【衝撃スクープ!?】児島美ゆきさんは高倉健さんの元恋人だった!?
2016/07/31
セラフィム
高倉 健(たかくら けん、1931年2月16日 - 2014年11月10日)
歌手。愛称、健さん。
福岡県中間市出身、身長180cm、血液型はB型。
高倉プロモーション所属。日本を代表する映画スターで、半世紀以上にわたり活躍してきた
菅原 文太(すがわら ぶんた、1933年8月16日 - 2014年11月28日)
声優、ラジオパーソナリティ・農業従事者。宮城県仙台市出身。
愛称は文ちゃん・文太兄い。
代表作は映画『仁義なき戦い』シリーズ、『トラック野郎』シリーズ。どちらも日本映画史に残る配給収入を上げた。
高倉健と菅原文太のように、映画だけに出続ける俳優が絶滅してしまった日本映画界、芸能界では これは、もう、天然記念物もののイメージですね。
菅原文太のエピソードをご紹介します!
菅原文太さんのエピソードで1つ、特に印象に残っているのが、半年ほど前に知ったのですが、俳優の宇梶剛士さんが錦野旦さんの付き人をされていた時の話。
宇梶さんが仕事で菅原文太さんのところを尋ねた際に、一目で宇梶さんを気に入り、その場ですぐに電話をして菅原さんの付き人にしたという。それ以降、菅原さんの事を、宇梶さんがオヤジと呼ばれていたのを思い出しました。それにしても、行動力が早い。
菅原文太さんの行動力には感服させられますね。昔は付き人、いまではマネージャーのようなものでしょうか?
高倉健さんは、東映で主演の確固たる地位に登り詰めるまでに、かなりトントンと登り詰めたようですが、菅原文太さんは新東宝が倒産したことで、松竹へ移るも、脇役で5~6年ほど、そんな状態が続き、東映に移籍という流れ。
あの菅原文太が脇役?なんて
信じられないですね。
菅原文太は『仁義なき戦い』で、確固たるスタートとして広く認知されたと思います。これ以降、階段を上るように快進撃が始まります。大河ドラマなどへの出演も続きます。
仁義なき戦いシリーズは日本映画界に残る名作です。
高倉健さんが亡くなられたときに、菅原文太さんからコメントが無かったのは、すでに出来ない状況だったのかもしれません。高倉健と菅原文太は同時期にお亡くなりになっていることも最初から決まっていたような気がします。
高倉健と菅原文太は同じ時代にいきて同じ時代で幕をとじたんですね。なんだか不思議なつながりですね。
菅原文太とは不仲だったようですが、当時のよきライバルだっただけの話ですね。
映画で初共演した女優の綾瀬はるかは、ロケ地となった長崎県平戸での凱旋舞台あいさつで、「ホテルの部屋に帰ると、(高倉健さんから)手紙とフルーツの盛り合わせが……」というエピソードを披露。まさか高倉健さんからの差し入れとは思わず、初めはホテルの料理長からだとばかり思っていたという。
女性だけではなく、共演者や家を撮影に貸してくれた一般人にまで手紙を書き、毎年粗品をおくる高倉健は、本当に素晴らしい方ですね。
まぎれもなく映画界の大御所の一人なのに、誰に対しても礼儀正しく、真摯な態度で接するところが魅力だと思いますね。握手するときにも、必ず両手で相手の手を包み込むのが高倉健さんのやり方。高倉健さんにそんな態度で接されたら、誰だって感激してしまいます。
高倉健に手を包み込まれたら、もう手洗えません!
高倉健さんという人は、気持ちの通じ合った共演者に、高級ブランドの腕時計を、高倉健という名前を彫ってプレゼントするんです。記憶に残るだけでも、たけしさんや千葉真一さん、田中邦衛さんらがプレゼントされています。
高倉健と名の入った高級腕時計!!怖くてつけれません!!
なかなか誰にでも出来ることじゃないですね。
エキストラやその映画製作に携わるすべての方たちに気を配られていたそうです。高倉健、疲れないのかな?
名俳優の大御所2人が同時期にお亡くなりになられました。日本の映画界に名を残すお二人ですが、衝撃が走りましたね。
先日、名優・高倉健がこの世を去り悲しみに暮れるなか続く訃報。高倉健さんに続いて、菅原文太さんの死去。昭和の任侠映画の“ヒーロー”が、まるで連れ立つように逝った。
連れ立つように逝ったと報道されたときは日本中が涙しましたね。
先月10日に亡くなった高倉健さんに続き、またも昭和の大スターがこの世を去ったことを受け、「最近訃報多すぎる ご冥福をお祈りいたします」「また、昭和の俳優が一人…」「次々に名優が亡くなられて寂しい限りです」など、悲しみの声が相次いでいる。
この昭和の時代の俳優がどんどん減り、日本映画界が薄っぺらいものになりつつありますね。昭和の時代はよかったですね。
菅原文太さんは、最近は福岡市内に住んでいたといい、死去後、きのう11月30日に、すでに太宰府天満宮(福岡県太宰府市)の祖霊殿で家族葬が執り行われたという。
早稲田大学に行かれていたんですね!大学でもさぞモテたことでしょう。
長身で二枚目のビジュアルと味のある声とともに、任侠映画などでのいぶし銀の演技、スクリーン映えする存在感で多くのファンから愛されていた唯一無二の俳優だった。
最後に、おふたりがこの世に残されていった名言をお届けいたします。
いかがでしたか?対照的だけれども、でもどこか似た雰囲気をお持ちになる高倉健さんと菅原文太さん。相次いでお亡くなりになられたときは本当に悲しかったですね。
今後、映画界にこの大御所2トップを超える名俳優は誕生するのでしょうか?
今後の映画界の行方に注目したいと思います。
以上、昭和のスター高倉健と菅原文太をご紹介致しました。
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