2018/11/14
naonao
浅田 真央(あさだ まお)1990年9月25日
日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)
2010年バンクーバーオリンピック銀メダリスト。2014年ソチオリンピック日本代表(6位)。2008年、2010年、2014年世界選手権優勝。グランプリファイナル優勝4回。グランプリシリーズ通算14勝。2010年バンクーバーオリンピックでは、女子シングル史上初めて、1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させた。
姉はフィギュアスケート選手・スポーツキャスターの浅田舞。
若い頃は大阪のホストクラブでナンバー1だったという父、敏治氏は、30歳前に独立して複数の店舗を経営。1997年には、経営していたランジェリーパブをめぐって公然わいせつ容疑での逮捕歴もあるという。浅田姉妹の母である匡子さんとも「ホストと客」として出会って“できちゃった婚”。そうして生まれたのが姉の舞で、2年後に真央が誕生している
浅田真央さんの活躍とは裏腹に、父の敏治氏はかなり女性関係にだらしない方だったようにうかがえます。母、匡子さんとの出会いも飲み屋さんだったのですね。浅田真央さんの父と母の出会いにも驚きました。
浅田真央さんは2014年2月のソチオリンピック終了後、真央は引退と現役続行の可能性について「ハーフ、ハーフ」と答え、約1年間の休養へ。日本中が待ち望むなか、今年5月18日に現役続行を表明した。
しかし『週刊新潮』によると、真央が復帰宣言した直後の5月23日、父・敏治氏が逮捕されていた。前日の22日、敏治氏は交際相手の50代女性に対して暴力を振るったため、身の危険を感じた女性が警察に通報。女性は病院に緊急搬送され、敏治氏が逮捕されたという。
娘の復帰宣言から5日・・・。父親として責任感などというものはないのでしょうか・・・?母を亡くした浅田真央さんの力になってあげてほしいものです。
浅田真央さんの父親である以上、「関係ない」と言い切れないと思います。
少なからず一番浅田真央さんが気持ち的に影響しているのではいでしょうか・・・
真央の進退が明らかにされる前に行われたイベントでは、取材陣から妹の復帰について問われた中で、舞はこう語っている。
「フィギュアスケートって、サッカーとかとは違って1週間前に復帰したからって出来るものではないんです」
この発言は「サッカー選手に失礼!」など大炎上に発展した。
このような浅田舞さんの破天荒さは、父親譲りの何かがあるのかもしれませんね。優等生の浅田真央さんとは対極の浅田舞さんは長女というだけあって少なからず影響を受けていそうです。浅田真央さんの活躍によって、舞さんが母と触れ合う時間が少なかったというのも理由のひとつでしょうか?
当時、カナダで行われる、フィギアスケートの国際競技会である、GPファイナル進出を決め、3季ぶりにここまで残った浅田真央は、この大会開幕直前に、それまで病気で治療を続けていた、最愛の母、匡子さんの、体調不良悪化の一報を受け、そのまま日本へ帰国、それでも、病気療養中だった母の死に目にあうことは出来ず、悲しみの対面となったのです。
浅田真央さんは、自分の母を「最愛の母」表現されているように、やはり浅田真央さんにとって母の存在はとても大きく支えになっていたのですね。浅田真央さんの活躍を一番喜んでいたのも母の匡子さんではないでしょうか?若い浅田真央さんの成長を見れずに亡くなった母の気持ちと若くして母を失った娘の気持ちを思うと言葉になりません・・・
そして、匡子さんの症状は、亡くなった年の夏頃に急激に悪化していき、その後は復活する気配を見せず、残念ながら、48歳の若さでこの世を去ってしまいました。
母の匡子さんは肝硬変さんという病気だったようで、お若かった為、病気の進行も早いのですね。母にもしもの時があったら浅田真央さんがドナーになる予定だったそうですが、スケートに支障が出るからと自らの意思で断ったと言います。娘を思う母の気持ちに涙です。
青春を犠牲にして働いた男女は夜の街で出会い、やがて結ばれた。後の天才少女が生まれたのは、1990年9月25日。
宝塚ファンの父はトップスター大地真央にちなんで「真央」と命名した。
母には家庭の事情で諦めた夢があった。プロのバレエダンサーになる。その夢を託すように真央には3歳からバレエを習わせた。
両親の献身的な援助に支えられ、競技を続けてきた浅田真央、一流選手になってからは、一家を支え続けてきました。母は、48歳の若さで早世、父親は、ホストとして生計を立て、不足の分は借金を重ねながら、真央のフィギュアスケートに賭けてきたのです。
真央がフィギュアスケートを始めたのは5歳の時、フィギュアスケートのジャンプで、足首を強化し、バレエの上達につなげることが目的でした。
ところが、フィギュアスケートで、メキメキと頭角を現した真央は、小学校3年の時、全日本の新人発掘合宿に招集されました。
小学校6年では、特例として、全日本選手権に出場して、”フィギュアスケートの天才少女”と呼ばれて、全国にその名を知られるようになります。
今回、天才フィギアスケーターとして知られている浅田真央さんと母との関係をはじめ、その家族との関係性についてまとめてみました。
浅田真央さんとは違う魅力を持つ姉の舞さんに、破天荒ながらも娘の活躍を祈る父。
そして浅田真央さんのパフォーマンスに支障が出ないようにとドナーを断って48歳という若さで亡くなった母・・・
フィギアスケートはお金がかかるスポーツと言われているながら、母は借金をしてでも浅田真央さんの可能性にかけて全力で応援している素敵なご家族でした。
お母さんが見られなかったこれからますます綺麗になっていく浅田真央さんに注目です!
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