面白い?不気味? 理解しがたい、蛭子能収の個性的すぎる伝説!!
2015/12/02
峯
本名:蛭子能収(えびす よしかつ)
生年月日:1947年10月21日
血液型:O型
出身地:熊本県牛深市(現天草市)
活動期間:1973年 〜
所属:ファザーズコーポレーション
1973年に漫画雑誌「ガロ」にて漫画家としてデビュー。
現在は、漫画家、タレント、俳優、映画監督、ギャンブラーという様々な肩書きを持っています。
漫画家としてデビューする前は、看板屋やちり紙交換、ダスキンのセールスマンなど様々な経歴をもつ蛭子能収さん。
今では、独特のキャラクターが人気でバラエティ番組で引っ張りだこです。
1973年に漫画家としてデビューして以来、これまでに様々な「伝説」を残しています!
蛭子能収さんの漫画家として、そしてタレントとしての「伝説的エピソード」まとめました。
タレントとして、テレビで見かけない日はないほどに人気の蛭子能収さんですが本職は漫画家。
少年の頃から貸本漫画誌『影』や『街』を愛読し、山森ススムや辰巳ヨシヒロの劇画を好んで読んでいたといいます。
また、映画にも関心が高く、勅使河原宏監督の『砂の女』など前衛映画をすすんで鑑賞し、高校時代は美術部に所属していたそうです。
高校の美術部時代、初めてグラフィックデザインに出会った蛭子さんは、横尾忠則、宇野亜喜良、粟津潔、亀倉雄策に大きな影響を受けます。
卒業後の進路は、グラフィックデザイナー志望でしたが、実際には地元の看板店に就職。当初から「いつか会社を辞めたい」と思いつつ、看板店の同僚が主宰する漫画サークルに参加していたそうです。
そんな蛭子能収さんが描き出す漫画が、いま「伝説」として注目されているのです。
1982年3月に青林堂より刊行された「私はバカになりたい」。
蛭子能収さんの漫画短編集です。
初版刊行時のキャッチコピーは「バカが通れば道理もひっこむ 地獄の沙汰もバカしだい そのうちナントカなるだろう」という、今の蛭子さんにも当てはまりそうなコピーです。
今では絶版となっていますが、2003年8月、eBookJapanにて電子書籍の形で復刊されています。
不条理、陰鬱、狂気。これらの言葉で形容される蛭子さんの漫画はまさに伝説的。
イジメをうけていた中学時代、理不尽な先輩社員に耐える日々を送った会社員時代、心の鬱憤を晴らすために漫画を描いていたという蛭子能収さん。
負のパワーは時として大きな伝説を生み出すのです。
1985年、辰巳出版より刊行された「狂ったバナナ(シュール・ド・エロ)」。
こちらも絶版となっています。
タイトルや表紙から想像できるとおり、18禁。
内容はもちろん、エロティックでシュールでかなりの妄想全開だそうです。
「地獄に堕ちた教師ども」(1981年、青林堂より刊行)
蛭子能収さん初期の代表作ともいえる一冊で、初の単行本作品です。
タイトルの由来は、1969年公開のアメリカ資本によるイタリア・西ドイツ合作映画『地獄に堕ちた勇者ども』と言われています。
絵のタッチやシュールな展開、独特の内容から蛭子さんの漫画からは伝説的な面白さを感じますが、蛭子能収さんの漫画が「伝説」とされるのにはもう一つ理由があります。
それは、紙媒体での蛭子さんの漫画は、現在では入手困難であるということ。
オークションなどでしか入手できないようです。
蛭子さんの学生時代に制作した作品から初公開の新作までを公開した「えびすリアリズム展」で展示されていた作品のひとつ。
何か奥深い皮肉がこめられているのか、はたまた思いつきなのか。
シュールな蛭子さんの作品に魅了されている人も多いようです。
独特な作風と着眼点で注目を集め、「ヘタウマ漫画家」として地位を確立した蛭子さん。
”伝説”といわれる所以は様々ですが、彼の頭の中は一体どうなっているんでしょうか。
「伝説の漫画家」蛭子能収さん、本業である漫画に対する考え方をご紹介します!
