20代が見ていた大好き!五つ子ちゃんの現在はどんな顔をしているの?
2019/11/20
偲輝
現在の篠ひろ子さんは?
篠ひろ子さんは大学在学中にゴルフ練習場にいる時にスカウトされ、東北放送テレビの番組内でアシスタントとしてローカルデビューを果たしました。篠ひろ子さんは元々歌手として本格的に芸能活動を始め無名の状態が続きましたが、女優業を始めたことで着実にファンを増やしていきました。
そんな篠ひろ子さんは1997年に女優業を休止した後、夫の伊集院静さんと郷里の仙台市に移住し、今日まで目立った芸能活動は行なっていないようです。今回は、昭和時代に色気ある女優として人気の高かった篠ひろ子さんの現在や、夫・伊集院静流さんとの馴れ初め、子供について調べてみました。また、これまでの活動についても合わせてご紹介します!
【映画】
【テレビドラマ】
【レコード】
篠ひろ子さんはテレビドラマ『彼 -KARE-』で主演を務めた後、女優としての職業から離れてしまったようです。色気ある魅力的な篠ひろ子さんは現在どんなことを行なっているのか気になる方もいるかと思います。
田舎暮らしで恐妻との噂もあるようなので、真相について調べてみました。
篠ひろ子さんは伊集院静さんと結婚した直後、実家にいる親の面倒が見たい思い仙台に移住することを決心したそうです。また仙台に移住するに伴い東京にくることが困難になるため、芸能界の仕事から離れることを決めたのだとか。
地元の仙台では、犬の散歩をしていたりショッピングをしている姿が度々目撃されるなど、現在は専業主婦として田舎で優雅に暮らしているようです。
篠ひろ子さんは夫の伊集院静さんとゴルフを楽しむ写真がネット上で紹介されていました。仙台は大都市と違い、自然豊かでストレス無く生活過ごせるようですね。
また、芸能活動がなくなったため時間に余裕ができ、料理やゴルフなどの趣味、勉強などを楽しみながら生活しているそうです。
篠ひろ子さんは旦那の伊集院静さんとの間に子供がいるのかどうか調べてみましたが、お二人の間には子供はいないようです。
伊集院静さんに関しては、1度目の結婚の時に子供を授かっているようです。篠ひろ子さんと伊集院静さんが結婚された時、篠ひろ子さんは44歳だったので、年齢的にお子さんを授かるのは困難だったようです。
篠ひろ子さんと伊集院静さんの家には、子供のように可愛がっている愛犬を3匹飼われているそうです。アイス、ノボくん、ラルクという名前の犬を飼っていて、名前の由来は伊集院静さんの著書「ノボさん」から付けられた犬もいるようです。
篠ひろ子さんはとても美人で凛とした姿が人気でしたが、その一方私生活では恐妻家として有名なんだそうです。
夫の伊集院静さんがある番組に出演した際、伊集院静さんが共演者のコメントに激怒し途中退席してしまったそうです。
このような状況の中、騒動が丸く収まるように配慮したのは篠ひろ子さんで、「人前で怒らない。2度とああいうことはしない!相手に非があっても立ち上がったりしない。」と厳しく注意したそうです。
伊集院静さんと交流の深い騎手の武豊さんは「伊集院静さんが唯一、普通っぽく感じられるのは篠ひろ子さんの前にいる時だけで”まいったなぁ”って頭が上がらない感じがしている。」と語っていました。
また、伊集院静さんも篠ひろ子さんについて「私がとんでもないことをしようと監視しているだけ。きちんとして下さいとよく言われる。犬と二人で正座させられてね。怖く無い奥様が世の中にいるならお会いしたい。」と語るほど篠ひろ子さんは良い妻ながらも恐妻な一面もあるようです。
篠ひろ子さんの現在の様子についてご紹介しましたが、次にこれまでの経歴について振り返ってみましょう。まずは篠ひろ子さんの幼少期について、まだデビューについてご紹介します。
篠ひろ子さんは三男二女の長女として宮城県仙台市に電気会社の専務を務める父の元に誕生しました。
幼少期はNHK仙台少年少女合唱隊に所属し、歌手への一歩を歩まれていたようです。聖ウルスラ学院小学校・中学校に通われた後聖ウルスラ学院高等学校を卒業されました。
1968年、東北学院大学在学中にゴルフ練習場で関係者に声をかけられてスカウトされ、東北放送テレビ「ホリデイ・イン・仙台」のアシスタントとしてローカルデビューを果たし、当時の本名沼澤博子名義で出演しました。
その番組に出演中歌っている姿が目にとまり、クラウンレコードに誘われて20歳のとき上京しました。そして、同年に「水色の風」で歌手デビューを果たします。
しかし、順調に行くことがなく曲の売り上げは悪く、1969年にはキングレコードに移籍して「悪い遊び」を出しましたが、ヒットはしませんでした。この経験を生かして
『金曜日の妻たちへパートII』ではクラブ歌手となる主婦を演じ、美声を披露しています。
現在がとても気になる、篠ひろ子さんですが、歌手としてもデビューされていたのは、知りませんでした。でも、女優さんって、現在でもCDをリリースされる方多いですよね!
