていたようだ。このときが人生で一番幸せだったと語っている。
つまり宮沢りえはほとんど父親と会話した記憶もなく、顔もろくに知らぬまま両親が離婚してしまったのである。オランダ人の父親と日本人の母親。ハーフだったことは子供のころはコンプレックスだったという宮沢りえ。父親がそばにいればまだいくぶん違っただろうが、今となってはその父親もどうなっているか分かるわけもなく、コンプレックスは一生つきまとうのだろう。
なお宮沢りえの父親に関する情報はこれだけ。名前や写真も見つからず、宮沢りえとのエピソードなども分からなかった。悪く言えば「娘を捨てた父親」ということしか情報がないのである。今にして思えば、宮沢りえを一人ぼっちにしたという罪悪感が母の光子にあったからこそ、芸能界入りした宮沢りえを支えていこうという決心に繋がったのではないだろうか。
宮沢りえ自身の父親に関することは不明な点が多すぎた。では、宮沢りえの娘の父親はどうなのだろうか。わずか3年で終わった結婚生活で、娘は父親のことを覚えているのか?
2009年2月14日、妊娠6か月であることを所属事務所からのFAXで発表
相手は40歳代のハワイ在住、日本人実業家で元プロサーファーであることが明らかになった
娘の父親は宮沢りえよりも年上で、しかもハワイに住んでいた。
これを見ても分かるとおり、妊娠6ヶ月での「でき婚」だった。ハワイに住んでいたその男性とどこでどう知り合って関係に発展したのかはよく分かっていない。が、娘の父親は結婚当時47歳だったとも言われている。宮沢りえは身重の体で、当時出演していた舞台に最後まで出演していた。それを見ていて何か思うところはなかったのだろうか?
こちらが宮沢りえの元・旦那。名前などは公表されていないので不明だが、元サーファーというだけあってがっしりした体格に日焼けした体は強い男性を象徴させる。
父親に「捨てられた」宮沢りえと、父親を「よく知らない」娘。似たもの同士の親子である
宮沢りえの離婚騒動がマスコミを賑わしている。
「結婚生活の中で生まれた調和することのできない考え方の違い」が重なったことが原因だとのことだが、結婚時にある程度のことは予想できたはずである。
結婚から3年後の'12年5月、りえはFAXでN氏とはすでに別居状態にあり、弁護士を通じて離婚協議をしていることを明らかに。すぐにでも離婚成立が発表されると思われていた。
亭主が拠点とするハワイと日本との“別居生活”は文字通りすれ違い。現実的には、りえの収入で支えていた。りえまでハワイで暮らせれば、仕事がなくなり生活が成り立たない。亭主が日本で暮らし“主夫”に徹すれば離婚は避けられた。
ハワイに拠点を置き、なにをしているのかよく分からない旦那との結婚生活を続けていくことなど無理があった。宮沢りえも旦那もそれくらい分からなかったのか?さらに記事によれば、宮沢りえの収入で家計を支えていたそうだ。であるならば旦那は日本に戻ってきて父親として娘の面倒を見たり家事をしたりするべきであるのは言うまでもない。
宮沢りえもその娘も、「父親」という存在に悩まされてきた。娘に将来、父親のことをなんと話すつもりなのか。宮沢りえ自身、「宮沢家には男運がないのではと心配」というようなことを話していたそうだが、このままでは心配は現実のものとなってしまうだろう。
ちなみに娘の父親とは現在も離婚が成立したとは聞こえてこない。娘の父親に少しでも、父親としての自覚があるならば今からでも日本に戻ってやり直すという選択肢もあるはずだが・・・。
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