2018/10/20
グリ777
本名:石田百合子
由来は白いテッポウユリから
生年月日:1969年10月3日(てんびん座)
血液型:A型
身長:163㎝
出身地:東京都世田谷区
趣味:読書・文章を書くこと・絵を描くこと・ドライブ
特技:水泳 9歳から17歳まで選手だった
座右の銘:志を高く
アドレナリンをあげるもの:青空・海・動物たち・ハワイ・北欧・絵本その他色々
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石田ゆり子さんの父親は、石田ひかりさんのお父さんでもあることは、多くに人が知るところ。
石田ゆり子さんには、お兄さんもいて3人兄弟です。
妹・石田ひかりさんは、NHKの連続ドラマの主演を務めるなど大活躍されていましたが、結婚し、子宝にも恵まれお母さんとして頑張っているのでしょう、最近はなかなかお見かけする機会が少なくなりました。
「姉の肩書がつくと、いい子でなければいけない気がした」というゆり子は「“石田姉妹”って呼ばれるのは嫌だった。だから頑なに一緒の仕事はしなかったし、一緒にインタビューなんて絶対に受けたことがなかった」
「お姉ちゃんだから」と小さい時に言われる、、、長女だとよくある話。
石田ゆり子さんも父親や周りの人たちに言われていたのでしょうか。
同じ道を歩んだゆえ、若い頃は葛藤も多かったのかもしれません。
しかしそんな思いも30歳も過ぎたころからなくなったと後に答えてます。
石田ひかりさんの娘さんと同じパンダ好きだとか話題に上げてる記事もあり、良好関係がうかがえます。
父親が転勤族だったため、兵庫県西宮市、神奈川県川崎市と移り住み、小学校6年生のときに台湾の台北市へと引越し、その後、東京に戻ってからも都内を3回ほど移り住んでいます。
日本で三本指に入る海運会社、「日本郵船株式会社」にお勤めされていた、石田ゆり子さんの父親「石田二郎」さん。転勤族であった父親の赴任先に同行し、転校を繰り返していました。
「日本郵船株式会社」とは、優雅な旅ができるクルーズ客船「飛鳥Ⅱ」を所有する「郵船クルーズ株式会社の親会社です。
石田ゆり子さんは、父親の台湾転勤に伴い、3年間台湾での海外生活を経験。
そう、石田ゆり子さんは、帰国子女なのです。
先日TV[アナザースカイ」に出演し、第二の故郷として台湾を訪れ紹介。
小学生の頃、元々ひかりさんが水泳を習っていたことで、ゆり子さんもなんとなく水泳を始めました。最初は25メートルも泳げなかったのが、すぐに才能は開花し、神奈川県の代表選手に選ばれるほど。
台湾では父親の意向により、国の水泳チームに姉妹で所属し、学校とプールの往復の日々を過ごしていました。ロス五輪の強化選手になれるかもしれないというところまでいったそうです。
優雅な海外生活を想像しましたが、石田ゆり子さんの海外生活はちょっと違う感じです。
子育ては、母親任せの家庭も多い中、子育て参加型の石田家の父親。
こういったエピソードがメディアに取り上げられたことから、石田ゆり子さんの結婚に父親が強く影響しているのでは?という憶測が飛び交うのかもしれません。
“ロス五輪の強化選手”に選ばれるほどの実力があった石田ゆり子さん。
すごい!!
