2015/10/27
sakurayuzu
有吉弘行
本名 有吉 弘行
生年月日 1974年5月31日
出身地 広島県安芸郡
血液型 A型
身長 172cm
猿岩石結成当時
二人とも若々しい!夢と希望に満ち溢れていると言う感じですね。
1993年3月2日放送分の『EXテレビ』(読売テレビ)の企画「公開弟子審査会」に合格し、オール巨人に弟子入りする。しかし兄弟弟子と喧嘩をして相手に怪我を負わせてしまい、巨人から謹慎を言い渡される。
1994年東京で森脇和成とお笑いコンビ猿岩石を結成し、猿岩石のボケ担当としてデビュー。太田プロダクションに所属。1996年、『進め!電波少年』でのヒッチハイクの旅企画で話題となりブレイク。
芸人の千原ジュニアは有吉の毒舌テクニックについて、「有吉は毒舌を言った後に絶対に笑う」というポイントを語り、アメ(笑顔)とムチ(毒舌)を使い分け、毒舌を吐いた相手を本気で怒らせない有吉のしたたかな芸風を指摘した。
猿岩石の前にオール巨人の弟子時代がありました。その後猿岩石を結成して大ブレイク!有吉弘行さんは運もあるんでしょう。
そして興味深いのは先輩芸人・千原ジュニアさんによる「有吉の毒舌はアメとムチ」と言う分析。そうですね。よく観察されています。実際笑ってくれないとただ文句言われてるだけになってしまいます。
有吉弘行さんは頭の回転も良いのでしょうね。
猿岩石
有吉弘行(ありよし ひろいき)広島県出身。ボケ担当。
森脇和成(もりわき かずなり)県出身。ツッコミ担当。
1996年4月、テレビ番組『進め!電波少年』の企画で「だまされて」香港に連れてこられた。帰国後、人気者になっていた猿岩石はテレビその他に引っ張りだこになった。
猿岩石でヒット曲が続く
12月、秋元康のプロデュースにより、藤井フミヤ、藤井尚之兄弟提供の「白い雲のように」を発売する。ヒッチハイクを連想させる様な曲でミリオンセラーになり、1997年の『第39回日本レコード大賞』の新人賞を受賞し、その後もヒット曲を連発。
アイドル扱いで大人気でしたが、正反対に芸人としての評価は下がる一方・・・本業から逸れてしまったがゆえに、しばらくすると人気も急降下。その後有吉弘行さんは地獄のような暗黒の時代が始まるのでした。
有吉弘行低迷期
毒舌の雰囲気はゼロですね・・・方向性に迷いがあるような・・・
しかしながら有吉は、転落してしまった現状に非常にストレスを感じ、相当に思い詰めていた。収入が少ないにもかかわらず、人に蔑まれるのが苦痛でアルバイトなどもできなかった
芸事の方向性も迷走し、有吉は漫画用具一式を購入し漫画家を志しかけたり、逸物を切り落として「オネエ」タレントとして再起を図ろうとしたり、AV男優になろうと考えてみたりしたこともあったという
2001年4月、フジテレビの「プレゼンタイガー」の企画で改名した。名前の候補には「手裏剣トリオ」と「なうまんぞう」があり、自ら「手裏剣トリオ」を選んだ。その頃、「さまぁ〜ず」等、芸人の改名が多く、成功例も多かったが、猿岩石の場合は人気が出ずに、同年の9月28日に「プレゼンタイガー」で「猿岩石への再改名」を宣言、「猿岩石」に戻った。
かなり長い間苦労されてますね。今の毒舌キャラが信じられないくらいの転落ぶり。猿岩石としても改名したりしましたが、人気が出ず、最終的に解散となってしまいました。くしくもこの解散からピン芸人となり、毒舌キャラ・有吉弘行が再ブレイクすることとなるのです。
有吉弘行さんって、こんなイメージですよね。やっぱり毒舌あっての有吉弘行と言う感じです。
このあだ名集・ほんの一部分ですよ!おもしろおかしく、でも的確に。有吉弘行さんの毒舌は中身がちゃんとあるんですよ。馬鹿にしているようで、上手にいじる。そんなかしこいやり方がさすがです!
現代思想の源流ともなったニーチェに対しても容赦ない。「なんじの敵には軽蔑すべき敵を選ぶな。なんじの敵には誇りを感じなければならない」という有名な言葉も「なんか言ってることが『少年ジャンプ』っぽい」「この人、一生童貞だったんですよね。やっぱ童貞の考え方ですよ」とバッサリ。
ニーチェの「若い頃からモテてきた男の想像力は犬以下である」という言葉については「モテない男のオナニーに賭ける情熱といったらすさまじいものがあります」「さすが、童貞のニーチェはその辺よくわかってますね。(中略)かなりの名言です。評価します」と称えていた。
本当によく考えるものだと感心しますよね~結構、的を得ています。
毒舌でも本人の個性を生かしていて、優しさも感じるのは気のせいでしょうか。一度どん底を味わっているからか、人をよく観察されています。
優しい笑顔ですね。
トップリード和賀が会場の飲み屋さんに向かっている途中に「ご祝儀袋買って来い」と有吉からメールが入った。買って行くと、有吉は文句を言いながらたくさんのお金を包んだ。
後輩に遠慮させないように有吉が好きな寿司を選び、「それ自分も食べたいというヤツは手をあげろ」という通称“有吉さん飲み”が行われる。有吉は「ああ中トロは全員だ」、「赤貝人気ないな」など、楽しそうに寿司を選んでいる。
テレビのキャラそのままで、その場を盛り上げてましたね。全く関係ない一般人相手でも話しかけられたり、呼ばれると毒舌っていうかキレキャラでちゃんと対応してました。あだ名もちゃんと付けてましたよ
TV番組内で、峯岸みなみが大物芸能人に怒られたという話をした際、
かなり落ち込む峯岸を「しょうがないし、きにしなくていんじゃない?さっぱりした人よ」とフォローをした。
有吉が商品券を差し出してきて「コレやるからさぁ、子供連れてってやれよ。換金したら多少お金になるだろ」と言ってくれたので、平子はその商品券をもらい、換金したお金で家族分のチケットを購入。無事にディズニーランドに行く事が出来、息子さんを悲しませずに済んだそうです。
プライベートでの有吉弘行
偶然ばったり再会したらしいですよ。再結成は二度とないのでしょうか・・・
今から5年前…有吉の相方が突然芸能界を引退。当時、周りの芸人たちは1人残された有吉に同情の声を寄せた。「なぁ、有吉。正直ムカつかないの?」すると、有吉はこう言った!
有吉「まぁ…あいつの人生だから。そんな悪く言わないでやってよ」ふかわ「有吉って優しいなぁ…」
少し挙げただけでこんなにありましたよ!毒舌キャラが定着してしまった有吉弘行さんですが、実はこんなに優しいエピソードが出てきました。
本当は繊細で良い人なのでしょうね。自分と同じ苦労やつらさを人に味あわせたくない、そんな優しさが伝わってきました。
いかがでしたか?今まで毒舌キャラとしか思っていなかった人は見方が変わったのではないでしょうか。やはり、はっきりとものを言う人ほど、裏に優しさがこめられていたりしますよね。
有吉弘行さんもどん底を味わってこそ、人間味も増し、人にやさしく出来るのでしょう。そして、毒舌トークで実は他人の個性を生かしたり励ましたり出来る才能があるのではないでしょうか。
幾多の苦難を乗り越えた有吉弘行さんだからこそ出来る毒舌キャラから目が離せません。
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