「もっと出演してほしい!!」と切望される俳優・田中隆三に迫る!!
2016/05/26
ぱぱだむ
林 隆三(はやし りゅうぞう)
生年月日:1943年9月29日
没年月日: 2014年6月4日(満70歳没)
出生地:東京都新宿区四谷
死没地:東京都
身長:175cm
血液型:A型
主な出演作品は、「国盗り物語」「たけしくん、ハイ!」「黄金の日日」「飛ぶが如」「炎立つ」「徳川慶喜」など多数。
「三期会(現・東京演劇アンサンブル)」を経て、何本か端役でテレビドラマに出演した後、1970年に木下恵介・人間の歌シリーズ『俄』(TBS)に初主演。その後、平賀源内の青春時代を描いた『天下御免』(NHK)に出演し、人気を博する。
林隆三さんといえば、渋い俳優さんというイメージがありますが・・その一方では愛人との関係のある役柄も多かったような気がします。実生活でも色々噂されていたようですが真相はどうだったのでしょうか。林隆三さんは、幸せな結婚生活を送りますが後に離婚してしまいましたね。
俳優業を行いながら、女優の青木一子さんと結婚した林隆三さん。結婚当初はとても幸せだったようです。二人のお子さんにも恵まれ結婚生活も順風満帆と思っていたら・・ある日離婚へと。一体何が林隆三さんと奥さんに起こったのでしょうか。
バレンタインデーに挙式・・しかも軽井沢って、その当時なら女性にとって憧れ、うらやましく思ったでしょうね~。幸せそうな林隆三さんと奥様の姿が目に浮かびます。
子宝にも恵まれた林隆三さん。どんなお父さんだったのでしょうか。離婚後は、長男と暮らしていたようですね。
結婚25年目を迎えたころから、家庭に歪が生じた。‘96年9月、妻の青木さんが家庭裁判所に離婚調停を申し立てた。直前に林さんは新しい事務所を立ち上げたのだが、そのことに青木さんは強い不満を持っていたのだ。
結婚生活を25年も過ごしてきた林隆三さん。一番離婚することに驚いたのは林隆三さん本人だったかもしれませんね。ほんのちょっとの歪が、25年という月日さえもすぐに奪い去ってしまうのが結婚生活なのかもしれません。結局、林隆三さんと奥様は離婚という形で結婚生活を終えてしまいます。
林隆三さんのマネージャーをやりたいと志願してきた女性に対してよく思わないのは・・林隆三さんに対する奥さんの愛情からだったのではと思います。そのことにきちんと気付いて対処していれば離婚という最悪なことにはならなかったのかもしれません。それでも、林隆三さんは自分のそばにマネージャーとして置いたということはそういうことで、離婚も致し方ない感じだったのかもしれませんね。
林さんは会見でA子さんとの関係をキッパリ否定したもの、結局4年後の’00年に離婚が成立。長女は青木さんと一緒に、横浜市の家から出て行った。さらに数年前に長男も独立し、林さんは400㎡以上もある豪邸で、1人暮らしを続けていたのだ。
幸せだった家庭生活から一変、最終的には大豪邸にひとりで生活していた林隆三さん。離婚って本当にツライものだということを1人になって実感したのでしょうか。離婚した後の奥さんはきっと、スッキリとお子さんと生活していたんだろうなぁと思います。林隆三さんにとっての離婚ってどうだったのでしょうか。
「一子さんは娘さんと出て行ってしまい、林さんは息子さんと一緒に自宅に残りました。ですが、3年ほど前に息子さんも独立して、それからはずっと一人暮らしをされていました。それまできれいに整えられていたお庭も荒れてしまい見ている方も寂しい思いがしましたね」(近所住民)
庭や家のメンテナンスをする余裕は離婚後の林隆三さんにはなかったようです。
男ひとりでキレイにしておくのって難しいですよね。
林隆三さん、素敵な俳優さんというイメージの裏には離婚で孤独というものを持っていたんですね。
女性は強いですよね。 林隆三さんと離婚した青木一子さんは自分らしく生きているようです。
一緒に事務所を設立した女性マネージャーA子さんは、林さんより24歳年下でした。もともと食品会社に勤めていましたが“林さんのために働きたい”とマネージャーに志願したのです。A子さんは、男性としての林さんにも惹かれていました
志願してマネージャーになったということは、よっぽど林隆三さんのファンで好きだったんでしょうね。
林隆三さんの奥さんも面白くなかっただろうな。離婚されても仕方ないかも?!
林隆三さんと元マネージャーさんとの関係は実際にはどうだったのかはわかりません。しかし、林隆三さんの離婚の原因になってしまったのは確かです。いくらマネージャーでも奥さんにとっては嫌なものですよね。林隆三さんも理解できれば離婚にならなかったのかも。
そんな林さんを昨年夏、病が襲ったという。
「体調が悪くて病院に行ったら、がんと診断されて、すぐに手術をしたそうです。でも、だいぶ進行していたそうで、林さんは“長くはないかな”って話していました」(芸能関係者)
もう一度大好きな歌をみんなの前で歌いたい──死を前にそう決意した林さんは、25年ぶりに音楽活動を再開。亡くなる7日前には都内にあるレストランでライブを行った。
本人が選曲したオリジナル曲、ジャズ、ファンク、ソウルミュージックなど全17曲。必死に歌いきった林さんは、打ち上げに参加できないほど疲れ切っていたという。
そしてそのまま都内の病院に入院。4日の朝、息を引き取った。
林隆三さんが病を発症。 もう手遅れな状態で見つかったようですが・・。林隆三さんは離婚されているので、ひとりで病気と戦っていたのでしょうか。晩年が離婚によって寂しすぎますね。
6月4日、入院先の都内の病院で腎不全のためになくなった林さん。死の直前までこの家で暮らしていたが、玄関脇やベランダの植木は手入れがされておらず、3階の出窓から見える障子の紙もところどころ破れたままになっていた
林隆三さんの最期は、2014年6月4日でした。 結婚から離婚を経験し、最期は寂しくひとりで旅立ってしまいました。
葬儀は生前の林さんの意志により密葬で行われた。参会者は50人ほどで、名優の葬儀としては寂しいもので、その会場には林さんの人生を彩った2人の女性の姿もなかったという。元妻で女優の青木一子さん(70)と、元マネージャーで愛人と報じられた女性・A子さん(46)だ。
林隆三さんの最期には、元奥さんも、元マネージャーさんも姿を見せることはなかったようです。
幸せな結婚生活を送っていても、離婚してしまえばもう他人です。そんなことを考えさせられる林隆三さんの離婚と最期でした。
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