椎名林檎の人気アルバムBEST3!椎名林檎の魅力とは?プロフィール等
2018/04/14
kiiroitori
椎名 林檎
出生名 椎名 裕美子(しいな ゆみこ)
別名 Deyonna
出生 1978年11月25日(36歳)
出身地 福岡県
ジャンル J-POP、ロック、パンクロック、オルタナティヴロック、エクスペリメンタルロック、R&B、ヒップホップ、ジャズ、エレクトロニカ
職業 作曲家、作詞家、編曲家、実演家
担当楽器 ボーカル、ギター
活動期間 1998年 - 現在
椎名 林檎は、日本のシンガーソングライター。
有限会社黒猫堂所属。レコードレーベルはEMI Records Japan(ユニバーサルミュージック)。
2004年から2012年まではロックバンド・東京事変のボーカリストとしても活動していた。
2009年、平成20年度芸術選奨新人賞(大衆芸能部門)受賞。
日本を代表するミュージシャンとして、椎名林檎は世界でも知られています!
バレエやピアノを習っていた影響で幼少期にはクラシック音楽を好んでいたが、ピアノ曲以外はあまり好きではなく、交響曲でもバレエ音楽ばかりを聞いていた。
父親の影響でザ・ピーナッツは好きだった。
母親のカセットテープに入っていた五輪真弓、太田裕美、朱里エイコ、大塚博堂、寺尾聡、来生たかお、ペドロ&カプリシャス、長谷川きよしのような古い歌謡曲や、クラシック以外にジャズやポピュラー・ミュージックへの造詣も深かった父親の好きだった渡辺貞夫、ビリー・ジョエル、そしてニーナ・シモン、サラ・ボーン、エラ・フィッツジェラルドなどの女性ジャズ・ボーカルを好んで聞いていた。
兄の影響でモータウンやソウル・ミュージック、R&Bなどのブラック・ミュージックに傾倒するようになり(フェイバリット・アーティストはマーヴィン・ゲイ)、邦楽をまったく聞かなくなった。
高校に進むとBLANKEY JET CITYをきっかけに日本語の歌詞を受け入れて再び邦楽も聞くようになり、洋楽ではレディオヘッドやビョークを聞いていた。
高校を辞めた後は感覚が昔に戻ったのか、改めてトッド・ラングレンやレッド・ツェッペリン、ビートルズなどを聞き直していた。
高校生までの間に幅広い音楽を聴いているのが、椎名林檎を作っていると分かります。
小学生でジャズボーカルを好んで聴いていたとは、耳が肥えてますね・・・。
中学時代、友人とバンドを結成。高校に進学すると軽音楽部に入部、いくつものバンドを掛け持ちしてさまざまな楽器を担当する。そして学内だけでなく学外の友人ともバンドを組むようになり、ライブハウスでも演奏するようになる。
高校二年生の時に『Marvelous Marble(マーベラス・マーブル)』というバンドで「第9回 TEENS' MUSIC FESTIVAL」に出場。福岡地区で1位となり全国大会に進出、奨励賞を受賞する。この時のティーンズ大賞・文部大臣奨励賞(グランプリ)はaiko。
1996年、フリーター生活をしながら[21]「The 5th MUSIC QUEST JAPAN」の福岡大会に再びバンドで出場するが、大会関係者にソロ転向を勧められて決勝の「MUSIC QUEST JAPAN FINAL」には『椎名林檎』として出場、「ここでキスして。」を歌って優秀賞を獲得している。
地方予選の段階でいくつかのレーベルから声がかかり、その中から東芝EMI(現・EMI RECORDS)を選んで契約する。
「第9回 TEENS' MUSIC FESTIVAL」、「MUSIC QUEST JAPAN FINAL」
ともに今は行われていません。
これらのオーディションにはドリカムやグレイといった顔触れも出場していたそうです!
豪華ですよね。
椎名林檎の音楽的ルーツを踏まえて、おすすめの曲をご紹介します!
