【タモリめし】タモリさんのレシピは本当に美味しい!?【作ってみた】
2015/10/08
chihiro
2014年【歴史的な和解】をしたフォークソングの大御所小田和正と大物芸能人タモリ。小田和正とタモリのプロフィールを名前順に紹介します。
生年月日:1947年09月20日
出身地:神奈川県横浜市金沢区
学歴:東北大学工学部建築学科卒業、早稲田大学大学院理工学研究科修了
1969年 『オフコース》結成
1970年 シングル「群衆の中で」でデビュー
1982年 『オフコース』が活動を休止し2年後活動再開
1989年 『オフコース』解散
1983年からソロ活動に重心を置き、作詞・作曲だけでなく他アーティストのプロデュース活動やエッセイの出版など精力的な活動を続ける
代表作:「ラブ・ストーリーは突然に」「言葉にできない」など
本名:森田 一義
生年月日:1945年8月22日
出身地:福岡県福岡市
学歴:早稲田大学第二文学部西洋哲学専修除籍
1976年 深夜番組『空飛ぶモンティ・パイソン』で正式に芸能界デビュー
1982年 『森田一義アワー 笑っていいとも!』、『笑っていいとも!増刊号』スタート
1983年 『第34回NHK紅白歌合戦』でNHKアナウンサー以外では初の総合司会を担当
2014年 『笑っていいとも!』が最終回を迎える
偶然の出来事から周りに支えられる形で芸能界入りを果たしたタモリ
キワモノ芸人としてデビュー後、芸風の転換などを経て司会者、俳優、作詞・作曲家などマルチな活躍で幅広い層から人気を得る
不仲の原因はタモリの「フォークソング、小田和正」嫌いとされています。タモリの発言を中心にその理由を検証します。
タモリは元々「フォークソング」が好きではなかったようですが「嫌い」になるほどの出来事があったそうです。
当時タモリはラジオ番組で特定の個人やグループを指摘することがよくあり、その中に小田和正『オフコース』も含まれていたようです。
嫌いと公言していたものの中でも小田和正には特別な感情があったようです。
小田和正がタモリの看板番組「笑っていいとも!」に出演したときの様子が不仲説を決定的にしたようです。なぜ「決定的な出来事」と言われているのか検証します。
タモリの小田和正批判の真っただ中に明石家さんまが「テレフォンショッキン」の次のゲストに友人として小田和正を紹介したようです。
タモリからの新曲に関する質問への小田和正の対応は実に素っ気ないものでした。
小田和正とタモリの間には微妙な空気が流れていた?!
タモリのアンチ・オフコースキャンペーンのさなかの二人の共演だっただけに、どうしても「仲が悪そう」という気まずい流れのまま終始してしまった。
小田和正とタモリの共演を見ていた視聴者の感想は?
不仲説が流れてから30年以上。小田和正とタモリの和解の成立はとてもおめでたい場所でのことでした。
2014年9月に行われたアナウンサーの披露宴で小田和正とタモリは握手を交わし、「歴史的な和解」をしたと世間に注目されました。
タモリと小田和正の和解報道にファンは更なる展開を期待しているようです。
タモリさんと小田さん、長年の確執が解けたところで ゴルフ一緒に回ったり、一緒に仕事したり楽しんでみたら? タモリさんなら小田さんの面白い部分を引き出せると思うよ!
小田和正が「笑っていいとも!」に出演したのは1984年。そして和解を報道されたのは2014年。30年以上もの間、小田和正とタモリは不仲だと噂されていました。
今回の和解報道はどれだけ時間がかかろうと和解することは不可能ではないということを視聴者に教えてくれた出来事だったと言えるでしょう。
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