2022/01/21
AYAKA12321
淡路恵子さんは亡くなられる直前まで
バラエティー番組の“熟女枠”で再ブレイクしていましたよね。
その淡路恵子さんの息子さん達について調べてみました。
その前に、壮絶な人生を歩まれた淡路恵子さんのプロフィールを見てみましょう。
淡路 恵子(あわじ けいこ、1933年7月17日 - 2014年1月11日)は、日本の女優。本名は井田 綾子(いだ あやこ)とい...
Feペディア(出典:Wikipedia)で詳細を見る
誕生日1933年7月17日
星座かに座
出身地東京府東京市荏原区(現・東京都品川区荏原)
性別女
血液型AB型
では次に淡路恵子さんの芸能界での足跡も見てみましょう。
映画女優にはなりたくなかったというSKD時代の淡路恵子さん
美しいですよね。
スタイルも抜群で、言い寄ってきた男性はあまたいたのではないでしょうか。
黒澤明監督作品『野良犬』で映画女優としてデビューを果たした淡路恵子さん
1948年、松竹歌劇団の養成学校である松竹音楽舞踊学校に入学。
1949年、本名の井田綾子名義で、新東宝映画『野良犬』デビューをはたす。野良犬は黒澤明監督作品。刑事もの。この時16歳。
『SKDに入りたてで、映画女優にはなりたくなかった』という[引用ttp://sleepyluna.exblog.jp/9743798]
淡路恵子さんはSKDがとても好きだったんですね。
それでは次に淡路恵子さんの私生活を覗いてみましょう。
1人目のご主人、ローランド・ビンボー・ダナオさん
1915年生まれ。フィリピンのジャズシンガーで俳優。
1953年に単身日本に来日し、1967年まで日本の芸能界で活躍していたそうです。
1967年7月23日に腺肉腫のため他界されています。
淡路恵子さんとは11年間同棲していましたが、1961年から1965年で離婚するまでは結婚していました。
淡路恵子さんの最初の結婚ですが、夫のビンボー・ダナオさんには、本国に奥さんと4人のお子さんがいて、カトリック信者だったために奥さんとは離婚できず、淡路恵子さんは入籍していないとも言われています。
ですが、淡路恵子さんは2人の息子さんに恵まれていて、1人目の息子さんは俳優さんになられていて、2人目の息子さんは一般人だそうです。
こちらが淡路恵子さんの1人目の息子さんで俳優の島 英津夫(しま えつお)さんです。
淡路恵子さんの2人目の夫、萬屋 錦之介さんは、中村 錦之助という歌舞伎役者で、また映画・テレビの時代劇俳優。映画・舞台制作会社中村プロダクションの社長さんです。
本名は小川 錦一。
その後、1966年に萬屋錦之介(享年64)と再婚し、さらに2人の子供をもうけた。
しかし、1987年1月、錦之助さんとも離婚。4人の子供は淡路が引き取った。1990年には、映画『男はつらいよ 知床慕情』で21年ぶりに女優に復帰し、再スタートを切った。が、待ち受けていたのはさらに非情な現実だった。それは相次ぐ息子7 件の死──。
淡路恵子さんは萬屋錦之介さんとの間にも2人の息子さんに恵まれています。
淡路恵子さんの1人目の息子さんと2人目の息子さんはご存命ですが、3人目の息子さんとと4人目の息子さんは淡路恵子さんより先に亡くなられていて、その死亡原因が3人目の息子さんはバイク事故、4人目の息子さんは自殺となっています。
淡路恵子さんの3人目の息子さんは、ビートたけし出演の「恋子の毎日ll」(テツ役)に出演されていた元俳優、小川晃廣さん。
錦之助さんとの間に生まれた三男の晃廣さんは1990年7月、バイクで帰宅する途中、晃廣さんはタクシーと正面衝突。あっけなくこの世を去ってしまう。享年22、娘は2才になったばかりだった。淡路は晃廣さんの遺体の前で、離婚以来、3年半ぶりに錦之助さんと対面した。
淡路恵子さんは萬屋錦之介さんと離婚してから3人目の息子さんを亡くされるまで一度も萬屋錦之介さんと会っていなかったのですね。
久しぶりに再会したのが3人目の息子さんをバイク事故で亡くされた時だなんて・・・
