女優・秋吉久美子の美しき1970年代、美少女だった 若い頃の画像
2016/08/22
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美輪明宏
出生名 丸山 臣吾まるやま しんご(幼名)
別名 丸山 明宏まるやま あきひろ(本名及び旧芸名)
出生 1935年5月15日(80歳)
出身地 日本長崎県長崎市
学歴 国立音楽大学附属高校中退
ジャンル シャンソン
職業 シンガーソングライター、俳優、演出家、タレント
担当楽器 歌
活動期間 1952年 - 現在
レーベル キングレコード
事務所 オフィスミワ
元禄時代の小姓衣装を洋装に取り入れ、レース地のワイシャツ等を身に纏いユニセックスファッションと、三島由紀夫が「天上界の美」と絶賛した美貌で、マスコミから「神武以来の美少年」、「シスターボーイ」と評され一世を風靡する(自伝『紫の履歴書』)
美輪明宏『メケ・メケ』
若い頃の美輪明宏さんは、かなりスレンダーですね。
三島由紀夫
1956年
誕生 平岡 公威(ひらおか きみたけ)
1925年1月14日
日本・東京府東京市四谷区永住町2番地(現・東京都新宿区四谷4丁目22番)
死没 1970年11月25日(満45歳没)
日本・東京都新宿区市谷本村町5-1(市ヶ谷駐屯地)
墓地 日本の旗 日本・多磨霊園
職業 小説家、劇作家
言語 日本語
国籍 日本
教育 法学士
最終学歴 東京大学法学部
活動期間 1941年 - 1970年
ジャンル 小説、戯曲、評論、随筆
三島由紀夫は、「君の欠点は、僕に惚れないことだ」と言っており、映画『黒蜥蜴』では、美輪とのキスシーンがあるとの事で台詞のない役を引き受けたほどであった。
ある時、美輪のコンサートにバラの花束を直に差し入れに来たが、ただならぬ様子があったものも問いただすことが出来なかったという。そして、三島由紀夫事件が起きて、これが今生の別れとなってしまったという。
『暖流』にみる若い頃の美輪明宏
『暖流』にみる若い頃の美輪明宏
『喝采~銀巴里ライヴ』にみる若い頃の美輪明宏
その他、若い頃の美輪明宏の画像①
撮影当時の年齢は定かではありませんが、だいぶん若い頃のように見えます。
イケメンな美輪明宏さんです。
若い頃の美輪明宏さんの衝撃的な美しさをご堪能いただいたところで、現在の美輪明宏さんの土台となった若い頃の美輪明宏さんについて、振り返ってみましょう。
美輪明宏のがんばりの源
「天上界の美」と絶賛された若い頃の美輪明宏を振り返る動画
原爆投下から15分後に香焼島から撮影されたキノコ雲
10歳だった美輪は長崎への原爆投下時、長崎市本石灰町(爆心地から約4キロ)の自宅におり無事だったが(中略)6日後の終戦の日に爆心地近くにあった生母の実家へ祖父母を1人で探しに行き、惨状を目の当たりにする。
原爆により、父の貸付先が相次いで破産・他界したため、返金を受けられなくなった美輪一家は貧乏生活を余儀なくされた。その前に美輪の父の後妻が他界しており、父の後々妻も失踪する等の不幸に見舞われ、美輪は幼い異母弟達と辛い日々を送る
赤ちゃんのお耳 加賀美一郎・川田正子
国立音楽高等学校(現・国立音楽大学付属高等学校)へ進学。家業の倒産をきっかけに高等学校を中退、翌1952年、当時17歳の美輪は、新宿駅で寝泊りしていたが、銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』の美少年募集の張り紙をきっかけに、銀巴里との専属契約を交わし、歌手デビュー。国籍・年齢・性別不詳として売り出す。
美貌とファッションで一世風靡した若い頃の美輪明宏
1957年、 フランスのシャンソン『メケ・メケ』を日本語でカバーし、艶麗な容貌で、シャンソンを歌い上げ、一躍人気を博す。元禄時代の小姓衣装を洋装に取り入れ、レース地のワイシャツ等を身に纏いユニセックスファッションと、三島由紀夫が「天上界の美」と絶賛した美貌で、マスコミから「神武以来の美少年」、「シスターボーイ」と評され一世を風靡する(自伝『紫の履歴書』)。
「メケメケ」以来のブームは、1年程で沈静化。その間に、週刊誌にて、自身が同性愛者である事を公表したことや、旧来のシャンソンのイメージ(美輪曰く「蝶よ花よ、星よ月よに終始する“おシャンソン”」)に無い、自ら和訳した生々しい内容のシャンソンを歌唱した事に対する反発もあり、人気は急落
逆風の中、作詞作曲活動を開始。今もって美輪の主要なレパートリーとなっている「うす紫」、「金色の星」、「ふるさとの空の下」などの作品は、この頃、既に作詞作曲していた。しかし、その活動は当時の聴衆からも歌謡界からも理解を得られず、レコード化すらできなかった。美輪曰く「人様の情けに生かされた」不遇の時代が続くと共に、吐血など原爆症に悩まされ始める。
1963年には、中村八大らの助力により日本初となる全作品、自らの作品によるリサイタルを開催。翌、1964年には、「ヨイトマケの唄」を初めて、ステージで披露する。1966年、前年の内にレコード化された「ヨイトマケの唄」(「ふるさとの空の下で」とのカップリング)が注目され人気が再燃。
[VOSTFR] Kurotokage / Le Lézard Noir/ 黒蜥蝪 (1968)
1967年に、寺山修司の演劇実験室・劇団天井桟敷旗揚げ公演で、寺山が美輪の為に、書き綴った『青森県のせむし男』や『毛皮のマリー』に主演。
1968年、自伝『紫の履歴書』を発表。(初版は大光社より)
江戸川乱歩原作、三島由紀夫脚本の舞台『黒蜥蜴』以降も『椿姫』、『マタ・ハリ』、ジャン・コクトー原作『双頭の鷲』といった舞台や『黒薔薇の館』、『雪之丞変化』等の映画・テレビドラマでの主演を続ける。
以上、『「天上界の美」と絶賛された若い頃の美輪明宏を振り返る』でした。
その後の美輪明宏さんが気になる方は下記リンクよりどうぞ。
花束に見劣りしない美輪明宏
今回のまとめ
『「天上界の美」と絶賛された若い頃の美輪明宏を画像とともに振り返る』は以上です。
美輪明宏さんの若い頃の画像まとめ、『黒蜥蝪』の動画はお楽しみいただけましたか?
今でこそ上記画像のような金髪に赤い口紅の美輪明宏さんがお馴染みですが、若い頃の美輪明宏さんは『黒蜥蝪』でもお分かりいただけますように、女性としても男性としても美しい俳優であり、歌手でしたね。
まさしく、「天上界の美」「シスターボーイ」!
また、ゴージャスで、終始優しく穏やかな今の美輪明宏さんからは想像できませんが、若い頃は長崎への原子爆弾投下や同性愛者に対する理解がなかったために大変なご苦労をされたみたいですね。
逆境にひるまず、堂々とご自身の人生を歩んでこられた美輪明宏さんは、本当に偉大な方だと改めて実感いたしました!
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