ボクシング日本人初3階級制覇の亀田興毅、その知られざる母親の姿とは!?
2015/10/09
taku3
亀田 興毅(かめだ こうき)
生年月日:1986年11月17日(28歳)
出身地:大阪府大阪市
本名:亀田 興毅
通称:浪速乃闘拳
階級:スーパーフライ級
身長:165.9cm
リーチ:169cm
左ボクサーファイター
亀田興毅の家族といえば、亀田3兄弟に父親の史郎さんというイメージが強いですが、母親も妹さんもいて子供が4人の6人家族だったのです。しかし、父親の史郎さんと亀田興毅の母親の教育方針の違いから、亀田3兄弟は小さい頃から父親の史郎さんが育てたのだとか。
亀田興毅さんの母親の子供に対する思いはとてもよくわかります。
せめて中学はきちんと他のお子さん同様に通って欲しかったというのは、母親としてはごく当たり前の気持ちですよね。 きっと子育てに関する全てが父親である史郎さんと亀田興毅さんの母親とでは違った結果、離婚となったのでしょう・・・。子供たちが可哀想ですね。
父史郎さんは、工事現場の解体職として働きながら、
プロボクサーを目指していた経歴から、次第に息子にも
ボクシングを指導するようになり、子供が中学になる頃には、
子供に「学校に行くな」などと述べ、平日にもかかわらず、
ボクシングの合宿を行うなど、幼少時代からボクシング漬けの生活をしていたそうです。
極端な教育方針の父、史郎さんに亀田興毅の母親はついていけなかったんでしょうね。同じ気持ちで学校にいく必要がないとは、やっぱり母親ですから言えません。 そんな思いを父親の史郎さんは考えることなく、子供たちにボクシングを教えていたんだろうな・・ということがわかります。
子供の頃の亀田興毅は、父親と母親の考えの違いでもめていた姿を見てどう思ったのでしょうか。
亀田興毅の母親と父親は、教育方針の違いから離婚してしまいますが、離婚の時に子供たちは母親ではなく父親を選び、またボクシングを選んだのだな・・と。その時の母親の気持ちってどうだったのだろう。世界チャンピオンという形になってホッとしたのでしょうか。母親の心理は複雑ですね。
やっぱり亀田興毅さんの中には、きちんと母親の存在があったんですね。
この言葉だけで、母親は生んで良かったと思うのでしょうね。
亀田三兄弟は母親に
大変感謝しているそうです。
亀田家の知り合いの方が、
「母親の存在がなかったら、あいつらは
ここまではこられなかっただろう」と言って
いたので、影ながら協力、支えていてくれた
のだろうと想像いたします。
母親への感謝。 母親の存在。 陰ながらきちんと亀田興毅をはじめ子供たちのことを支えていたのだなということがわかります。
教育方針が違うから離婚となったようですが、それで全てを投げ出してしまった母親ということではなかったようですね。
母親にとって、子供と離れて暮らすというのは本当に切ないことです。
恨まれていてもしょうがないと思うと思いますが・・・感謝を述べられて本当に嬉しかっただろうな。
素敵な話ですね。 亀田興毅さんって生意気というイメージがありましたが、噂どおりの好青年なのかも。普段は戦わなくてはいけないからビッグマウスで威嚇してるのかな。素の亀田興毅さんをもうちょっと見たいなと思いました。
亀田興毅と言えば、生意気でやんちゃというイメージがありますが、実際の亀田興毅と接したことのある人や交流のある人のほとんどは、本当に好青年だといいます。
テレビで見ている亀田興毅と実際は違うんですね。
離婚して自分たちのそばにいなくなってしまった母親に対する思いを聞いても、本当にいい子なんだなということがわかります。
まだ、日本でボクシングの試合をすることはできませんが、世界でこれからも沢山活躍して欲しいですね。 また、最近は亀田興毅もご結婚され、父親となったようなので、素敵な家族を作っていって欲しいです。
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