今年もランクイン「理想の女上司」真矢みきの旦那がイケメンすぎる!
2021/12/10
mamio.77
2015/06/19 更新
元宝塚歌劇団花組トップスターの真矢ミキさん。真矢ミキさんは、「真矢みき」から『真矢ミキ』に改名しています。なぜ、『真矢ミキ』に改名したのでしょうか?そして真矢ミキさんは、2008年12月に入籍して結婚していますが、どのような旦那さんと結婚したのでしょうか?また、真矢ミキさんと旦那さんの結婚生活は?まとめてみました。
真矢ミキさんは、51歳
本名: 西島 美季 (にしじま みき)
別名義: 真矢 みき (旧芸名)
生年月日: 1964年1月31日
身長: 166cm
血液型: O型
趣味: 旅行、絵
特技: 歌、ダンス、日舞、作詞
真矢ミキは、広島県広島市出身。
1979年に宝塚音楽学校に入学し、1981年、67期生として宝塚歌劇団に入団。
1995年、『エデンの東』で花組トップスターに就任し、宝塚に新しい風を積極的に吹きこみヅカの革命児と言われ、活躍する。
そして1998年10月5日、『SPEAKEASY』東京公演千秋楽をもち宝塚歌劇団を退団。
宝塚歌劇団退団後は、ドラマに映画、舞台と活躍、そして2015年3月にオスカープロモーションに事務所を移籍するとともに芸名を『真矢ミキ』に変更し、新たに司会を務めるなど活躍中。
2015年3月1日、真矢ミキさんは、『真矢みき』から『真矢ミキ』に改名しています。
2015年5月23日、第1回「Women of Excellence Awards」を受賞した真矢ミキさん
働く女性のお手本となる人に贈られる賞に受賞したそうです。
授賞式に出席した真矢ミキさんは、インタビューにて答えています。
当初は「ひらがなで頑張ってきたから(このままで)いいはずと思った」というが、「そういうのを取っ払って水のごとく自然に任せる。挑戦する余裕が出てきた」と笑顔。
「挑戦する余裕が出てきた」という真矢ミキさん。
その挑戦の一つが『白熱ライブ ビビット』の司会でしょうか?
TBS「白熱ライブ ビビット」の司会を務める真矢ミキさん
2015年3月30日からスタートした情報バラエティ番組の司会を国分太一さんと務めています。
真矢ミキは「国分さんをリーダーに、朝なのでフレッシュで元気に、多くの情報を“ビビット”刺激的に視聴者の皆様にお伝えしていきたい」と気合十分。
改名して臨む新境地だけに、「新しい真矢ミキをお見せすることができたらと今から楽しみです。この番組を見ていただくことが皆様の日常になるといいですね」と語っている。
2015年3月、番組がスタートする前のインタビューにて、真矢ミキさんは答えています。
真矢ミキさんの意気込みが、感じられますね。
また真矢ミキさんは、2015年3月1日付で、ブルーミングエージェンシーからオスカープロモーションに事務所を移籍しています。
そのため、移籍に伴う事情があったのでは?とも言われています。
真矢ミキさんは、事務所移籍により心機一転し、改名したということのようです。
ちなみに、平仮名から片仮名の「ミキ」にしたことで画数が1つ減ったため、幸運度がイイそうですよ!
真矢ミキさんの旦那さんは、バレエダンサーの西島数博さんです。
2009年4月4日、真矢ミキさんと旦那の西島さんの結婚式!
二人は、2008年12月22日に入籍、そして結婚式を挙げています。
2009年4月4日、真矢ミキさんと旦那さんは明治神宮で結婚式を挙げ、その後、親族だけの食事会をしたそうです。
真矢ミキさんと旦那さんの出会いは?
2002年、舞台「スターダストin上海」でダブル主演をした時だそうです。
しかし、出会った真矢ミキさんと旦那さんは、交際へとは発展せず、6年間は何でも語り合える友達だったそうです。
2007年末、西島から交際を申し込まれたものの「考えられない」と一度は断ったが「仕事を一番大切にしている志が同じだったり、何より穏やかでキレない方」と大きなものに包まれる雰囲気に惹かれて、恋人関係に発展したという。
そして2008年3月に、真矢ミキさんは旦那さんからプロポーズ!
旦那さんにプロポーズされた時『空耳か!?』と思ったそうです!
飲食店でメニューを見ていて、聞き逃したそうですよ。
丁度、メニューを選んでいたこともあり「(プロポーズの言葉を)最初は聞き逃しました」と苦笑い。
「指輪を見て、視覚までおかしくなったのかなと思ったし、何かドラマのワンシーンを撮影している感覚になりました」と“女優”目線に。
旦那さんからのプロポーズと同時に、ブルガリの大きな!?ダイヤの指輪を贈られたそうです。
そして真矢ミキさん44歳の時、旦那さんと入籍しています。
真矢ミキさんと旦那さんの間には、子供は誕生していないようです。
真矢ミキさんの旦那さんは、8歳年下です!
