元AKB前田敦子と大島優子の現在|結婚や2人の違い、関係について
2018/08/27
miyakasa
大島優子
1988年10月17日
栃木県出身
太田プロダクション所属
元AKB48チームKメンバー
1996年から母親の薦めでセントラル子供劇団に所属し、子役として芸能活動を開始する。2000年ごろからジュニアアイドルとして活動し、2005年にはTHE ALFEEの高見沢俊彦がサウンド・プロデュースした総勢25人のジュニアアイドルユニット、「Doll's Vox」に所属していた。それゆえに子役時代も含めると芸歴は10年以上あり、歴代AKB48メンバーの中では最長である。
2006年 「第二期AKB48追加メンバーオーディション」に合格し、
AKB48のメンバーとしてデビュー
2010年 AKB48選抜総選挙にて初の1位でセンターポジションを獲得
2012年 AKB48選抜総選挙で2度目の1位を獲得
2013年 紅白歌合戦にてAKB48からの卒業を発表
2014年 AKB48卒業
2015年 連続ドラマで初の主演を務めた
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前田敦子
1991年7月10日生まれ
千葉県出身
太田プロダクション所属
元AKB48チームAのメンバー
2005年 AKB48オープニングメンバーとしてデビュー
2009年 AKB48選抜総選挙で1位
2010年 AKB48選抜総選挙で大島優子に次いで2位
2011年 AKB48選抜総選挙で再び1位獲得
2012年 AKB48からの卒業を発表
同年 AKB48を卒業
グループ発足時から卒業まで中心メンバーの一人であり 、24thシングル「上からマリコ」以外の全てのシングル表題曲の選抜メンバーに選出された。「桜の花びらたち」、「ヘビーローテーション」、「チャンスの順番」、「上からマリコ」を除くほぼ全てのPVや音楽番組でセンターの位置についていたため、“絶対的エース”、“不動のセンター”と呼ばれた。
AKB48のセンターと言われた前田敦子と
AKB48のエースと言われた大島優子は不仲だった、という噂が
前田敦子と大島優子のAKB48時代にありました。
「社交的な大島優子に比べて内向的な前田敦子だから、
大島優子と前田敦子は合わない」や
「大島優子と前田敦子が睨み合っていた」などの
声がありましたが
大島優子と前田敦子は不仲説を否定し続けていました。
しかし、前田敦子の卒業が決まり
ある音楽番組に出演した時、
大島優子が前田敦子との仲についてこう発言しました
センター前田敦子と
エース大島優子の間に壁があったことを認めました。
しかし、だからといって
前から不仲だったわけではなく、
前田敦子の卒業によってさらに仲良くなったようです。
そして大島優子は前田敦子に対して
このようなコメントをしています。
また、大島優子は
前田敦子との出会いは運命だと語っていました。
2012年に前田敦子が
2014年に大島優子が
AKB48を卒業し、
共に夢であった女優として活躍しています。
AKB48卒業後も
大島優子と前田敦子は比べられてしまうことが多いのですが、
AKB48時代と同じように
大島優子と前田敦子はタイプが全く違うようです。
前田はもともと国民的アイドルのエースでありつつも、明るく清々しい“王道アイドル像”とは一線を画していた。周囲に溶け込まないマイペース感や飄々(ひょうひょう)とした“変わり者”っぽさを漂わせながら。それが女優として良い味になっている。
前田は好きか嫌いか分かれがちなのに対し、大島は幅広く愛される好感度がある。テレビに出るごとに良さが広まるタイプで、女優としても大衆受けしやすい素地を持つ。
演技力では現在、
前田敦子の映画はヒットしたが
大島優子の主演ドラマが低視聴率だったことから
大島優子より前田敦子の方が
女優としての株をあげている、と言われています。
助演女優賞を受けた『紙の月』でも、大島の出演シーンはごくわずかで、この受賞は“下駄を履かされた”と映画界ではもっぱら。今クールの主演ドラマ『ヤメゴク』も視聴率は6%前後をウロウロしていますし、今回の『イニシエーション・ラブ』のヒットで、前田には大きく水をあけられましたね
共に女優として活躍している
大島優子と前田敦子。
「同じ世界にいるのだから共演も...」
と大島優子と前田敦子の共演を望んでるファンは少なくないそうで
前田敦子は大島優子との共演を
このように語っています。
女優として輝く大島優子と前田敦子の共演を
楽しみにしていたいと思います。
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