蛭子さんはあるインタビューで、「一番影響を受けたのは、つげ義春さんの『ねじ式』だ」と語っています。
漫画家・谷岡ヤスジさんの「一気に読めない漫画はダメだ」という意見に賛同していたそうで、蛭子能収さん曰く、「漫画は一気に読ませてくれないといけない」。
そんな蛭子さんは「つげ義春の漫画を読んだときは『すごいなあ』」と感心したと言います。つげさんの作品は、「読みやすくて、場面もわかりやすいのに、ストーリーが分からない。感覚で読む漫画だったので。」といった感想を持っていたそうです。
蛭子さんによって描かれる独特な漫画たち。描くときには一体どのようにインスピレーションを湧かせるのでしょうか?
なんと、昔は睡眠中にみた”夢”をノートに書き起こしていたそうです。
ですが、今はあまり夢を見ないそうで、「なんとなく絞り出しています」とのこと。
さらに蛭子さんは、「だから、面白いものが描けていません。ページ数も少ないし」と何のためらいもなく言い放ちます。
しかも、「最近漫画を描く意欲もあまりわかないんですよ。」と笑ってのけたそうです。
器が大きいと言うのか、正直者と言うのか…。
とにかく彼のスゴさを感じますね。
一見まじめに考えてるんだな、と思いきや「テレビの方が儲かるから漫画家辞めてもいい」と言い出す始末!
なんとも自由な蛭子さん、さすがです。
そんな漫画家としての伝説がかすむほど、昨今のバラエティ番組出演で垣間見える、蛭子能収さんの人間性が話題になっています。
テレビに出ている蛭子さんは「おっとりとした性格で良く笑う、人の良さそうなおじさん」の印象が強いですが、実は、一瞬引きつってしまうような飛んでもないことを突然言ったり、奇行が見受けられることもあるようです。
この穏やかな見た目からは考えられないほどの毒舌や軽率な発言が多いことから、ネットではその発言をまとめた”蛭子伝説”が多くアップされています。
「マジキチ伝説」「クズ伝説」「最凶伝説」などなど、様々に題された蛭子能収伝説を、
いくつか抜粋してご紹介します。
あるバラエティ番組で「悲しい気分になった事がほとんどないんですよ」と発言した蛭子さん。
お葬式にまつわる蛭子さんのエピソードは有名で、たくさんの伝説が残されています。
「お葬式で笑ってしまう」というエピソードが話題になりましたが、本当のことなのでしょうか?
蛭子さんが執筆した本で、そのエピソードが本当であることが明かされています。
「だから最近、お葬式には行ってないんですよ」とのこと。
蛭子さんとしては、「緊張しないといけない」場面が苦手なようで、皆が緊張を強いられるシーンがついつい喜劇に見えてしまうらしく、だからお葬式は嫌なんだそうです。
なんと、ビートたけしさんのお母様のご葬儀でも、参列中に笑顔が見られたため、北野家を激怒させたこともあるそうです。
生まれ持った顔立ちのせいもあると思いますが、ご自分の親の葬式でも始終笑顔だったそうで、親類に嗜められてしまったことも。
ですが、実のお兄さんも蛭子さんと同じ価値観を持っており、葬式の間、兄弟揃って笑顔で過ごし、その後二人でパチンコに行ったという逸話も…。
蛭子さんだけではなく、お兄さんもスゴい人ですね。
シリアスな場面が苦手、という人は結構いると思います。しかしそれでもモラルというものが感情の盾になると思うのですが…蛭子さん、ぶっ飛んでいます。
蛭子能収さんといえば、ギャンブル好きとしても有名です。
「ボートレース芸人」としてアメトーークに出演していたこともありました。
以前、賭け麻雀で逮捕歴もある蛭子さんですが、その一件についてタモリさん等に詫び状を送るなど、真面目に謝罪を行っていたそうですが、言葉を重ねるうちに「とは言っても皆やっていることなんですけどねぇ」と本音(?)がポロリ。
実は逮捕後、取調室で「もう賭け事が絶対やりません!賭けてもいいです!」と言ってのけた蛭子能収さん。
しっかり反省したのでしょうか。
ある意味伝説的なギャンブラーですね。
漫画からも分かるように、発想や着眼点はとても独特でなかなか面白いのですが…。
ある難民キャンプの食料配給シーンを見て、「あれ、全部腐ってたら面白いね」と一言。