「錦ちゃんは、言ったわ。“ぼくが死にたい…”って。錦ちゃんがかわいがってかわいがった子だから、そう言うのもわかるの。でもね、私は許せなかった。だから、言ってやった。“上等なこと言うんじゃないわよ。死んでいられるの? 3人の子がいて、嫁がいて、孫がいて、その子たちのために頑張らなくてどうするの!”って。…それが錦ちゃんに会った最後でした」
この言葉は、きっと淡路恵子さんが萬屋錦之介さんにぶつけた精一杯の恨み言だったに違いありません。
しかも、この3年ぶりの再会が2人目の夫、萬屋錦之介さんとの最後になるなんて・・・
淡路恵子さんの4人目の息子さん井田哲史さんがアルコールに溺れ始めたのは、淡路恵子さんと萬屋錦之介さんが離婚された頃からだそうです。
当時まだ10代だった錦之助さんとの間の四男・哲史さんがこの頃から、アルコールに溺れ始めていた。6才のときに萬屋希之照の芸名で歌舞伎デビューした哲史さん。両親が離婚した頃から精神的に不安定になり、いじめを受けていたという。高校を中退し、フリーターのような生活を続け、酒を飲んでは暴れ、母・淡路に手を上げることもあった。
両親の離婚が子供に与える影響って本当に厳しいものがありますね。
4人目の息子さんは、精神的に不安定になったからいじめられたのか、それとも父親がいなくなって息子さんの苗字が変わったからいじめられたのか・・・
淡路恵子さんと萬屋錦之介さんの離婚をきっかけにいろいろあって、4人目の息子さんの生活は荒んで行ったのですね。
淡路恵子さんと4人目の息子さん、
腕を組んでお買い物をするほど仲の良い親子だったのに・・・
2004年1月には、更生のために住み込みで働いていた京都の寺から、酒代ほしさに仏具を盗み逮捕された。懲役1年6月、執行猶予3年。しかし、それでは終わらなかった。同年5月、かつて一緒に住んでいた淡路の留守宅で金品を物色したところを逮捕されたのだ。
これは淡路が、「親子だからと簡単に済むと思われては本人のためにならない。私が警察に何としても逮捕してくださいとお願いした」ことによるものだった。子供を警察に突き出す親のつらさはいかばかりだろうか。先の執行猶予が取り消され、1年半の刑に服した哲史さん。それでも出所後は、母の思いに応えるように、アルバイトを決め、自活の道を歩み始めていたという。この間、淡路は哲史さんとほとんど連絡をとらなかったといわれる。
淡路恵子さんの4人目の息子さんは、アルコール依存症かまたはアルコール中毒だったのでしょうか?
酒代欲しさに金品を盗んでしまうところを見ると、そうだったのかもしれませんね。
自分の境遇を恨んだり、嫌いな自分から逃げたくてお酒に走る方の話をよく聞きますが、淡路恵子さんの息子さんもそうだったのでしょうか?
自分の手に負えない己や自分の人生が嫌になって自殺してしまったのでしょうか?
淡路恵子さんの息子さんの自殺は、そう思わずにはいられません。
ところが──。2010年6月、哲史さんが自宅アパートで首をつって死んでいるのが発見されてしまうのだ。享年37。彼がなぜ死を選んだかの詳細は、今もってわかっていない。当時の心境を淡路に改めて聞くと、
「こればかりは、そういう目に遭った人にしかわからない。他人にとやかく言うことじゃないわ。だから、言わないの。そのつらさというのは、体を粉砕するぐらいのストレスよ。戦争中でもないのに、男の子に次々と死なれるなんて」
言葉少なにそれだけ言うと、「おしゃべりの私だけど、そのことに関しては、もう、しゃべらない」と、口を固くつぐんだ。
これが淡路恵子さんの、記者に対して言える精一杯の言葉だったのだと思います。
4人目の息子さんは、きっと淡路恵子さんのことが大好きで、なんとか今までの自分を変えて、生活を立て直そうとしたのに何度も失敗し、その度に母、淡路恵子さんを困らせてしまう自分が申し訳なくて嫌になり、そんな自分に疲れ、絶望して自ら命を絶ってしまったのかもしれませんね。
自分の力だけではどうすることも出来なかった淡路恵子さんの息子さんと、きっと息子さんのところへ会いに行かれているであろう淡路恵子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げております。
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