椎名林檎の曲はあまり詳しくないんだー、という人も耳にしたことがある。
そんな初心者におすすめする、椎名林檎の名曲厳選3曲をどうぞ!
歌詞ランキング第3位にランクインしたのは1999年1月20日にリリースされた3枚目のシングル「ここでキスして。」です。
この曲で「ミュージックステーション」への初出演を果たしました。椎名林檎が当時つきあっていた男性への思いを綴った可愛らしい曲です。
1999年発売4thシングル、アルバム「勝訴ストリップ」収録。
セクシーなナース服でガラスを叩き割るミュージックビデオが当時話題を呼び、ミリオンセールスを記録。発売から現在までで椎名林檎最大のヒット曲となっています。
歌詞ランキング第1位にランクインしたのは、2000年1月26日に発売された、椎名林檎初のバラードシングル「ギブス」です。
この曲はデビュー前に制作された曲で、「本能」に次ぐ2番目にヒットしたシングルとなりました。甘い歌詞も素晴らしく、切ないメロディにもキュンときます。
このおすすめ曲「ギブス」は、椎名林檎のカラオケ人気曲でも1位なのだそう!
椎名林檎の楽曲は定番以外にもおすすめがたくさんあります。
シングルのカップリング収録された中にも、隠れたおすすめがぎっしり!
カップリング曲を集めた「放電と私」から、A面顔負けの隠れたおすすめを3曲どうぞ。
シングル「幸福論」のカップリングに収録されています。
ファンの隠れ名曲に必ず入ってくる1曲です。
一度聴いてみてください、おすすめです!
メロウ
(作詞:椎名林檎 作曲:戸谷誠、椎名林檎)
元はギター担当の戸谷誠の曲だが、椎名が余りの出来栄えに感動してさらに曲を付け足し詞を書き下ろした物。
歌詞は珍しく男性目線で描かれたものになっており、一人称に「僕」、二人称に「お前」が使われている。
椎名林檎の初期の楽曲。
ロック色が強く、メッセージ性の強い歌詞にも注目です。
CMでも耳にしているので聴きなじみがありますね。
あおぞら
「サントリー ザ・カクテルバーフェアリーテイル篇」CMソング。
高校二年生の時、遺伝性の目の病気で網膜剥離の手術を受けた男友達に「あおぞら」というタイトルで歌を作って欲しいと頼まれ、彼からもらった手紙を元に歌詞を書いた曲。
2004年、椎名林檎が東京事変の活動を表明。フジロックフェスティバルに初参戦、ホワイトステージのヘッドライナーを務め、入場規制がかかるほどの衆目を集める。デビューシングル「群青日和」、1stアルバム『教育』をリリース。 05年、伊澤一葉(Key.)と浮雲(G.)が参加、現メンバーが揃い制作した2ndアルバム『大人(アダルト)』がチャート第一位を獲得。 06年、08年には複数のアーティストを招いてのイベント「SOCIETY OF THE CITIZENS」を主宰した。 07年3rdアルバム『娯楽(バラエティ)』、10年4thアルバム『スポーツ』、11年5thアルバム『大発見』とテレビのチャンネル名を冠したオリジナルアルバムをリリース。 2012年1月解散を発表。 メンバー全員が夫々作詞作曲した楽曲を持ち寄ったラストアルバム『color bars』リリース。 2月に「東京事変live tour 2012 Domestique Bon Voyage」を開催、2月29日の日本武道館公演をもって活動を終了する。
音楽活動を休止していた椎名林檎が結成したバンド。
メンバーは、音楽プロデューサーの亀田誠治をはじめとする5人からなる。
解散後したいまでも、根強いファンが多い東京事変。
東京事変から、おすすめを3曲ピックアップ!
椎名林檎のおすすめ曲いかがでしたでしょうか?
名曲ばかりで、椎名林檎の才能に驚かされます!
はやく、椎名林檎の新曲が聴きたいですね。
新たなおすすめ曲の誕生に期待しましょう!
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