2度の結婚と離婚、そして愛息子の死!壮絶すぎる淡路恵子の生涯とは?
2022/01/21
himari10
二人の息子を亡くした淡路恵子の人生
淡路 恵子(あわじ けいこ、1933年7月17日 - 2014年1月11日)は、日本の女優。本名は井田 綾子(いだ あやこ)といった[1][3]。
1948年に松竹歌劇団の養成学校である松竹音楽舞踊学校に4期生として入学。1949年、入団前の学校生の時に黒澤明監督に抜擢され、新東宝『野良犬』で舞台より早く映画でのデビューを果たす。1950年、松竹歌劇団に入団。草笛光子、深草笙子と組んでスリーパールズにも抜擢され歌に踊りに大活躍した。1953年からは多くの松竹映画に出演。
淡路恵子、息子たちを亡くした壮絶人生
2014年1月11日17時24分、食道がんのため東京都港区の病院で死去した。80歳没[3][9]。
淡長男の島英津夫と次男(一般人のため非公表)を出産。二児の母となるが1965年に離婚(ダナオは1967年に腺肉腫で死去)。
ここで淡路恵子さんに二人の息子さんが誕生しました。
最初の旦那さんがフィリピン人だったなんて初めて知りました。
しかも、旦那さんは故郷に妻子があったけどカトリック信者だったため離婚出来ず、
未入籍のまま一緒に住んで息子さん達を儲けたそうです。
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萬屋錦之介と再婚し、二人の息子を儲け4人の息子の母になる
しかし、錦之介の個人事務所である中村プロが13億円もの莫大な負債を抱え倒産。筋無力症で倒れた錦之介を献身的に看病するが、豪邸を売却し貯金も尽きた淡路は、錦之介を看病しながら生活費を稼ぐため、一時期は六本木でクラブの雇われママも経験した。甲にしきとの不倫問題などで1987年に離婚。
息子たちを守るため、クラブのママとして働いた淡路恵子
この時、借金は13億円もあったそうです。
それを淡路恵子さんが返済しました。
夫の萬屋錦之介は病気を支えてもらったにもかかわらず、借金を無くしてくれたにも関わらず、
不倫して淡路恵子さんの元を離れていきました。
しかし、晩年、淡路恵子さんは萬屋錦之介さんのことを今でも愛してたとおっしゃっていたそうです。
三男を亡くした淡路恵子
※画像は三男とは無関係
1990年に三男の小川晃廣さんがタクシーと正面衝突によるバイク事故で死亡する不幸に見舞われ、元俳優で将来性を買われていた息子を失ったショックにより、しばらく淡路恵子さんも病院で精神的な静養をすることになりました。
三番目の息子を亡くした淡路恵子
錦之助さんとの間に生まれた三男の晃廣さんは1990年7月、バイクで帰宅する途中、晃廣さんはタクシーと正面衝突。あっけなくこの世を去ってしまう。享年22、娘は2才になったばかりだった。淡路は晃廣さんの遺体の前で、離婚以来、3年半ぶりに錦之助さんと対面した。
「錦ちゃんは、言ったわ。“ぼくが死にたい…”って。錦ちゃんがかわいがってかわいがった子だから、そう言うのもわかるの。でもね、私は許せなかった。だから、言ってやった。“上等なこと言うんじゃないわよ。死んでいられるの? 3人の子がいて、嫁がいて、孫がいて、その子たちのために頑張らなくてどうするの!”って。…それが錦ちゃんに会った最後でした」
自分より子供が先に死ぬほど親不孝はないです。
それも最期まで愛してやまなかった萬屋錦之介さんとの息子・・・。
本当に悲しみのドン底からやっと這いあがってきた淡路恵子さんを待ち受けていたのは、
4番目の息子の死でした。
淡路恵子と4番目の息子
三番目の息子が亡くなっても淡路には絶望に暮れている暇はなかった。
当時まだ10代だった錦之助さんとの間の四男・哲史さんがこの頃から、アルコールに溺れ始めていた。6才のときに萬屋希之照の芸名で歌舞伎デビューした哲史さん。両親が離婚した頃から精神的に不安定になり、いじめを受けていたという。高校を中退し、フリーターのような生活を続け、酒を飲んでは暴れ、母・淡路に手を上げることもあった。
4番目の息子を更生させたかった淡路恵子
2004年1月には、更生のために住み込みで働いていた京都の寺から、酒代ほしさに仏具を盗み逮捕された。懲役1年6月、執行猶予3年。しかし、それでは終わらなかった。同年5月、かつて一緒に住んでいた淡路の留守宅で金品を物色したところを逮捕されたのだ。
これは淡路が、「親子だからと簡単に済むと思われては本人のためにならない。私が警察に何としても逮捕してくださいとお願いした」ことによるものだった。子供を警察に突き出す親のつらさはいかばかりだろうか。先の執行猶予が取り消され、1年半の刑に服した哲史さん。それでも出所後は、母の思いに応えるように、アルバイトを決め、自活の道を歩み始めていたという。この間、淡路は哲史さんとほとんど連絡をとらなかったといわれる。それもまた、息子の自立を願う母ならではの考えだったろう。
ところが──。2010年6月、哲史さんが自宅アパートで首をつって死んでいるのが発見されてしまうのだ。享年37。彼がなぜ死を選んだかの詳細は、今もってわかっていない
二人の息子を亡くした淡路恵子
当時の心境を淡路に改めて聞くと、
「こればかりは、そういう目に遭った人にしかわからない。他人にとやかく言うことじゃないわ。だから、言わないの。そのつらさというのは、体を粉砕するぐらいのストレスよ。戦争中でもないのに、男の子に次々と死なれるなんて」
言葉少なにそれだけ言うと、「おしゃべりの私だけど、そのことに関しては、もう、しゃべらない」と、口を固くつぐんだ。
壮絶な人生を終えた淡路恵子
淡路恵子さんの壮絶人生、いかがですか?
言葉がなかなか見つかりません。
息子さんたちは淡路恵子さんよりさきに逝ってしまいましたが、
淡路恵子さんはガンに侵されながらも78歳まで気丈に人生を全うしました。
今、天国で息子さんたちとタバコをふかしながら語り合っているのでしょうか?
淡路恵子さんと、二人の息子さん達のご冥福をお祈りします。
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