それだけ演技と歌唱力が一致するという事なのでしょうか?篠ひろ子さんも、歌は確かお上手だった記憶があります。
そんな、篠ひろ子さんは歌手としてではなく女優としての知名度をあげていきました。篠ひろ子さんの主な出演作品や役柄についてご紹介します。
現在はどうされているのか?篠ひろ子さんが活躍されていた作品を紹介します。
デビュー後、女将さんや、母役が目立っていたと思いますが、どうだったでしょうか?
篠ひろ子さんの女優としてクローズアップされたのが、1973年TBS『時間ですよ』の小料理屋の女将・お涼さん役で、これ以降、まとわりつく不運に愚痴ひとつこぼさず、ただ静かに耐える女・お涼さん路線が続きました。
東京・五反田で銭湯「松の湯」を経営する松野家を中心としたホームドラマで、松野家の後継問題を描く一方で堺正章、悠木千帆、各シリーズのオーディションで選ばれた新人が演じる従業員のトリオ・ザ・銭湯が何の関係もないギャグを連発することで人気を博しました。
このドラマで知名度は上がったと思われ、「不倫」という言葉が世に出だしたドラマだったように思います。思春期時代に放送されていたドラマだったのを何となく覚えています。
篠ひろ子さんは、奥様キャラから母キャラを獲得したそんなドラマでした。
中原宏と久子は結婚して8年目になる。2人の子供にも恵まれ
念願叶って郊外のテラスハウスを購入した。村越英子は久子の
短大時代の同級生で同じように結婚し子供を持つ母である。
田村夫妻は中原家が以前住んでいた団地の上の階の住人だった。
10年前から3組の夫婦の付き合いは始まり、時期を同じくしてニュータウン
に越してきた。6人は子供ができても毎週のようになにかと集まっては
食べて飲んで家族のように過ごしている。しかし、村越が離婚を切り出したことによって6人の関係は変わり始める。物語はこの3組の夫婦に村越の不倫相手の玲子と中原に気を持つ謎の女・佳代を中心に進んでいく。
現在はどうしている?篠ひろ子さんが母役で大ヒットしたシリーズの「毎度おさわがせします」です。思春期世代の子供を持つ母役で、毎回繰り広げられる色々なトラブルを解決し、悩んで行く壮快コメディーでした。
とてもドキドキさせられたドラマだったと思い出します。篠ひろ子さん、パワフルな演技をされていて、今までの役柄とは全く正反対の役柄でした。
この作品は、多摩センター界隈の多摩ニュータウンを舞台に、「性」への興味津々な思春期な年頃の男子中学生3人組が繰り広げるちょっとエッチな騒動に頭を抱える大人たちとのやり取りをコミカルに描いた「明るい性教育ドラマ」です。
篠ひろ子さんの甥で検索している人が多いようなので調べてみたところ、篠ひろ子さんの甥は元プロサッカー選手の青山隼さんです。
青山隼人さんにの活動について簡単にご紹介します。
14歳以下の年代から日本代表に選ばれ、AFC U-17選手権2004に出場したU-16日本代表ではキャプテンを務めました。2015年7月にシーズン途中での現役引退を表明し、契約を解除しました。
引退後は1回きりの人生にチャレンジしたいとのことで、俳優に転身したいと篠ひろ子さんに相談したところ、「やれるだけやってみたらいい」と背中を押されたことで決心し、2016年には舞台『RANPO chronicle 虚構のペルソナ』」、2017年には、テレビドラマ「相棒」、映画「新宿スワンII」に出演するなど、着々と実績を積まれているようです。
・本名:西山 忠来(にしやま ただき)
・ペンネーム:伊集院 静
・筆名:伊達 歩(だて あゆみ)
・生年月日:1950年2月9日
・職業:作家・作詞家
・戸籍:元韓国籍
・日本帰化前氏名:チョ・チュンネ
伊集院静 現在まで
伊集院静さんは山口県立防府高等学校を経て、立教大学文学部日本文学科に入学しました。当初、立教大学ではなく美術大学に進学するつもりでしたが、当時義兄の高橋明が読売ジャイアンツの野球選手だった影響で高校の夏休みを利用して東京に行った折、長嶋茂雄本人から「野球をするのなら立教に行きなさい」と言われたそうです。その長嶋の一言で立教大学に進学を決めたのだとか。
野球部の寮に文学全集を持ち込んで入寮したため、変わった新入部員として注目の的になりました。しかし、肘を壊したため野球部は途中で退部することになりました。
伊集院静さんは大学卒業後、大手広告代理店電通での勤務を経てCMディレクターになりました。
