【トラック野郎、仁義なき戦いでお馴染み!】菅原文太の画像まとめ
2015/10/09
グリ777
菅原文太のプロフィール!
菅原文太の歩みを振り返り、追悼します。
菅原 文太(すがわら ぶんた、1933年〈昭和8年〉8月16日 - 2014年〈平成26年〉11月28日[2])は、日本の俳優、声優、ラジオパーソナリティ・農業従事者。宮城県仙台市出身。愛称は文ちゃん[3][4][5]・文太兄い。
随分いろいろなことをこなしていたようです。
追悼!菅原文太の家族
なんと、悲しいことに菅原文太は存命中に息子を事故で失っています。しかし、生前俳優として活躍していました。
さらに、娘もいるそうです。
刑事ドラマや時代劇・Vシネマ幅広く活躍していたようです。
こんな一面もあった!?
父親としての一言を持ち、「げんこつおやじの会」を立ち上げた。また、若い女性の起用に偏重する近年の日本の芸能、マスメディアの風潮に批判的であり、そのために断る仕事も多かったという
というわけで、現在の芸能界には批判的だったようですね。
追悼!菅原文太名演集
まずは、「トラック野郎」!このほどお亡くなりになった名優・愛川欽也と共演!
主演は菅原文太、愛川欽也。煌びやかな電飾と極彩画に飾られた長距離トラック(デコトラ)の運転手、一番星桃次郎(菅原)とヤモメのジョナサン(愛川)が巻き起こす、アクション・メロドラマ・お色気・下ネタ・笑い・人情が渾然一体となった大衆娯楽活劇である。監督は奇才かつヒットメーカーで、菅原とは無名時代からの友人でもある鈴木則文。
追悼で見てみたい菅原文太×トラック野郎
追悼!菅原文太名演集!
次は「仁義なき戦い」!賛否両論を巻き起こした傑作。松方弘樹や田中邦衛などの往年の名優も共演している。
広島が舞台になったヤクザの抗争劇!
主人公である美能幸三が獄中で書き綴った手記[注 1]をベースに、飯干晃一が1972年(昭和47年)「週刊サンケイ」5月26日号から小説を連載[4]。飯干の小説は半分近くが美能の手記を引用した"実録小説"である[5]。団体・人名・地名も全て実名(映画本編では実名をもじった名前に変えられる)で記述され、手記と解説が一対になり、事件や行事ごと、広島抗争が時系列に沿って進む
元々は小説や手記から出発しました。
でも、映画化の経緯は関係者の多くが此の世を去っていることもあり、不明な点が多いとされている。
追悼!菅原文太名演集~「利家とまつ」
時代劇も得意としており、数々の作品に登場してきました。
「戦国最強のホームドラマ」と銘打たれ、利家とまつ、秀吉とねね、佐々成政とはる、という3組の夫婦の交流と競争を軸にドラマが組み立てられる。大河ドラマで初の女性による制作統括を任された浅野加寿子は、「二人から始まる加賀百万石ストーリー」をキャッチフレーズに、戦国の女は男性の陰に隠れがちだが実際はもっと強かったに違いないとの仮説で、まつをクローズアップし夫婦の物語にしたと語っている。夫婦の名前をタイトルにするのは、これが初めてであった[2]
2002年の大河ドラマでしたね!
追悼!菅原文太名演集~千と千尋の神隠し
ベテランの域にさしかかった60代の頃からしばしばアニメにも登場するようになった菅原文太。
味わい深い役が印象的でした。
釜爺(かまじい)
声 - 菅原文太
湯屋「油屋」の釜場でボイラーを担当している老人。蜘蛛のような姿で、6本の手を自在に操り、「油屋」で使われる湯を沸かし、薬湯の薬を調合する仕事をしている。千尋を気遣い、リンに湯婆婆の所へ連れてくように言う。部下に石炭を運ぶススワタリがいる。
安易に一匹のススワタリの仕事に手を貸し、その結果全てのススワタリに仕事を押し付けられそうになった千尋を叱り、ススワタリを一喝するなど、しつけにも仕事にも厳しいが、リンが初めて千尋を見て驚いていたとき、「ワシの孫だ」と言っていたり、千尋が釜爺の部屋で寝ていた時冷えないように座布団をかけてあげる等、優しい面も見せている。
ちなみに、自分のことを「扱き使われてるジジイだ」と言っている。
主題歌「いつも何度でも」も有名になりましたよね?
