親密で有名だった美輪明宏と三島由紀夫の本当の関係とは?恋人同士?
2018/11/09
ミック0331
美輪明宏
本名: 丸山 明宏
(出生名 丸山 臣吾)
出生: 1935年5月15日
出身地:長崎県長崎市
学歴: 国立音楽大学附属高校中退
職業:シンガーソングライター、
俳優、演出家、タレント
レーベル:キングレコード
事務所:オフィスミワ
美輪さんの2歳上の兄・寺田安宏さんは「(美輪さんは)利口で、目がくりっとしていて、大人からよくかわいがられていた」と話しています。オルガンを弾きながら歌うことが好きな一方で、テストでも満点しか取ったことがないというほど秀才だったようです。
31歳の頃の三島由紀夫さん
三島由紀夫
本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)
出生:1925年1月14日生まれ、1970年11月25日没(満45歳)
出身地:東京都新宿区
職業:小説家、劇作家、教育法学士
最終学歴:東京大学法学部
活動期間:1941年 - 1970年
ジャンル:小説、戯曲、評論、随筆
代表作:『仮面の告白』(1949年)
『潮騒』(1954年)
『金閣寺』(1956年)
『鹿鳴館』(1956年)
『鏡子の家』(1959年)
『憂国』(1961年)
『サド侯爵夫人』(1965年)
『豊饒の海』(1965年-1970年)
晩年は政治的傾向を強め、自衛隊に体験入隊します。
1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地にて総監を監禁し、日本国軍を求めて憲法改正を訴える演説を行ったのち割腹自殺するという「三島事件」にて生涯を終えました。
学生時代の美輪明宏さん。
たしかに美少年!
美輪さんは早熟だったことを自身でも語っており、中学1年生で迎えた初体験の相手は先輩の男性だったそうです。そして、その美貌ゆえボーイフレンドに不自由することはなく、20代前半の雑誌のインタビューでは「今、付き合っているのは20〜30人」と赤裸々に語っています。
美輪明宏さん、思春期はずいぶん自由奔放だったんですね!
若い頃は女性の服を着ていなかった美輪明宏さん。
1957年にフランスのシャンソン『メケ・メケ』を日本語カバーし、艶麗に歌い上げる姿も相まって一躍人気を得ました。
三島由紀夫さんをはじめ、たくさんの文豪や有名人と出会ったと言われる銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で歌う美輪明宏さん
美輪明宏さんの美しさに魅了されたのは三島由紀夫さんだけではなかったようですね!
江戸川乱歩原作で三島由紀夫さんが戯曲化した「黒蜥蜴」は美輪明宏さんの代表作となりました。
女装をするようになった美輪明宏さん
三島由紀夫さん脚本の舞台「黒蜥蜴」のポスター。
脚本を書いた三島由紀夫さん、俳優として美輪明宏さんと共演も果たしました!
深作欣二監督の映画に出演した時の美輪明宏さん。
女性にしか見えません。
寺山修司さんの舞台「毛皮のマリー」の頃の美輪明宏さん。
三島由紀夫さん作品以外にも多数出演しています。
三島由紀夫さん脚本の「黒蜥蜴」は、現在まで何度も公演されています!
美輪明宏さんと三島由紀夫さん。
恋人ではないといいますが、お似合いの2人です。
美輪明宏が三島由紀夫と出会ったのはアルバイト先の銀座の喫茶店。「私は反権力派だったから、何が新進作家の三島由紀夫よって感じで、何度呼ばれても振り向きもしなかったの。でも、マスターに『お小遣いあげるから、お願いだから行ってくれ』って頼まれて、仕方なく横に座ったのよ」そんな反抗的な態度に三島が逆に惚れてしまい、二人の運命的な出会いが始まったのです。
三島由紀夫さんは美輪明宏さんに片思いだったのでしょうか?
親しかったものの、恋愛関係ではなかったようです。
実は、美輪さんは日活映画で活躍する赤木圭一郎さん(享年21)と恋人関係にあったことを公表しています。赤木さんは映画の撮影現場で不慮の事故のため逝去しました。
当時歌えないほどショックを受けていた美輪さんを叱咤激励したのが三島由紀夫さんだったそうです。
「石原慎太郎は、美輪明宏と遭遇した際に三島由紀夫について触れ、「お前が三島さんを殺したんだろう」と言い放った。ちなみにこの時美輪は「そうだよ。お前もついでにのろい殺してやる」と言い返したという。 」
美輪さんは三島由紀夫さんが亡くなったころは大変悲しい思いをしていたようです。
以上、美輪明宏さんの美しい画像をお届けしました。三島由紀夫さんから愛されていた話が有名ですが、実はほかにもたくさんの文豪や有名人もファンが多かったようです。
さらに男性からだけでなく、数年前のスピリチュアルブームなどで、女性からの支持も多いですよね!
80歳を迎えても、精力的に舞台に立たれている美輪明宏さん。これからも美しい姿を見せていただきたいです!
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