ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
タレントやアーティスト・デザイナーとしても活躍する篠原ともえさん。90年代には「シノラー」ブームを巻き起こす平成のフワちゃん的存在でした。賑やかなキャラクターとファッションで一躍時の人でしたが、今ではとても上品な大人の女性に。
そんな篠原ともえさんは2歳年下のアートディレクター池澤樹さんと結婚しましたね。
本記事ではお二人についてや子どもについて紹介していきます。気になる人はぜひ内容を確認してみてください。
まずは、篠原ともえの結婚相手についてご紹介します。2人が結婚した時期や2人のそれぞれのプロフィールについて見ていきましょう。篠原ともえが結婚したのは、どういった男性なのでしょうか。
篠原ともえは1979年3月29日生まれであり、東京都の出身です。彼女は90年代後半に歌手デビューし、オリジナリティ溢れるファッションが受け”シノラー”ブームを巻き起こしました。明るく元気なキャラクターも好かれ、『LOVE LOVEあいしてる』にレギュラー出演したのです。
また短大の被服科に通っていましたが、文化女子大学短期大学部・服装学科に一般受験で編入し直しています。文化女子大学短期大学部・服装学科は、2001年3月に卒業しました。以降は、デザイナーとして開花し松任谷由実のコンサートで衣装を担当するなど活躍しています。
池澤樹は、1981年6月5日生まれの東京都出身です。東急エージェンシーや博報堂に勤務後に、2020年3月に独立して4月にクリエイティブスタジオ『STUDEO(ストゥディオ)』を設立しました。独立後にも、広告やCMといったアートディレクションを手掛けています。
例えば、歌手・AIの『アルデバラン』のMVやCM、ジャケットデザインを手掛け、アルバム『DREAM』なども手掛けました。また東急電鉄のキャラクターをデザインしたのも、池澤樹です。
前述もしていますが、2020年4月に篠原ともえは夫・池澤樹と共にクリエイティブスタジオ『STUDEO』を立ち上げました。池澤樹が社長に就任し、篠原ともえは副社長を務めています。会社の設立は、池澤樹の独立の夢を2人で叶えた形です。
篠原ともえは、会社設立について2022年7月放送の『徹子の部屋』で「私自身もデザインをちょっと挑戦していきたいな」という思いだったことを語っています。なお社名の『STUDEO』は、『STUDIO』や『STUDY』が語源となっています。
ラテン語であり、”専念する”や”勉強する”、”努力する”という意味があるのです。
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続いては、篠原ともえと池澤樹の馴れ初めや2人の仲について探ってみたいと思います。篠原ともえと池澤樹は、どのようにして出会ったのでしょうか。また、2人は現在も仲良くしているのでしょうか。2人の馴れ初めと仲について見てみましょう。
2018年9月に、『rooms EXPERIENCE 37』という展示会が開催されました。『rooms EXPERIENCE 37』では、篠原ともえの『篠原ともえ150の原画展』も展示されていたのです。この際に、roomsの監修をしたのが池澤樹でした。
なおroomsというのは、アッシュ・ペー・フランス主催の展示会であり、ファッション関係者であるバイヤーやプレスも多く訪れています。この展示会において、篠原ともえは池澤樹とコラボ作品を制作しました。この展示会をきっかけに、2人は出会ったのです。
なお、コラボ作品のメイキング映像もあります。
共にアートやデザインに携わっている2人は、すぐに仲良くなりました。そのため、交際から結婚まではスムーズに進んでいったものと考えられます。しかも交際期間は4か月ほどであるため、当初から結婚を意識して交際を始めた可能性もあるでしょう。
篠原ともえと池澤樹の夫婦仲について気になる方もいるかもしれません。篠原ともえは、『夫婦は10回ケンカしても10回仲直りすればいい』という持論があります。その上で、彼女は自身の思いをしっかりと伝えて、相手の話もしっかりと聞くようにしているのです。
夫婦で仕事をしていることもあり、池澤樹が篠原ともえにアドバイスをしてくれることもあります。衝突することもあるものの、それは良いものをつくりたいという思いがあるからこそだと、篠原ともえも理解しています。そのため、彼女は夫の言葉に真摯に耳を傾けているということです。
そして池澤樹は、仕事と私生活でオンオフの切り替えがさほどない性格です。なお篠原ともえにとって池澤樹は、仲間や恩師でもあり、友達でもあるような関係性であると、篠原ともえは語っていました。2人は時にはぶつかり合いながらも、仲良く暮らしていることがうかがえるでしょう。
結婚して3年目となる篠原ともえと池澤樹夫妻には、子供がいません。しかしそれには理由がある模様です。続いては、2人の間に子供がいない理由について迫ってみたいと思います。篠原ともえと池澤樹は、どうして子供をつくらないのでしょうか。
ご紹介した通り、篠原ともえは夫・池澤樹と会社を設立しました。篠原ともえはデザイナーとしての道を進んでおり、毎日充実している模様です。 仕事の日々が充実していることから、子供をつくるに至っていない可能性があります。
