2015/10/29
envy
2015/07/24 更新
美しい容姿に人の心をとらえる歌声、松田聖子さんはデビューして35周年を迎えます。松田聖子さんの名曲は数多いですが、その中でも人気の曲BEST3を発表!その曲にまつわるエピソードなども交えて紹介します。松田聖子さんの魅力をもう一度再認識してしまいますよ。
松田聖子さんはデビューして以来、トップを走り続けてきたトップアイドルです。
「裸足の季節」がデビュー曲で、続けざまにヒット曲を連発してきました。
松田聖子デビュー曲「裸足の季節」
「エクボの秘密あげたいわ」という歌詞が印象的ですよね。
松田聖子さんは「80年代を代表するアイドル」と言われています。
松田聖子さんの可憐な容姿が人気だったのはもちろんなのですが、
デビュー曲からその歌唱力はとびぬけていました。
松田聖子さんはその容姿と歌唱力で様々な層のファンを獲得、一躍トップアイドルとなったのでした。
24曲連続で1位を獲得というのはなかなかできることではありませんよね。
松田聖子さんが「80年代のアイドル代表」と呼ばれるのも納得です。
売上から見る松田聖子さんの人気曲ランキング、第3位は
「風は秋色/Eighteen」
その売上総数は79.6万枚。
松田聖子さん3枚目のシングル曲です。
松田聖子3枚目シングル曲「秋は風色」
カップリングの「Eighteen」は当時サンデーズのメンバーとして出演していた『レッツゴーヤング』にて披露されていた楽曲。そのため、NHKではこちらのほうをメインに放送で流していた。
「秋は風色」も「Eighteen」も爽やかで気持ちいい曲ですよね。
松田聖子さんの伸びのある歌声が気持ちいいです。
松田聖子さんの人気曲ランキング、第2位は
「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」
85.7万枚の大ヒットとなった松田聖子さんの14番目のシングル曲です。
細野さんとは有名な作曲家「細野晴臣」さんのこと。
作詞は「松本隆」さんです。
サイモン&ファーファンクル「明日に架ける橋」
このバラード曲のような曲を、と言われてできたのが、こちら。
松田聖子「ガラスの林檎」
松田聖子「SWEET MEMORIES」
作詞家の松本隆は後年「聖子さんの歌を作る時は、いつもその時点の彼女の2-3歩先を行く歌を作る。彼女は見事にそれに付いてくる。『SWEET MEMORIES』に関しては、彼女の10歩位先を行くように作った。作曲の大村雅朗氏と『今回は付いて来られないかな? 難しすぎたかな?』とも話したが、彼女は見事に付いてきた」と賞賛した
「SWEET MEMORIES」には他にもこんなエピソードがあります。
「SWEET MEMORIES」はサントリーCANビールのCMソングであった。CMはアニメーションであり、登場人物がすべてペンギンになっている。ジャズバーで女性歌手が 「SWEET MEMORIES」(2番の英語の歌詞の部分)を歌い、それを聞いた客が感動して涙するというものであった。
松田聖子が当時所属していた芸能事務所、「サンミュージックプロダクション」は話題作りのため、テレビCMで使われた「SWEET MEMORIES」にはあえて歌手名を出さなかった。すると、松田聖子の歌唱とは気づかずレコード会社2社から「歌っている新人歌手を自社で使いたい」という引き合いの電話が来たという。後にCMに”唄/松田聖子”のクレジットが表示されるようになった。
松田聖子さんの曲の中でもこの「SWEET MEMORIES」は今でも使われるほど
色あせないバラード曲ですよね。
名曲です!
松田聖子さんの人気曲ランキング第一位はきっとお分かりでしょう。
「あなたに逢いたくて~Missing You~/明日へと駆け出してゆこう」
110.1万枚を売り上げた松田聖子さん本人作詞の38番目のシングル曲です。
松田聖子「あなたに逢いたくて~Missing You~」
80年代はヒット曲をとばしていた松田聖子さんですが、実は90年代になって
ずっと伸び悩んでいました。
ですから、この曲は松田聖子という歌手にとって一大転機となる曲となったといっていいでしょう。
松田聖子という歌手に魅力を感じる新しいファンがこの曲をきっかけに
再び現れ始めました。
テレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル」のエンディング・テーマ(1996年4月~6月)、聖子が芸能界の先輩として敬愛する、故夏目雅子が出演するCanon「PIXEL」のイメージソングとなっていた。カップリングの『明日へと駆け出してゆこう』もABC・テレビ朝日系アニメ「怪盗セイント・テール」の後期オープニングテーマであった。
カップリング曲がアニメのオープニングテーマに使われていたのは知りませんでした!しかも松田聖子さん自身がファンであったとは。
松田聖子「明日へと駆け出してゆこう」
余談になりますが、松田聖子さんの曲というと「赤いスイートピー」を思い出す人も
多いと思います。
そんな松田聖子さんの代表曲である「赤いスイートピー」ができるまでのエピソードを紹介したいと思います。
松田聖子「赤いスイートピー」
あの松任谷由実さんが作曲を手掛けていたんですね。ご存知でしたか?
また「スイートピー」という花にまつわるエピソードについても紹介します。
1982年当時は赤い色のスイートピーというのは無く、
赤に近いのは濃いピンク色の品種だったんですが、
三重県伊勢市のスイートピー生産者がこの曲を聴いて、
「歌にあるような純粋な赤色を生み出したい」と思い、
濃いピンク色の花を掛け合わせて研究を続けました。
でもなかなかイメージするような鮮明な赤い花が咲かず、
あきらめかけた2002年に一本だけきれいな赤色の花が咲いたんです。
この花にビビアンレッドと名づけ、赤いスイートピーが誕生しました。
今ではこの赤いスイートピーは大人気だそうですよ。
なんと「赤いスイートピー」が歌われていたときには、世の中に
赤いスイートピーは存在していなかったんですね。
確かにスイートピーは淡い色のイメージですが、まさかこの曲をきっかけに
赤いスイートピーが実現してしまうとは松田聖子さんも想像していなかったでしょうね。
以上、最後は個人的な興味で「赤いスイートピー」のエピソードを紹介してしまいましたが、いかがだったでしょうか。
いつきいても魅力的な曲ばかりですよね。
50歳をすぎても、ますます美しく、そして若いときのような高い声はでなくても
大人で素敵な歌声を披露してくれる松田聖子さん。
これからもますます活躍されること間違いなしですね!
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局