電通時代に最初の一般人女性と結婚をして、子供を二人もうけたがその後、離婚してしまいました。
伊集院静 現在に至るまで
1980年松原みきからコンサートツアーの演出を初めて、以後松任谷由実・松田聖子・薬師丸ひろ子・和田アキ子など多くの著名人たちのコンサートやファッションショーを手がけるなど、数々の功績を残してきた伊集院静さん。
業界ではその名を知らない人はいないというほどの実績があったようです。
伊集院静さんはCMのディレクターやファッションショーを手掛けたりと、様々なシーンで活躍されていました。
その後1981年には作家デビューを果たします。作家の枠にとらわれず作曲家としても名曲を残し、業界で色々な才能を発揮していったようです。
1981年に『小説現代』『皐月』を発表し作家デビューを果たし、代表作に『機関車先生』や山口県防府市を舞台とした自伝性の強い『海峡』三部作などがあります。
伊達歩の名で作詞家としても活躍し、近藤真彦に提供した『愚か者』で、1987年に第29回日本レコード大賞を受賞。その他には、『ギンギラギンにさりげなく』などのヒット曲があります。
1993年『乳房』『クレープ』が映画化、1997年『機関車先生』がアニメ映画化し声優として参加しています。更に、2004年には実写映画化された。その他、テレビ化されたのは「夕空晴れて」「海峡」「あづま橋(橋の雨)」などがあります。また、2005年「ツキコの月」が帝国劇場、中日劇場にて舞台化されました。
1991年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞
1992年『受け月』で第107回直木賞
1994年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞
2001年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞
2014年『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』で第18回司馬遼太郎賞
2016年 紫綬褒章
伊集院静さんと篠ひろ子さんは何がきっかけで結婚するまでに至ったのかご紹介したいと思います。
伊集院静さんはもともと結婚していた元妻の夏目雅子さんと不倫の末、1984年に再婚しました。しかし、翌年1985年に元妻の夏目雅子さんは「急性骨髄性白血病」で亡くなられました。
幸せ絶頂のなかでの元妻の死は伊集院静さんにとってはとても心が傷つき、大変辛い時期であったと思われます。
夏目雅子さんと死別してから一時期の伊集院静さんは、全国を回ってギャンブルと酒に明け暮れるなど、お酒で辛さを紛らわそうとしたりして荒れている時期があったそうです。
そんな中で元妻の夏目雅子さんを偲ぶ会にて、夏目さんの兄が嫁いだ元キャンディーズ田中さんの紹介で伊集院静さんと篠ひろ子さんは出会います。
自暴自棄な生活を送っていた伊集院静さんにとって篠ひろ子さんは、救世主とも言える存在であったのではないでしょうか。
篠さんは、1997年、テレビドラマ「彼 -KARE-」の出演(主演)を最後に、女優業を引退されています。
しかし、2010年6月221日、NHK「スタジオパークからこんにちは」に、ご主人の伊集院さんが生出演された際には、料理の勉強や趣味を楽しんでおられることを明かされています。引退の前後に、篠さんの郷里の宮城県仙台市に移住して、伊集院さんと暮らされていることも話されています。
地元では、犬の散歩をしたり、ショッピングをしている、篠さんの姿がたびたび目撃されているそうです。
現在は、芸能界からはきっぱりと抜け出し、専業主婦としてゆったりとした生活を送られているようですね。
現在の篠ひろ子さんについて、結果的には宮城県で専業主婦をされているという事が判明しました。
良く散歩をされている所を見かけたり、ショッピングをされていたりと、ご夫婦でゆったりとした老後生活をされているようです。
この先も女優業には復帰される予定はないようなので、あの美貌を見る事は出来ないのでしょうか?でも元気に過ごされていて安心しました。ご主人のブログにはチョクチョク出没される様なので、チェックしてみて下さい。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局
【この記事は2020/03/09に更新されました。】