旦那の西島さんは、今年44歳
旦那の西島さんは、宮崎県日向市出身。
1974年の3歳からバレエを始めて、1984年に全国舞踊コンクールに入選。
1990年にフランスへ渡り、1991年、フランス・カルポー賞国際バレエ・コンクール男性シニア部門第1位受賞。
日本帰国後の1994年、スターダンサーズ・バレエ団に入団し、2006年までプリンシパルとして活躍する。
また1999年には「アーティスティック・フレンズ」を結成している。
その後は、ダンサー、振付師、俳優として活躍中。
また旦那の西島さんは、六本木でフィットネス・クラブを運営しているそうです。
「小さな頃から当たり前のようにダンスという表現方法があって、いろんなものを見て、思って、それをダンスで表現することが好きなんです。好きなことは苦にならないものなんですね。
逆に、何だか調子が悪いな、と思うときは、ダンス以外の仕事などが忙しくて踊ってなかったり…。これからも好きなダンスで、ありのままの自分をたくさんの人に伝えられたら、と思いますね」(西島)
一度も「ダンスをやめたい」とか「辛い」とかは、思ったことがない!と言い切る旦那の西島数博さん。
ダンスが身体のバロメーター!?
旦那の西島さんも「数博」に改名していた!
以前は、「西島千博」で芸能活動をしています。
西島は同日、「誕生日を記念して…」のタイトルでブログを更新。
「皆様!重要なお知らせがあります!」と記し、「本日の誕生日から…☆☆☆西島数博☆☆☆となります!取り急ぎ!ご報告まで!」と改名を報告した。
旦那の西島さんは、2014年の自身の誕生日である10月21日に『千博』から『数博』に改名したそうです。
今まで旦那さんは、本名で芸能活動をされていたようですが、これからは芸名で活動するということのようです。
ちなみに旦那さんも、ネットの姓名判断によると「千博」より「数博」の方がイイようです。
夫婦そろって、仲良く改名したようです。
宮崎物産展『第23回 日向自慢みやざき展』に“みやざき大使”として出席
2010年9月、出身地である物産展に出席した旦那さんのインタビューにて
自宅でも「夫婦で晩酌してますよ」と、妻で女優の真矢みきと深夜まで晩酌していることを明かし、宮崎の名物がずらりと並ぶ同物産展にも「来たがってましたよ~」と幸せそうな笑顔を見せていた。
真矢ミキさんと旦那さんは、何でも語り合える友達だっただけに、晩酌をしたらますます話が弾みそうですね!
二人の仲は、よさそうです。
2014年1月、真矢ミキさんのインタビューにて
「3人での暮らしは、それはもう、珍生活です。
自分の部屋から出てきた母が、主人を気遣ってかオシャレをしていて、『その格好は何?』と、笑い合ったこともありました。
役割分担は、私は食事を作る人、母は洗い物をする人、主人はみんなに優しくする人、なんですよ。」
2013年7月から真矢ミキさんの母親と一緒に暮らしているとのことです。
旦那さんも母親と一緒に暮らすことを、快く了解してくれたそうで、楽しく3人で暮らしているようですね。
「私たち家族は、それぞれが、お互いの『人生応援団』。
決して無関心ではないけれど、安易な迎合はしない。才能を信じ、自立し、人生を謳歌おうかする。主人とも、『違う意見を持つ家族が一緒にいるからこそ、世界観が広がるね』と話しています。」
それぞれが自分の意見や考えを大切にしながらも、お互いを尊重しあい、助け合いながら暮らしているということでしょうか?
「引っ越すたびに母親から地図を渡されて、それを頼りに1人で学校に行ったり町を歩いたりしてました。それがそのまま自分の趣味のようになっちゃったみたいです」
航空会社に勤めていた父親の仕事の関係で、中学卒業までに8回も転居したという真矢ミキさん。
そのため、地図を広げて世界各地の地形を想像することが、気分転換になるそうです。
「思わず伊能忠敬が見たら何て言うだろうなんて考えちゃいました。地球上の海水がなくなったらどんな形が現れるんでしょうね。考えただけでも面白いです。でも話が合う人があまりいないんですよ」
そして、宝塚に入って初めてのハワイ公演での真矢ミキさん。
飛行機の窓から眺めた時に考えたことが、このことだったそうです。
真矢ミキさん、ちょっと発想が、面白い方のようですね!?
「私は37番目でした。私は宝塚に入る英才教育を全然やっていなかったんですよ。
3歳くらいからバレエをやっている人たちには勝てなくて」とコメント。
同期に黒木瞳、涼風真世ら大物がいたとはいえ、かつて花組のトップスターで"宝塚の革命児"と呼ばれただけに驚きは大きい。
その代わりに、「いくら頑張っても駄目なので切り口を変えて、マジックを習いました。間を習おうと思って」というから発想が面白い。
なぜマジックなのかは、わかりませんが・・・!?
『話が合う人があまりいない』という真矢ミキさんのことは、わかるような気がします。
「人生の折り返し地点」ですが、往路とはまた違う景色を見られるんじゃないかと、楽しみです。
これまでの経験が、血となり、骨となった人生の醍醐だいご味は、まさにこれから。
若くはないけれど、今後の人生では今が一番若い。肩の力を抜いて、シンプルにかつ前向きに生きていきたいと思っています。
と、50歳を迎えた真矢ミキさん。
真矢ミキさんは、ポジティブな人?
宝塚では男役だった真矢ミキさん。
サバサバした人というイメージはありましたが、発想が面白い人というイメージがなかったため、真矢ミキさんのイメージが変わってしまいました!?
そして、情報バラエティ番組の司会を務めるなど新たな挑戦をしている真矢ミキさん。
真矢ミキさんは改名したことがきっかとなって、今後どのように活躍していくのか楽しみです。
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