全く笑えませんね。
蛭子さんにそっくりの容姿から、一見してすぐに息子だと分かる長男・一郎さんとのひとこま。
息子の年齢を聞いて驚く蛭子さん、彼の人生に置いて子供の年齢は特に気にかけることではないようですね。
ご自身の子供だけではなく、そもそも”子供”に対しても独特の価値観を持っているようです。
サブカルチャーの教祖とも言われる、みうらじゅんさんから「うち、子供が生まれたよ。」と報告を受けたときの一言。
「赤ん坊はですね、頭のてっぺんが柔らかいから、親指でギューと押すと中まで入りますよ」
なんてことを言うのでしょう。。。
蛭子さんから「うちの子供見に来ませんか?」と誘われて見に行くと、なんとそこは病院の研究室。
「これが最初の子供なんですよ」と蛭子さんが笑顔で指さす先には、ホルマリン漬けの奇形の胎児だったそう。
コメントに困ります。。。
その第一子は、残念ながら死産で実は障害を持った状態だったそうですが、それを知らされた蛭子さんはあろうことか「やった」と喜んだそうです。
さらに、お医者さんから「サンプルとして遺体を欲しい」と言われた際も笑顔で承諾したそうな。。。
関心がない、を通り越したとんでもない言動です!
これが「最恐・最凶伝説」と言われる最たるエピソードではないでしょうか。
蛭子さんの子供や人間の死に対する価値観は、常人にはとても理解が難しいもののようです。
エピソードだけを並べると、決してテレビで活躍しそうにもない人物に思えますが、なぜかバラエティ番組で活躍中の蛭子さん。
きっと、これまでの理解の範疇を超えた非情なまでのエピソードだけではない、純粋で飾らない蛭子さんの人柄と発言に魅力を感じている人が多いからなのかもしれませんね。
自分の親の葬式の時ですら、笑顔を隠しきれ無かった蛭子さんですが、奥さんがお亡くなりになったときにはとても悲しい思いをされ、「うちの女房が死んだときね、メチャクチャ涙が出ましたね。ボロボロボロボロと」と号泣したことを明かしたこともありました。
このエピソードからも、ものすごく愛妻家だったことが伺えます。今までの伝説とは一変して、とても人間味溢れる蛭子さんですね。
自分の活躍を「周囲のおかげ」と言う蛭子さんは、あるインタビューの回答で、独特の表現でその有り難さを語っています。
「人に動かされて、今、ここにきた感じなんです。親友と呼べる存在はいないけど、お世話をしてくれる人が現れる。自分から近づくことはないけど、近づいてきてくれる人がいるんです。」
しかも、近づいてきてくれる人が良い人かどうかは、なんとなくピンと来るそうです。
独特の感性、本音を言えるピュアさ、そして人を見分けるある種の「才能」が、数々の伝説を生み出す基盤となったのではないでしょうか。
数多く語られる蛭子能収さんのトンデモ伝説に対する世間の反応はというと…
「蛭子さんは本当にすごい。圧巻ものです」
「清々しさすら感じさせるここまでのクズはなかなか居ないよ」
「蛭子能収の恐怖伝説は、”絶対に見てはいけない”レベル」
バラエティ番組「水曜日のダウンタウン」で『蛭子能収を超えるクズ、そうそういない説』が検証されたことも。
蛭子さんの言動にあきれ、「ダメ人間だな」と言いつつも、もしかしたらその裏には「蛭子さんのように自分に正直に生きてみたい」という憧れの気持ちもあるのかもしれませんね。
周囲のことや常識などには目もくれず、自由奔放な発言をする蛭子能収さん。
一見、「ちょっとおかしい人」と片付けてしまいそうになりますが、その発言をニュートラルな目線で見ると、物事の本質や核心をズバッと突いていることが多いのかもしれません。
引いてしまうような毒舌も、自分の考えや思ったことを素直に本音で話しているからなのでしょうね。
いかがでしたでしょうか?ネットで数多く語られる、ときにはドン引きしてしまうほどの蛭子「伝説」エピソードも、インターネットをしないご本人からするとどこ吹く風。
そんな風にいつも飄々と自由に生きる蛭子能収さんからますます目が離せません!
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