3月で終了した「魂のラジオ」から分かる!福山雅治の意外な素顔
2022/01/21
ががさま
福山 雅治(ふくやま まさはる、1969年2月6日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優、ラジオDJ、写真家、音楽プロデューサー。所属事務所はアミューズ、所属レコード会社はユニバーサルミュージック。公式ファンクラブの名称は「BROS.」(海外居住者は「BROS.+」)。愛称はましゃ、マサジ、マーラダンコーン。
「結婚したい男性」として常に上位の福山雅治さん、46歳になった今でも根強い人気ですね。大河ドラマ「龍馬伝」の出演でファンの年齢層が広がったそうです。
歌手・俳優・写真家としての活動が有名ですが、今年3月に惜しまれつつ終了したのが福山雅治さんがパーソナリティをつとめたラジオ番組、ニッポン放送「福山雅治のオールナイトニッポン」でした。
1992年1月、ニッポン放送『福山雅治のオールナイトニッポン』木曜第2部のレギュラーがスタート。10月から木曜第1部を担当する。
1994年11月、『オールナイトニッポン』の担当が月曜第1部となる(1998年3月終了)。
2000年3月、ニッポン放送『福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ』スタート(2015年3月終了)。
途中2年間休止していますが、足掛け23年の長寿のラジオ番組でした。
1992年2月に撮影された「福山雅治のオールナイトニッポン」スタート当時の福山雅治。
『オールナイトニッポン』も中学・高校生時代によく聴いていたという。平日(月 - 金曜)は寝てしまうことも多くあまり聴いていなかったが、週末(土曜)に笑福亭鶴光がパーソナリティを務めた『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』は特に愛聴して鶴光の巧みな「艶福ネタ」を好み、ラジオにおける福山の話術にも影響を与えている。
番組内では下ネタも多かった福山雅治さんのラジオ番組、笑福亭鶴光の真似も披露していました。
他にもリスナーの相談にのったり原爆のことやエイズ問題や震災の復興について語るなど、素で話す福山雅治さんが魅力でした。
福山は「突然ではございますが、ラジオの前のあなたに、とてもとても大切なお知らせがございます」と切り出し、「2000年3月25日にスタートしたこの『福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル“魂のラジオ”』、放送開始から丸15年を迎える2015年3月28日にこの“魂のラジオ”終了となります。(中略)冗談じゃないんです。本当なんです。今、急に言われてもびっくりしている方多いと思いますが、来週の生放送で改めてゆっくりお話しできればと思います」とアナウンスした。
2014年12月6日の番組の終わりに突然発表されたラジオ番組終了のお知らせ、これにはリスナーも驚き翌日のニュースでも話題となりました。
同じ頃に過去に担当していた番組ディレクターが病死したこともあり、これも少なからず理由では?と噂されました。
3月28日『福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル“魂のラジオ”』最終回の模様
福山は2014年12月13日の放送の中で「深夜放送のパーソナリティーを卒業します」とした上で、「1番(の理由)は生放送を続けていくのが難しい」「体力的に厳しい。眠いな、と」と話した上で、理由を説明し、リスナーにお詫びした。なお、福山がラジオの深夜放送をするのが厳しいと思い始めたのは、「2010年の『龍馬伝』のとき」だったという、また、福山は「ぼくにとって、深夜の生放送というのがラジオをやる上で大切なポイントだった」とニッポン放送側から打診された別の時間帯での番組継続を辞退した理由についても語った。
荘口彰久さん(左)と構成作家の小原信治さん(右)
番組は福山と荘口がリスナーから寄せられたその週のテーマに沿ったメールを紹介しながらフリートークを展開していくため、オールナイトニッポンやトーキングFMに見られるような投稿コーナーは存在しない。ラジオとしては異例とも言えるほどアバウトな台本しかなく、荘口や小原を始めスタッフ陣も福山が本番で話し出すまでその週の流れは全く読めない。
番組パーソナリティの福山雅治さんとフリーアナウンサーの荘口彰久さんが繰り広げるフリートークが魅力でした。
その中でも季節ものといわれる恒例のコーナーが放送されることがありました。