今の可憐な姿からは、想像つきませんが、デビュー当時の動画を見ると確かにとても健康的。
♫ 踊ろよ,フィッシュ
小麦色の石田ゆり子さんが映るCMです。
あまり知られていない貴重な画像は、山下達郎さんの音楽と石田ゆり子さんのアドレナリンを上げる“青空”と“海”をバックに撮られたCMでした。
父親から勧められた水泳がここで役に立た?!のかもしれません。
芸能界(the world of entertainment [show business]。映画・演劇・落語・歌謡・音楽・舞踊などの技芸で生活する人々の社会。芸能人の社会。芸界)に入る以前から、ピアノ、水泳など「とにかく、ずっと同じことをして育てられた」と 明かすなど幼少時代から振り返り、3歳の年の差がいつの間にか縮まって今では 「姉も妹も関係ないって思えるようになった」(ゆり子)と告白。
石田ゆり子さんとひかりさんは、教育熱心だった父親から育てられたこと、幻冬舎から発売されている「セ・ジョリ」で語られてます。
セ・ジョリ ここちいい毎日
バラエティー番組で妹のひかるさんが部分的に触れていましたが、とにかく厳しい父親だそうです。ダメなものはダメといった「頑固一徹(がんこいってつ)」のお父さんで、娘の交際相手が気に入らないと絶対に首をたてに振らない性格のようです。
こんなにかわいい娘二人、石田ゆり子さん・ひかりさんがいるわけですから、父親として変な虫がついては困るという心配が日々あった事でしょう。
「頑固一徹」とテレビで石田ひかりさんに紹介されては、石田ゆり子さんの結婚の障害は父親だ!と決めつけられてしまうこと無理ないですね。
しかし反面、娘たちの部屋へ来て「接着剤はないか」と聞くので理由をたずねると、「トイレの便座を割った」と、娘たちから爆笑されるお茶目な一面ものぞかせています。
石田ゆり子さんの父親=頑固ばかりが、一人歩き。
実は、石田ゆり子さんの父親には、お茶目で涙もろい一面もあるようです。
過去、石田ゆり子さんが恋愛関係でメディアを騒がせていた時は、顔こそ映りませんが頻繁にお父さんはインタビューを受けており、「名物パパ」となっていました。
2015年3月主演した映画「悼む人」で主演した時に作者:天童竜太さんとの対談で石田ゆり子さん自らの性格について語ってます。
そもそもこの世界に入ったのは、15歳のときに街でスカウトされたのがきっかけでした。「芸能界に入ってみませんか?」と声を掛けられて、興味本位でポーンと飛び込んだので、もちろん芝居なんてまったく未経験ですし、カメラの位置さえ分からない状態からスタートしました。10代の頃は力不足を痛感することが多くて、辞めたほうがいいのではないかと何度も悩んだけれど、演じることの醍醐味や喜び、辛さも味わってからでないと辞められないという意地みたいなものが心のどこかにあって、それに支えられていたのだと思います。
石田ゆり子さん自身、自分に厳しい人。
人に意見されて、人生の方向を決める人ではないという人物像がうかがえます。
厳しいと言われている父親が結婚のネックになっているわけではないようです。
現に妹のひかりさんは、結婚しているわけですから。
逆に石田ゆり子さんは、父親の性格に似ているのではないかと思われる発言ですね。
性格は頑固で保守的なうえにあまのじゃくときている。行列のできる流行りものを避け、ハロウィンなどイベントに乗っかるのは恥ずかしさが先に立ってできない。自宅が大好きで、太陽が沈んだら一目散に家に帰る、落ち込んだらすべて放りだし、ひたすら寝て解消するという。
あ・・・やっぱり。
石田ゆり子さん、自ら認めてますよ“頑固”って。
清楚でおとなしいお嬢様の印象が強い石田ゆり子さんは、父親と同じ頑固なんですね。
似た者同士の親子。
まっすぐな性格なんでしょうね。
2015年に放映された「医師たちの恋愛事情」で外科医を演じた石田ゆり子さん。
職種こそ違いますが、仕事中心で恋愛は後回しになっている今の石田ゆりこさんを彷彿させるのではないでしょうか。
ラブシーンも多いドラマでしたので、父親の二郎さんは複雑な思いでテレビを見ていたか否かは定かではありませんが・・・余談です。
石原は男性の支持も大きいだけに、東スポ読者にも納得の結果だろう。ちなみに、そんな石原が挙げる“大人ガール”は女優の先輩にあたる石田ゆり子(43)なんだそうだ。
アラサーガールイチオシの女優・石原さとみさんが憧れているのも石田ゆり子さん。
普段の仕事ぶりを知る同業の女優さんが憧れの人として名前を上げる。
これって本当に素敵な女性なんだろうなと思われます。
多くの人が憧れ、魅力ある女性の石田ゆり子さんは、父親である石田二郎さんの影響を受けたことがプラスとなっていると思います。
石田ゆり子さんの父親を紹介しましたが、父親の頑固とは、言葉を換えれば心配性で子どもを立派に育てたい親心なんですね。
主演を演じる女優として大活躍中の石田ゆり子さんをこれからも応援しましょう。
そしてこれからますます活躍されることを期待しましょう!
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