坂井泉水は水面が似合う美人!透明感を伴った素晴しい彼女の永遠!
2023/06/20
まりあぐらちあ
[名前] 坂井 泉水 SAKAI IZUMI
[本名] 蒲池 幸子 KAMACHI SACHIKO
[愛称] さっちん,さっちー,カマチン,カマチ(フライデーではさっちんと記載)
MEMO・・・高校時代にはさっちーとも呼ばれていたみたい。
[家族構成] 弟,妹,母,父
MEMO・・・弟は5歳年下。妹は2歳年下。父は自動車教習所の
教官。母に関しては,詳細不明。
[生年月日] 1967年2月6日 水瓶座 (過去の雑誌では1969と、なっているが1967が正しいよう。)
MEMO・・・過去の情報を考えるとやはり1967が正しいよう。
MEMO・・・「週間文春」にて、同級生の話から1967/2/×と記載。あれ?
[出身地] 久留米(神奈川の平塚になってたりする)
MEMO・・・DIME・90年1月1号にて
「たまたま出身も聖子(松田)さんと同じ久留米なんです。」と言うコメントも。
1967年2月6日~2007年5月27日 美人なので、キャンペーンガールやモデルとして活動をしています。そのときの名前が「蒲池幸子」 出生地が福岡の久留米と言うことでしょう。そのご神奈川の平塚に移ってるようです。
1991年に音楽ユニットZARDを結成して坂井泉水としてボーカルで参加しています。
その後は次々とヒット曲を世に出しています。マスコミとかテレビにはあまり出ることはありませんでした。アルバム活動が主だったようですね。ZARDのコンサートも数えるほどしか開催していません。
こうやってZARDの美人ボーカルとして坂井泉水は走り続けます。
ZARDの美人ボーカルとして活躍する坂井泉水は ほとんどの曲の作詞を手掛けています。
ZARDの曲が慕われるのはメロディーは勿論のこと、ボーカルとしての坂井泉水の澄んだ声・歌詞に込められているメッセージ性にあると思います。
坂井泉水は美人ボーカリストとして数々の曲を世に出していきます。
ZARD 負けないで cruising Live
ZARDの珍しいクルージングライブです!
サビの”どんなに離れてても”という部分でした。坂井は『は』の後で、ブレス(息継ぎ)を入れ、続く『な』にアクセントをつけて歌う癖があった。出だしと比べると1オクターブ音域が上がる難しい曲なので、息継ぎしないと歌い切れないんですが、その場所が明らかにおかしい。
確かに坂井泉水さんは「どんなには なあれてても」って歌ったんです。
ZARDのボーカルとして坂井泉水はこだわりを持っていたのでしょう!上述のようにブレスを入れる部分へのこだわり、その歌い方が独特だったのでこれほどヒットしたのだと思います。それと坂井泉水の優しさと熱いメッセージがこもった歌詞もその要因の一つだと思います。
ZARD「かけがえのないもの」- 2011 WEZARD EDITION-
揺れる想い
1993年 ポカリスエットのCMソングです
マイフレンド スラムダンクエンディングテーマ
ZARDの坂井泉水はZARDとしてのコンサート活動はあまりしていません。それではどうやってヒットしたのかと考えると、番組の挿入歌とかCMソングとしてお茶の間に登場してます。そうやってヒットに繋がった気がします。ボーカルとしての声は、涼やかで透き通るような声が印象的ですね。ZARDのボーカルとして活動するまでは、どのような活動をしているのかを 少し見てみたいと思います。美人でありながらなんでコンサートが少なかったのでしょうか
グラビアアイドルとしての坂井泉水!初々しくてかわいいですよね
カップヌードル・ホンダチームのレースクイーン時代もありました。
ZARDのボーカルとしてデビューする前の年のことですね。
当時の仕事仲間、タレントの岡本夏生さんは、坂井さんと仕事帰りに行ったカラオケのことをよく覚えているという。
出典 www.suruga-ya.jp
❝「高橋真梨子さんのバラード『for you…』を歌詞も見ずに、気持ちを込めて歌っていました。
ふだんは10話しかけても2しか返さないぐらいおとなしい子でしたが、歌うときの自信に満ちた姿には、歌手を目指す強い信念を感じましたね」❞
レースクィーン時代の坂井泉水!このころはボーカルとして歌いたい夢を持っていたようです。
坂井泉水さんが「歌手になるのが夢なんです」と、大学ノートにビッシリと書いた自作の詩を見せてくれたことがあるという。
「彼女は詩を書きためたノートをいつも持ち歩いて、仕事の合間にも詩を書いていました」
91年 音楽プロデューサー長戸大幸のもとZARDのボーカルとしてデビューする。それから数々のヒット曲を発表します。
美人だけどあまりキャンペーンガールとかは好きでなかったのでしょうかね。
だけどこんな美人なキャンペーンガールって素敵ですよね
ボーカルとして参加した録音風景。これもうつむき加減です
どの角度から見ても美人です
坂井泉水は「美人だ! 美人だ!美人だ!」とあまり言われるのが嫌でテレビとかに出なくなった。そう話してたそうですが・・美人なんですけどね。ボーカルとしての実力を認めてほしかったのかもしれません。
その悩みは美人であるが故かもしれませんね。
ZARDのレコーディングや何げない日常の風景を撮るために、片隅で長時間カメラを回しました。作りこんだ映像よりも自然体の坂井泉水のほうが魅力的だった。このため、自然と横向きの映像が多かったのです。坂井泉水もそういった映像を気に入っていました。
どの角度からとった顔が美人に見えるのか・・考えていたのですね。
ZARDのボーカルとしての魅力は、坂井泉水の声にあるようです。美人であり、
ボーカルとしての歌声は透き通り、伸びがあり、そして哀愁を感じさせます。
ZARDのボーカルとして活躍する坂井泉水を襲ったのは病魔です!
2001年後半ZARDボーカル坂井泉水さんは急な体調不良のため、本格的に休養に入ります。
約1年の休養の後、活動を再開しますが、
子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と、病気は続き、
2006年に子宮頸癌を発病し、手術の後、静養。
ZARDのボーカルとして頑張ってきたのに、一日も早い復帰を考えたでしょう。
坂井泉水さんは{「幸せとは?」と問われて、こう答えている。
「自分の好きなことを、一生やり続けていけることだと思います」}
ZARDの美人ボーカルとして坂井泉水は走り続けました!病魔と闘いながら
坂井泉水は自分の命の糸を、歌詞の中に紡いでいったのかもしれません。
自分の限りある命の糸を、一つづつ必死に紡いでいったので 私たちの心の中に響くのでしょう!
ボーカルとして愁いのある声で必死に歌い続けたのです。
美人でありながら 極端に露出を拒否する坂井泉水
世の中には坂井泉水のことを揶揄する方もいるかもしれません。コンサートもしないでファンをばかりしてる!!などなど
美人があるがゆえに、坂井泉水は世間からバッシングを受けたりします。
それでも、ZARDの美人ボーカル坂井泉水はいつまでも私たちの心の中に
生き続けてくれます!!
古風な美人として・・また美人ボーカリストとして
音楽のちから 2013より
最後に秘蔵映像とともに「負けないで」をもう一度聞いてみましょう
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