クリスマスの時期には、悲惨なクリスマスを迎えた・迎える予定のリスナーのために、福山・荘口・放送作家の小原がそれぞれクリスマスプレゼントを自腹一万円以内で用意する企画「福山・荘口・作家小原の自腹一万円プレゼント」が行われる。本人たちは互いが用意したプレゼントについては番組内で発表するまで一切知らず、誰のプレゼントが最も好評か毎年熱い勝負が繰り広げられる(小原のものが好評な傾向にある)。
クリスマス時期以外にも「アポなしテレフォン」でプレゼントが当たる企画もありました。
魂ラジアワードのトロフィー
秋元康さん、三浦知良さん、是枝裕和監督などが授賞しています。
2010年9月、同じ事務所に所属する深津絵里がモントリオール世界映画祭で最優秀主演女優賞を受賞したことに話が及ぶと、福山が対抗して「今年もこの季節がやってきたね」と発言し、毎年やっているという設定で「魂ラジアワード」が発足した。
後に「エンタメ界の活性化を目的に設立された、魂ラジアワード」と代名詞がつくようになりました。この賞の授賞条件は「来てくれた方にはあげる、というシステム」だそうで、各賞を発表する福山雅治さんは「タマランチ会長」と呼ばれます。
荘口の唯一の持ち込み企画であり、荘口が厳選したグラビアアイドルのカレンダーがランキング形式で紹介される。上位者のカレンダーは実際に数人分持ち込まれ、福山がプロの目で審査する。
毎年始めに発表される業界注目のコーナーです。実際にカレンダーの売上げに影響を及ぼすほどといわれています。
2000年3月25日から放送開始し、2015年3月28日の放送を以って終了となったニッポン放送『福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ』(通称:魂(たま)ラジ)番組内のレギュラーコーナー「魂のリクエスト」(通称:魂(たま)リク)での弾き語り音源をまとめたアルバム。「魂リク」とはリスナーから曲名と曲にまつわる思い出を募り、毎回福山がギターによる弾き語りを披露するというコーナー。
ラジオ番組終了後の2015年4月8日にリリースされました。
2015年6月24日には完全受注生産でアナログ盤も発売しました。
通常盤ジャケットは今回のアルバム制作にメイン・ギターとして使用した「マーティン OM-45」(1930年製)サウンドホール部分の写真(福山が撮影)を使用している。
このギターについて福山雅治さんは「とてもじゃないけど言えない値段」と言っていたそうです。ヴィンテージギターでとても高価なギターのようです。
【福山雅治】「魂リク」特典映像『Document of「魂ラジ」 (Short Ver.)』
ニッポン放送『福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル“魂のラジオ”』が最終回。スタジオ入りする福山を約3000人のリスナーが見届けた
ラジオ最終回のO.A.中、福山雅治さんが外で待つファンの方に向けて風邪をひかないようにと気遣う姿が印象的でした。
「放送中は絶対泣かないと決めていた」と返答。その理由について「感傷に浸っていると何か嫌だった」といい、放送をやり遂げることに集中したと振り返った。
ラジオの放送中は終止笑い声が聞こえて最後までアットホームな雰囲気のままでした。最後の最後に荘口さんが泣いて話せなくなったときも、福山雅治さんは笑っていましたね。
番組が終了し、打ち上げ後、帰宅して一人で改めて乾杯をしたことを告白。その後、ネットで番組が終了したことについて“エゴサーチ”(自身に対する評価を確認する行為)をしたという福山。ファンの思いが詰まった反応をみて「一人で号泣してました」と明かし、「その時にやっと泣ける気分になった」としみじみとしていた。
足掛け23年も続いたラジオ番組ですから、福山雅治さんも感慨深いものがあったのですね。日頃から「お散歩(ネットサーフィン)」が趣味という福山雅治さん、エゴサーチしたいうのは想像通りです。
23年続いた福山雅治さんがパーソナリティーをつとめたラジオ番組「福山雅治のオールナイトニッポン」、フリートークで番組を進行しながらも若い世代のリスナーに向けて原爆・戦争、エイズ、震災などテーマに応じて丁寧に語りかけていました。人間・福山雅治を感じられる番組は、ラジオを聞いてファンになったという人もいたほどです。
番組終了時には「またいつか」と言っていた福山雅治さん、またラジオから荘口さんと楽しそうに笑う声が聞こえるのが楽しみですね。
福山雅治の結婚相手は!?吹石一恵
福山雅治さんの結婚報道は世間を騒がせましたね!世の未婚男性陣も少し焦りを感じたのではないでしょうか。
ニッポン放送の福山雅治さんのオールナイトニッポン
こんなに若いころからされているのですね。相当な歴史がある番組だったんですね。名残惜しいです。
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