ボクシング日本人初3階級制覇の亀田興毅、その知られざる母親の姿とは!?
2015/10/09
taku3
亀田興毅
出身地:大阪府大阪市
生年月日:1986年11月17日
職業:プロボクサー・実業家(亀田プロモーション代表取締役社長)
※亀田プロモーションとは、亀田三兄弟が所属する個人事務所で、主に三兄弟のリング外での活躍(スポンサー契約、テレビ出演のマネージメント)をサポートする会社
日本人初の3階級制覇王者として有名。大阪から世界を目指すボクシング一家としてテレビで何度も特集番組が放送されるようになってから大ブレイク。父親譲りの壮絶な舌戦とファイトあふれるボクシングスタイルで、ボクシングをお茶の間に広めた。
11歳で父親からボクシングを教わる。その過酷な練習は後にメディアを通して伝えられる。
亀田興毅の父・史郎
一時期は亀田興毅の話題より、史郎氏のジムがどうなるのかを報じる話題が多かったような・・・。
そしてメディアに登場するのは史郎氏だけで母親に関しては名前すら聞いたことがない人もいるだろう。
某ボクシング漫画を彷彿とさせるような半生を歩んでいくことになる亀田興毅。父親に厳しく鍛えられたのは良いが、人格形成という意味では父親から離れたほうがよかったのかもしれない。
のちに亀田興毅や父親は相次いで問題を引き起こすことになる。
父・亀田史郎が控え室でWBCやJBCの役員に対して暴言を吐き、メディアに対して「安河内(JBC事務局長)のクビをとる」などと不適切な発言をした問題で亀田ジムの無期限活動自粛と興毅、大毅、和毅の3人の東日本ボクシング協会の協会預かり選手になることが決定した
亀田興毅と兄弟たちは父親の経営するジムに所属し活動していたが、2010年に世界フライ級暫定王者ポンサクレック・ウォンジョンカムと対戦して亀田興毅が敗れた際に父親が暴言を吐いた問題でジムは活動自粛に追い込まれる。
そろって謝罪会見にのぞむ亀田親子。このとき史郎氏はカメラの前で謝罪する息子に「オマエ本気で謝れ!」と怒鳴っていたが・・・息子よりも親である貴方が最初に頭を下げるべきでは?
2009年11月29日、WBC世界フライ級王者内藤大助に12回判定(3-0)勝ちを収めて、ファイティング原田・柴田国明・井岡弘樹・畑山隆則・戸高秀樹・ホルヘ・リナレスに次ぐ、日本のジム所属の選手で7人目の2階級制覇を達成した。
しかしこの試合において、亀田興毅が反則を繰り返していたことが発覚。3ヶ月の試合自粛を求められた。勝利自体は取り消されなかったものの、大バッシングを浴びた。
これらの問題を含め、亀田興毅とその父親が引き起こしてきたトラブルをあげるとキリがなくなってしまうが、せっかくの3階級制覇の偉業もすっかりと忘れられ、お茶の間ではボクシング選手よりはヤンキーというようなイメージがついてしまったように思う。
亀田興毅の母親はなにをしていたのか?父親がボクシングの練習に付きっきりならば、家庭では母親がしっかりと教育すべきではなかったか?メディアに登場しない母親について調べてみよう。
良い意味でも悪い意味でもボクシングを世間に広めてきた亀田興毅とその家族。しかし前述したとおり、一家を特集する番組でも母親はほとんど登場しない。
亀田興毅に母親はいないのではないか?と囁かれるほどである。そこでここからは気になる亀田興毅ら兄弟たちの母親について触れてみたい。
母親の名前は似知子さん。史郎氏とは2度結婚し2度離婚しているとのこと。
この親にしてこの子あり、とはよく言ったもので父親も母親もヤンキーだったらしい。
亀田興毅の母親がテレビに登場したシーン
元のテレビ放送が古くあまり画質はよくないが、亀田興毅たち兄弟の母親がテレビに登場した貴重なシーンがこちら。
ヤンキー同士の結婚は長続きしない...とどこかで聞いたことがある。亀田興毅の母親も史郎氏との間でなにかしらトラブルがあったのだろうか?
ここでは母親と史郎氏の離婚の原因について触れてみたい。
父史郎さんは、息子にもボクシングを指導するようになり、子供が中学生になる頃には、
子どもに「学校には行くな」などと述べ、平日にもかかわらず、
ボクシングの合宿を行うなど、幼少時代からボクシング漬けの生活をしていたそうです。
史郎氏は昔工事現場で働きながらボクサーを目指していた。息子にもボクシングをやらせたいと思っていた史郎氏は亀田興毅が中学生になるころからボクシングの練習を始めさせた。
そこまではよかったが史郎氏は学校よりもボクシング!と、亀田興毅を学校に行かせなかったそうだ。
ところが母親は学校に行ってほしいと思っていた。この教育方針の違いが大きな離婚の理由だという。元ヤンキーである自分たちのようになってほしくないとの母親の切なる願いだったのか・・・なんにせよ母親の意見は正しいように見える。そして亀田興毅たち兄弟は離婚の際にどうしたのか?
亀田興毅たち兄弟は全員史郎氏についていったという。母親の愛情よりも父親の指導をとったということか。
こういう経緯もあって、亀田興毅ら兄弟は母親に代わって史郎氏が育ててきたのだという。ボクシングに熱心に取り組み、後に3兄弟それぞれが世界を相手に戦うボクサーになったのだから結果的には良かったのだろうか・・・。
亀田興毅と母親とのエピソードから見える、亀田興毅の想いとは。
TVからの情報ですが、亀田三兄弟は母親に
大変感謝しているそうです。
亀田家の知り合いの方が、
「母親の存在がなかったら、あいつらは
ここまではこられなかっただろう」と言って
いたので、影ながら協力、支えていてくれた
のだろうと想像いたします。
母親に言ったとされる「二本目」というのはチャンピオンベルトのことだろう。
史郎氏と離婚したあとも、母親は陰から亀田興毅を支え力になっていたのかもしれない。母親は試合を見に行ったことはないそうだが、リング外での母親からのサポートというのはおそらく亀田興毅にとって何よりも力になったのだろう。だからこそこの感謝の言葉が出たのだと思う。
懐かしいなぁ・・・と思いながらこの記事を書いてきた。亀田興毅はいまどこでなにをしているのだろう?名前を聞かなくなってずいぶん立つような気がする。プライベートでは結婚し子供もいる父親だけに、更なる活躍を期待したいところではある。
ただしそのときは、自分の子供に見せられるような正当で潔いファイトを見せてほしいものだ。
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