お兄ちゃんよりもしっかり者!?シャイボーイ横山裕の弟って!?
2016/09/03
poco3456
生年月日:1981年5月9日
出身地:大阪府
身長:176センチ
ジャニーズ入所:1996年
2010年5月に母親が急逝。母子家庭に育った横山は青森でのソロコンサート開演4時間前に報せを聞いたが、コンサートは予定通り開催した。このことについて、事務所側にも「どうする?」と聞かれたが「大丈夫やから」と言い、楽屋でもコンサート本番中も泣き崩れそうになったが「迷いはなかった」「僕が笑ってステージに立たないで家に帰ったら、そんなのオカンも、イヤやろうなって」と語っている。その後も公演スケジュールを予定通りにこなし、すすり泣く客席に「しんみりするなよ」と笑いかける場面もあった
「コンサート中止にする」という選択もできたはずの横山裕さん。
しかし、ファンのため、お母様のために立ち続けることを選んだ横山裕さんはとてもプロ意識が強いですね、
ファンに笑いかける横山裕さんの姿を思うと辛くなりますね。
関ジャニ∞の8周年記念イベントパンフレット内でのインタビューで、当時を振り返り「人生で一番泣いた。後にも先にもあんな辛いことはない」と話し、同時に、葬儀にメンバー全員が参列したことを「めっちゃくちゃ嬉しかった」「すごく誇れた」と語っている。一方でメンバーも大倉が「横山君が泣いてる姿を初めて見た」と語っており、「これからはオレらが横山君の家族にもならなあかん」と、葬儀の後、丸山の家に皆で集まり話しあったとも打ち明けている
横山は1度は建築現場に就職するも1ヶ月いけないくらいでやめることになる。
社長自ら手渡してくれた初任給。そのとき「いつでもなんかあったら戻ってこいよ」と言葉をかけてもらった。給料袋の中に入っていた手紙には「頑張れ」と一言だけ書かれていた。
結局その初任給は、一部おかんに渡し、残りはすぐつかってしまったけれど、「大切につかわな・・」と思ったその気持ちは今でも忘れられないという。
横山裕さんの、お母様に対する親孝行エピソードです。
ジャニーズとして横山裕さんんは既にデビューしながらもアルバイトしていたとは意外ですね。
売れっ子になっても給料の有難さを忘れない横山裕さん、とっても素敵です。
横山裕くん
・パンスト履く時ごっつ飛ぶ
・昔、家に帰ったら、オカンが俺のファンの子と茶飲んでた。なんで家上げたん?って聞いたらえーやんか別にって言われた
ファンの子を家に上げる・・・今だったらかなり危険でしょうがかなり微笑ましく思える、横山裕さんのお母様のエピソードです。
「ミナコ(※横山母の名)ってホントバカなんですよ~」「家ですっぽんぽんで出てきたりね。おっきいパンツはいてても、ミナコがはくとTバックになる」などなど、ことあるごとにお母さんをネタに笑いをとってきた横山。
横山裕さんのお母様は、ミナコさんという名前だそうです。
関西人だからか分かりませんが、ユニークで面白いお母様です。
関ジャニ∞内グループ「三兄弟」の「オニギシ」という曲を披露した横山。この曲は女手ひとつで育ててくれた母に対する思いを横山が詩にしたもので、小さいころ「おにぎり」と言えず、「オニギシ」と言っていたというエピソードがベースになっています。
普段はお母様をネタにしている横山裕さんですが、お母様への曲を作るなど、お母様大好きな様子が伝わってきますね。
「いつもの公演と同じように楽しいステージとMCで会場を盛り上げてくれていたんですが、『オニギシ』を歌う前くらいからヨコの言葉がなんとなくつまるようになって。いつになくまとまりがないまま『聴いてください、オニギシ。』とだけ言って、客席に背を向けちゃったんです」(青森公演に参加したファン)
お母様が亡くなられた日の、横山裕さんソロコンサートでの一幕
ヨコが泣いて歌えなくなっちゃって。客席からの声援を受けてなんとかまた歌い始めたんですが、すごく苦しそうでした。結局、最後の最後までスクリーンの方を見たまま歌ってましたね。
この時、ファンは横山裕さんのお母様が亡くなられたことを知らなかった。
4月頭の大阪公演のとき、ヨコのお母さんが会場に来ていて、ヨコが『反抗期のまま来てしまったから、(面と向かっては)よう言わんから言いますけど......元気でおってくれたら、それでいいです』って言って『オニギシ』歌いながら泣いちゃったって話を聞いてたから、てっきり今回も感動の涙かと思ってました。今思うと胸が張り裂けそうです」
横山裕さんの涙の訳を知らなかったファン。
ファンの皆さんも後々横山裕さんに起こった出来事を聞いて苦しくなったでしょうね。
ジャニーズ公式携帯サイト「Johnny's web」内の連載『よこやまゆうのにっき。』、22日には「いつも心のなかに。俺はいつまでも、これからも子供。いつまでも、これからも長男。頑張るを頑張る」「なんだってできる。なんだってやってやる。ちゃんと見ててや」と母に誓うように、メッセージをつづった。
「オニギシ」、横山裕さんがお母様への感謝を込めて作った曲です。
歌い始める前、
下を向いて、
なんだか言いたいけど言えないという感じで、
俯いたままモゴモゴとし始めるヨコ。
「あの…」
そしてヨコは下を向いたまま、
「心配をかけたかもしれませんが…」
と言って、
少しだけ顔を上げて、
「ここ(胸を親指で指して)に(お母さんが)おるから、大丈夫やで^_-」
って。
笑って。
お母様を亡くした直後でも、ファンに気丈に振舞おうとする横山裕さんの姿に、胸を打たれますね。
画面には、
小さい頃からのヨコとヨコのお母さんの写真が次々。
でも、ヨコ、最後まで、歌いきりました。
最後のサビ
「オニギシが食べたいよ
オニギシしかダメなんだよ」
で、
言葉に詰まるヨコ。
すると、啜り泣いていたはずの会場から、
歌声が始まって。
最後の台詞
「母ちゃんは、楽しかったかな?」
横山裕さんにとっては、この曲を歌うことも大変だったはずですが、見事に歌いきったようですね。
辛くて歌いづらかったであろう横山裕さんの代わりに、ファンの皆さんが歌ったようです。
面白いことを言って笑わせるイメージの強い横山裕さん。
その裏にはこんな知られざるお母様とのエピソードがありました。
知られざる苦労人である横山裕さんを今後も応援していきたいですね。
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