坂口憲二が一度休業していた!彼を襲った病気とは一体何だったの?
2022/01/21
sakura26
林隆三(はやしりゅうぞう)
本名:林隆三
生年月日: 1943年9月29日
没年月日: 2014年6月4日(満70歳没)
出生地: 東京都新宿区四谷
死没地: 東京都
身長:175cm
血液型:A型
林隆三さんの家族は、元奥さんをはじめ、お子さんも俳優や女優として活躍していたようですね。
東京都新宿区四谷に生まれる。1961年に立教高等学校(現・立教新座高等学校)を中退後、1963年俳優座の俳優養成所に入り(第15期生)、1966年に卒業。
林隆三さんは、俳優だけではなく宮沢賢治の作品を読む活動というものを行っていたんですね~
素敵ですね。病気を発症してからも、その活動は続けていったようです。
5歳からの6年間を仙台で過ごした。その頃、両親の出身地の山形県をひとりで旅したことがある。幼少年期を東北で過ごした体験が、宮沢賢治の朗読公演をライフワークとする原点となっている。
林隆三さんのライフワークとなった朗読の公演は、子供の頃の体験からきているようですね。ライフワークを見つけることができた林隆三さんは、病気になってもそれが励みとなって頑張っていたようです。
林隆三さん。ピアノを習っていたとはすごいですね~。
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林隆三さんの病気は、腎臓の病気だったんですね。入退院を繰り返していたというのですから・・大変だったのでは?!
昨年には手術を受けたが、今年5月上旬に仕事でニューヨークに行き、最後の出演作になったNHK時代劇「吉原裏同心」(今月26日放送開始)に医師役で出演していた。
腎臓の病気によって受けた手術。 病気を抱えていても病気の治療の合間をぬって仕事を行っていたようですね。
スポーツジムに通うなど鍛錬を欠かさなかったが、5月28日に都内のライブハウスで歌って、ピアノ演奏したコンサートを終えた後に倒れ、病院に搬送されたという。
常に体力を維持するための努力を欠かすことのなかった林隆三さん。それでも林隆三さんは病気に勝つことができなかったようですね。。
「三期会(現・東京演劇アンサンブル)」を経て、何本か端役でテレビドラマに出演した後、1970年に木下恵介・人間の歌シリーズ『俄』(TBS)に初主演。
「三期会(現・東京演劇アンサンブル)」を経て、何本か端役でテレビドラマに出演した後、1970年に木下恵介・人間の歌シリーズ『俄』(TBS)に初主演。その後、平賀源内の青春時代を描いた『天下御免』(NHK)に出演し、人気を博する。
林隆三さんは色々な女優さんと共演していますが、秋吉久美子さんとの共演で話題となったようですね。
1977年、津軽三味線の名手である高橋竹山の若き日を描いた『竹山ひとり旅』に、新藤兼人監督に請われて主演。その鬼気迫る演技で第1回日本アカデミー賞で主演男優賞を受賞[1]。一躍スターと認められる。
林隆三さんを一躍有名にした「竹山ひとり旅」。
その後、テレビドラマは『森村誠一シリーズ』『噂の刑事トミーとマツ』『夢千代日記』』『ザ・ハングマン』『誘惑』、映画は『時雨の記』『郡上一揆』などに出演している。
噂の刑事トミーとマツ。面白かったですね。 林隆三さんが渋くてカッコ良かった。
5歳から6年間、仙台市で暮らしたことがあり、2011年の東日本大震災後は復興支援活動にも積極的に参加している。前年に宮城・石巻市でロケを行い、撮影では現地のエキストラの協力の下、完成させた映画「エクレール・お菓子放浪記」の公開にあたって、ギャラを全額、同市復興のために寄付した。
林隆三さんが病気となり、最期を迎える前の遺作・・。
本当に残念ですね。
病気になって入退院を続けていても、仕事への情熱を消すことなく次の目標を掲げていた林隆三さん。病気に負けないパワーで頑張っていましたが・・・・。やっぱり病気に勝つことはできず・・
ライブハウスでの仕事を終えた林隆三さん。ライブハウスから出た直後に倒れたようですね。
そしてそのまま・・・。最期まで仕事人間だった林隆三さん、本当に素敵な人でした。
林隆三さんはどのくらいの期間、病気と戦っていたのでしょうか。
最期は70歳、腎不全のために亡くなられました。 腎臓の病気を患った時からの病気との戦い。
本当に大変な時期もあったことでしょう。
生前、林は「俳優林隆三としてプライベートのことは控え、終えたい」と話し、通夜・葬儀も近親者だけの予定だったが、葬儀には俳優座養成所同期の小野武彦や、高橋長英、秋野太作、歌舞伎俳優の片岡仁左衛門らが参列した。
最期は近親者のみの葬儀と告別式を行いました。
病気と闘いながら・・・自分の最期をどうするのかを話していたようです。
本当に病気は嫌ですね。
葬儀は近親者ですでに済ませている。「あさチャン!」はこのニュースを何度も繰り返して伝え、「後日お別れの会を開く」していたが、、最後になって「お別れの会を開く予定はないということです」と変わった。訂正もいい訳も説明もなし。ニュース番組の矜持もないらしい。
林隆三というこれだけの俳優さんがなくなれたのに、お別れの会というものは結局行われませんでした。 長い期間、病気と戦ってきた林隆三さんだからこその判断だったのかもしれませんが、縁のある人たちにとっては寂しい最期となったのではないでしょうか。
病気ですぐに最期を迎えるのも嫌ですが、長く病気を患ってしまうと、自分自身の最期というものを深く考えてしまうこともあるようです。林隆三さんも病気との戦いの中で決めてしまったのかもしれませんね。
林隆三さんのご冥福をお祈りいたします。
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