可愛かずみの死因は自殺?プロ野球選手・川崎憲次郎の自宅で死亡!
2020/03/10
jonasan
元グラビアアイドルといっても、豊満なボディではなくスリムで華奢な感じの可愛かずみさん。
一説によると、ドラマで共演したベテラン女優から罵倒されたことが、生来が生真面目な性格である可愛かずみさんを追い込み、やがて可愛かずみさんは、不安から逃れるように睡眠薬や精神安定剤に頼るようになったと言われているのですが、そんな状態の可愛かずみさんにも結婚を約束した婚約者がいました。
かわい かずみ
可愛 かずみ
本名 久我 知子(くが ともこ)
生年月日 1964年7月9日
没年月日 1997年5月9日(満32歳没)
出生地 日本の旗 日本・東京都杉並区
死没地 日本の旗 日本・東京都新宿区
身長 161 cm
血液型 A型
職業 女優、歌手、グラビアアイドル
ジャンル 映画・テレビドラマ・舞台
活動期間 1982年 - 1997年
主な作品
テレビドラマ
『トライアングル・ブルー』
『痛快!OL通り』
『アナウンサーぷっつん物語』
『女猫〜美しき復讐者〜』
『季節はずれの海岸物語』
精神が不安定な可愛かずみさんの婚約者って一体誰だったのでしょう?
調べてみました。
可愛かずみさんが所属していた事務所の社長さんと親しい関係だった方が、可愛かずみさんが自殺した時のことを思い出しながら可愛かずみさんの婚約者のことを書いた記事を見つけました。
J-ROCKの社長は、97年に自殺した元グラビアアイドルでタレントの故・可愛かずみさんの婚約者だった國保尊弘氏だったことで、自殺当時の記憶が蘇った。
故・可愛さんが所属していた事務所の社長とは親しい関係だったからだ。自殺した日も、社長と普通に電話していた。その最中に社長が「本多さん、可愛が飛び降りちゃったよ」と悲鳴を上げて、電話を切ったことをいまだに鮮明に覚えている。
その時の様子がこの電話のやりとりから生々しく伝わってきますね。
可愛かずみさんには婚約者がいたのに、なぜ自殺をしなければならなかったのでしょう?
可愛かずみさんは、収録で何度もNGを出したことがトラウマになって精神が不安定になり、睡眠薬や精神安定剤に頼るようになってしまっていたのですが、それでも95年にヤクルトの川崎憲次郎さんとの交際が発覚してからは、平静を取り戻したかに見えたそうです。
結婚も秒読みと言われていたところを見ると、最初の可愛かずみさんの婚約者は川崎憲次郎さんということになるのではないでしょうか。
可愛は95年にヤクルトスワローズの投手だった川崎憲次郎と熱愛が発覚。結婚秒読みといわれたが、川崎が怪我で戦線を離脱。「怪我の治療に専念したい」という川崎の想いから、破局したとされている。
婚約者の川崎憲次郎さんと破局したことがすべてではないようですが、仕事のストレスも重なり、可愛かずみさんはさらに混迷を極め、リストカットを繰り返すようになります。
大物女優さんからNGを罵倒されたり、志村けんさんとのツーショットを週刊誌に撮られたりして精神的に落ち込むようになったところを見ると、可愛かずみさんは傷つきやすい性格なのかもしれませんね。
婚約者の方が可愛かずみさんの傍で可愛かずみさんのことを支えてくれたりしなかったのでしょうか?
その後、可愛さんは、志村けんとのツーショットを週刊誌に撮られてから、精神的に落ち込むようになって、リストカットを繰り返すようになった。そんな彼女を支えたのは、吉田との熱愛が噂になったこともある、同じマンションに住んでいた女優の川上麻衣子だった。
それでもその時はまだ可愛かずみさんの傍で支えてくれる友人で女優の川上麻衣子さんがいてよかったですよね。
可愛かずみさんの婚約者と可愛かずみさんはいつどこで知り合ったのでしょうね。
この頃はまだ婚約者の影は見えていませんが。
なぜ可愛かずみさんが飛び降り自殺をする場所として選んだのが1人目の婚約者が住んでいたマンションだったのでしょう。
あてつけだったのでしょうか?
だが、川上の励ましも虚しく、可愛さんは97年5月9日に川崎が住んでいたマンションの屋上から飛び降り自殺。32歳の若さで亡くなった。死後、自動車販売会社を経営する青年実業家と7月7日に"七夕婚"する予定だったことが明らかになった。その悲劇の婚約者が國保尊弘氏だったのだ。
可愛かずみさんが飛び降り自殺をしたすぐ後の七夕に結婚する予定だったのであれば、1人目の婚約者へのあてつけとは考えにくいですよね。
ではなぜ2人目の婚約者がいて、結婚式の日取りまで決まっていたのに、可愛かずみさんは自殺をしなければならなかったのでしょう。
もともと精神的に不安定だった可愛かずみさんなので、2人目の婚約者から言われた一言一言が心に刺さったのでしょうか。
結婚前の幸せ真っ只中だったはずなのに可愛さん。それだけに、自殺の真相がわからなかった。川崎さんのマンションから飛び降りたことで、彼への思いが断ち切れなかったという情報も流れたが、筆者は可愛さんと親しい関係者から、「かずみは何かひとつ決めるのにも、國保さんにクレームをつけられて悩んでいた」という情報を入手した。
どんな婚約者同士の間でもありそうなちょっとしたすれ違いや口喧嘩も、精神が不安定だった可愛かずみさんにとってはきつかったのかもしれませんね。
普段から精神的に不安定で薬を常用していた可愛かずみさんですから、婚約者との間で起きたすれ違いや口喧嘩だけが自殺のきっかけだったとは断言できないでしょう。
可愛かずみさんが発作的に飛び降り自殺をしたとは考えられないのでしょうか?
やはり2人目の婚約者との間に何かあったのでしょうか?
可愛かずみさんは5年もの間ずっと薬物依存状態だったのですね。
可愛かずみさんが亡くなる5年ほど前から鬱だったということは、その間に2人目の婚約者とも出会っていた可能性はありますよね。
だとしたらなぜ2人目の婚約者が可愛かずみさんを救ってあげることが出来なかったのでしょうか。
可愛さんは、亡くなる5年ほど前からうつ病を患い、過呼吸症の治療として処方された精神安定剤や抗うつ剤を大量に常用していた。川上は可愛さんと同じマンションで暮らしていたが、薬物依存状態となっていたそんな可愛さんを支えきることができず、その後、別のマンションに移っていた。
可愛かずみさんのお友達で女優の川上麻衣子さんが出来る間はずっと可愛かずみさんを支え続けていたのに、2人目の婚約者の影はどこにも見当たりません。
なぜなのでしょう・・・疑問が残ります。
可愛かずみさんが亡くなった後で可愛かずみさんの遺書が出てきたのですが、そこには可愛かずみさんの親友、川上麻衣子さんに宛てた言葉ばかりが書かれてあったそうです。
「麻衣ちゃんがいてくれたおかげで、楽しかった」「麻衣ちゃんと話してるだけで、楽しかった」と。
そして最後には、「パパ 麻衣ちゃんをよろしくね」と書かれてあったそうです。
なぜどこにも2人目の婚約者へのメッセージが書かれていないのでしょうか。
今となっては知るすべもありませんが・・・
可愛かずみさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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【この記事は2020/1/7に更新されました。】