続いては、菅原文太の追悼の大メインとして遺作を紹介!
追悼!菅原文太の遺作
細田守監督の有名アニメ作品。これが2012年放映されたのですが、これが遺作となりました。
細田守監督による長編オリジナル作品第2作である。細田は本作で初めて自ら脚本も手がける。テーマは「親子」であり[2]、19歳の少女が「おおかみおとこ」と出会い、その間に生まれた「おおかみこども」の姉弟が成長し自立するまでの13年間を描く。
菅原文太の追悼作品と言えます。さて、どんな役柄を演じていたのでしょう?
追悼!最後に演じた役は…
こんな老人を演じていました…
韮崎(にらさき)
声 - 菅原文太[7][9]
90歳。花の近所に住む農家の老人。強面でぶっきら棒だが、優しく、花に農業の助言をしてくれる。なお、助言してくれる理由は彼の家族曰く「惚れている」からである。
この頃から菅原文太は農家をやっていたようです。他にも様々な社会活動を行うようになっていました。
さて、既にDVDも出ていますが反響はどうなんでしょう?
『子供は親の預かり知らない所で勝手に成長し、自立するもの』
親はそんな子供に対して『元気でいてね』と願う事しかできないと言う、
どうしようも無い『親子関係の現実』と
真摯に向かい合った物語である所にあると思っています。
という感じで、なかなか見てる側もエネルギーを要する作品かも知れません。概ね評判はいいようですね。菅原文太の追悼作として十分ではないでしょうか?
それは「母親は何をするべきか」というお手本の啓示だと思う。
世間知らずでもダメダメでも情けなくてもいいからとにかく面と向かって子供を愛してあげなさい。それだけでいい。そしてやがて巣立つ子供の姿を近くからでも遠くからでもいいから温かく見守ってあげなさい。そんなメッセージなのだ。
というわけで、追悼において見てもらいたい作品を紹介してきました!いかがでしたか?
もちろん、「それで平和を守ることは出来ない」と異論を唱えられる方もいらっしゃると思いますが、愛川欽也同様、人生の原点となっているようですので、紹介しておきます。
菅原文太演説@沖縄~追悼!
追悼!菅原文太が亡くなるわずか数週間前にのこした言葉になります。ここでは、政府の役割について「飢えさせないこと」そして「戦争をしないこと」だとした上で、政府の政策はこれにもとるものと批判したようです。
こういった主張についてはネットでもネットの外でも、議論がなされています。ある意味追悼どころではないかも知れません。
追悼!菅原文太!
さらに、晩年は農業に打ち込んでいました。
菅原さんは言う。「農業をやるとおもしろい。筋書きがないドラマがおもしろい。」
役者より、よほどおもしろいというのである。役者として頂点を極めた人がいうのだから、そうかもしれない。うまくいかなかったことを後悔するのではなく、楽しんでいるのである。有機無農薬農業をやろうと思ったら、それぐらいの腹は必要かもしれない。
80歳を迎えても研究熱心だったそうです。農業への取り組みを知るのも菅原文太への追悼と言えるでしょう!
追悼!菅原文太…
さて、いろいろな活動から菅原文太を振り返りました。皆さんもそれぞれ気に入った作品で追悼してみてください。
そして、人はやはりいろいろな側面を持ち合わせていると言えるでしょう。それぞれの人にそれぞれの原点があるのだろうと思います。
また、味わい深い役者を失ってしまいましたが、またこんな役者が出てくることを願っています。
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