【放送事故!?】中森明菜と宮崎勤の意外な関係【都市伝説!?】
2018/11/18
chihiro
中森明菜(なかもりあきな)
出生名:中森 明菜
別名:AKINA、Miran:Miran
生年月日: 1965年7月13日(49歳)
出身地東京都大田区(東京都清瀬市)
16歳の時に出場した日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』合格を機に、ワーナー・パイオニアとのレコード契約を締結。1982年にシングル「スローモーション」でデビューし、2枚目のシングル「少女A」がヒット。翌1983年には、「セカンド・ラブ」、「禁区」などのヒット。以降も「北ウイング」、「飾りじゃないのよ涙は」など連続してシングル・ヒットし、1985年の「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」と1986年の「DESIRE -情熱-」で2年連続となる日本レコード大賞を受賞
中森明菜さんがデビューした当時は、沢山の歌手やアイドルが出現し、本当に生き残るのが大変な時代だったと思いますが、歌の上手さが評判の中森明菜さんは、不動の人気者として活躍していました。
2010年10月、体調不良により芸能活動の無期限休止を発表。それ以降テレビ・ラジオ出演は元より、公の場へ一切姿を現していなかったが、2014年12月31日、第65回NHK紅白歌合戦に「スペシャルゲスト」として、ニューヨークのレコーディングスタジオから生中継で登場し、4年3か月ぶりに芸能活動の復活を果たした
4年3ヶ月ぶりに芸能活動を復活させた中森明菜さん。
元気そうで本当に良かったですね。
その回の「ねるとん紅鯨団」には、ゲストに中森明菜が来ていて、
とんねるずからの「好きな男性のタイプを芸能人に例えると?」という質問に、
「山崎努さん」と答えようした中森明菜が、
間違って「ミヤザキツトム」と答えていた。
たまたま・・と言いたいそんな出来事ですが、なぜ中森明菜さんは宮崎勤と口走ってしまったのでしょうか。山崎努と宮崎勤・・間違えそうで間違えなさそうな名前ですよね。
不思議です。
中森明菜さんが自殺未遂をはかったのは、不思議な出来事の数日後なのです。
何だか不思議ですね。
テレビ番組・・しかも、バラエティ番組で宮崎勤と発言。
単なる呼び間違えとは思いますが、その当時の状況から考えると本当に宮崎勤と言ったのが、偶然とは思えないほど不思議ですね。
1989年6月17日の放送のゲストで中森明菜が来た時の事です。
この日の放送は、普通では有り得ないような放送事故が連発しました。
テニス後の告白タイムが始まったと思うと、いきなり画面が真っ暗になり、猫と少年の絵と一緒に「しばらくお待ち下さい。」の文字が表示されます。
普通ではありえない放送事故。それと中森明菜さん、宮崎勤何の関係が?!
今も不思議です
そのままCMにいったかと思うと、告白タイムの場面まで巻き戻しされます。
そこから少しの間再生されるのですが、またまた中森明菜が登場するオープニングまで巻き戻しされます。
今では考えられないような放送事故。 テレビ番組が途中でストップしてしまうようなことはもうほとんどないですよね。 しかも、テレビの向こう側でのパニック状態が伝わるくらい変な状態に・・・。
中森明菜さん?の不思議な力があったのかと思うくらい・・・。
この事件は、4歳から7歳という低い年齢の女児が被害者となり、殺害後に猥褻行為をしそれをビデオカメラで撮影・犯行声明を新聞社に送り付ける・野焼きされた被害者の遺骨を遺族に送りつけるなどの、極めて異常な行動を犯人が取ったことから、欧米を中心に多発する児童への性的暴行を目的とした誘拐・殺害事件などとの比較も行われ、戦後日本犯罪史上にて初めてプロファイリングの導入が検討された。
日本で初めてプロファイリングの導入が検討された事件。宮崎勤は、小さい女おこを狙った犯行を繰り返し・・・・本当に卑劣で思い出したくない事件でした。宮崎勤が犯した事件。そして異常行動の宮崎勤。本当に怖かったのを思いだします。
犠牲者数 4人。幼女を殺すたび、自宅に藁人形を置いて部屋を暗くし、頭に鉢巻きをして蝋燭を数本付け、黒っぽい服を身に付け手を上げ下げし、祖父復活の儀式を執り行ったという。
特異性が強い事件であったため、事件発生当初から激しい報道合戦が繰り広げられ、後に犯人の父親が自殺したことで「メディアスクラム」をはじめとする報道のあり方が疑問視された事件でもあった。
宮崎勤の事件により、宮崎勤の父が自殺。
そのことが、報道のあり方を問われる事態にまで発展。
宮崎勤ということばは、これからも忘れることなく嫌な記憶として残ってしまいますね。
宮崎は7月23日に、東京八王子市美山町で9歳と6歳の姉妹に声をかけ、妹の方を裸にし写真を撮ろうとするも、姉の知らせを聞いた父親にその場で取り押さえられ、強制猥褻の現行犯で逮捕。
現行犯で逮捕された宮崎勤。
宮崎勤は、死刑をかせられ・・そして執行されました。
中森明菜さんの放送事故と、死刑失効日が実は同じ日だった・・・・。奇妙ですね。
そして予言とでもいうのか、中森明菜は宮崎勤の名前が明るみになる前に、テレビで偶然言った事になります。
ちなみに愛媛では放送が差し替えられ、中森明菜の回の放送はなくなったらしいです。
中森明菜さんの予言とも言えるような、「宮崎勤」という言葉。
本当に怖い。
この放送から少し経った7月11日に交際していた近藤真彦の自宅マンションにて、左手首を切る自殺未遂事件を起こし中森明菜は1年間の芸能活動休止。
この頃から彼女に異変がみられるようになります。
その後、中森明菜さんは自殺未遂を起こし、その後は精神的に肉体的に不安定になり芸能活動もままならなくなってしまいます。
宮崎勤についてはもはや存在自体が都市伝説化しており、この事件が世間一般にあまりに大きな影響を与えました。
大量の漫画や5763本ものビデオを所有するマニアだった事
(その内訳は殆どがアニメ・テレビドラマ・歌番組で、一連の事件のニュースを録画したもの―90本、ホラー映画―50本、ロリコン系のもの―55本、幼女の遺体ビデオー3本(毎日新聞89年8月30日より)だったと云われる)やロリコンと云われた事で、俗にいうオタクに対する強い偏見が生じました。
ホラー映画「ギニーピッグ」全シリーズが廃盤に追い込まれ、全国テレビで一時的にホラー映画が自粛されるようにもなります。
年端もいかない小児に性衝動を覚えるペドフィリア(小児性愛)嗜好の存在が広く知られることとなり、保護者は子供に対する性犯罪に強い恐怖感を抱きました。
何の因果か、中森明菜さんが発言した「宮崎勤」という言葉。
その後に起こる凶悪事件・・そしてテレビの放送事故に、自殺未遂・・・不思議なことばかり。
極めつけは、放送事故が起きた日と宮崎勤の死刑執行日が同じという・・・
本当に怖い、都市伝説と言われても怖すぎるものでした。
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