篠原ともえと池澤樹が子どもを作らない理由として、夫婦2人の生活に幸せを感じていることが挙げられます。結婚後に会社を設立していることからも、子供は優先していないことが分かります。仕事上でもプライベートでも夫婦一緒でいられることで、互いに幸せを感じているため子供をつくっていない可能性があるでしょう。
篠原ともえが、母親になるよりもキャリアウーマンでありたいと考えていることも理由の1つかもしれません。彼女は家庭に収まるよりも、キャリアを築いていきたいタイプであることが考えられます。
2023年6月現在で、篠原ともえは44歳となっています。子供をつくるとしても、高齢出産となります。高齢出産にはリスク(難産になりやすく、帝王切開になる確率が高いとされる)があるものです。また、若い人より体力が落ちていることから、産後の回復も遅くなるでしょう。
こうした面も、篠原ともえが子供をつくらない理由となっているのかもしれません。高齢出産をしている女性もいるものですが、中には子供をつくらない選択をするケースもあるものです。
結婚したのなら、子供が欲しいと思う夫婦は多いかもしれません。では、篠原ともえは子供が嫌いなのでしょうか。続いては、篠原ともえの出産願望についてお伝えします。
2015年に行われた芸能活動20年のインタビューで、篠原ともえは『孫をシノラーにしたい』と答えています。そして『キラキラとかギザギザとか作って、洋服をコーディネートしてあげたい』とも語っていました。篠原ともえは子供服をたくさん手がけていますが、両親や祖母も服飾に関わっていました。
そのことから、自分の子供にも自分の服を着せてあげたいとの思いがあるのかもしれません。
2009年から、篠原ともえはNHK Eテレの『みぃつけた』のキャラクター・レグの声優を演じています。また、2010年からサボテン界のアイドル・さぼこちゃん役で、実際に篠原ともえ自身が出演していたこともありました。なお、さぼこちゃんの衣装は篠原ともえ本人がデザインしています。
子供番組にも出演していることから、子供が嫌いとは考えにくいでしょう。
篠原ともえは、過去に元V6メンバーである三宅健と結婚を約束をしたことがあるという話があります。さて、年齢の近い2人はその後どうなったのでしょうか。次に、篠原ともえと三宅健のその後について迫ってみたいと思います。
篠原ともえと三宅健は学年が1つ異なり(生まれた年は同じ)、遊びに出掛けたり長電話をするなど仲良しです。例えば過去に、Kinki Kids堂本剛の平安神宮でのライブに、三宅健は篠原ともえと共に訪れています(訪れた時期は不明)。
しかも、ラジオ番組で「お互い結婚相手がいなかったら、結婚しようって話してたこともある」と三宅健が語っていた模様です。そこまでに仲が良かったということでしょう。もしも篠原ともえが結婚をしていなかったら、三宅健とゴールインしていた可能性があるのかもしれません。
篠原ともえはご紹介の通りに既に結婚をしていますが、三宅健は2023年6月現在も結婚していません。篠原ともえは結婚をしたため、三宅健との『お互い結婚相手がいなかったら、結婚しよう』という約束は果たされないでしょう。
清楚さがあり”お嬢様”のような上品さのある雰囲気を醸している篠原ともえ。ここで、彼女の実家について探ってみたいと思います。篠原ともえは、どういった家庭で育ったのでしょうか。
篠原ともえの父親は寿司職人であり、『孝寿司』という寿司店を営んでいました。『孝寿司』は、東京都青梅市の河辺駅の近くに立地していました。シノラーが流行していた時期には”シノラー寿司”とも呼ばれ人気があったといいます。しかし2023年6月現在は閉店してしまっています。
現在は、『孝寿司』の美味しい寿司を味わうことはできないということです。
篠原ともえは、5人家族の末っ子として育ちました。彼女には兄が2人います。兄のうちの1人は、父親の跡を継いで寿司職人になったという噂があります。また篠原ともえの母親は、結婚するまで洋裁の仕事をしていました。そのため、篠原ともえも幼い頃からデザインの仕事に就くことを漠然と考えていたのです。
なお篠原ともえは、10歳の頃に母親に手づくりのプレゼントを贈ったことがありました。そのプレゼントを母親に喜んで受け取ってもらえたことが、嬉しかった模様です。こうした体験が、彼女の創作活動へと駆り立てた理由の1つかもしれません。
篠原ともえに関しては、ネット上で『お嬢様』との検索が見られるようです。では、実際に篠原ともえはお嬢様として育ったのでしょうか。結論から言うと、篠原ともえがお嬢様だという決定的なエピソードは見当たりません。ただ彼女は、子供の頃にバレエを習っていました。
バレエを習うとすると、小学生で1万円から2万円程度の月謝が必要になります。そのため、ある程度の余裕がある家庭で育った可能性はあります。
篠原ともえが”お嬢様”と言われるのは、イメージチェンジをしたこともきっかけになっているかもしれません。10代の頃には元気いっぱいなキャラクターでしたが、2010年代の前半になり篠原ともえも30代となりました。この頃には、落ち着いた雰囲気になっており話し方までも変化が見られたのです。
この篠原ともえの変化は、敢えて自分で変えようとしたのではありません。自身の年齢に合わせて、自然に変化していったのだといいます。
篠原ともえは、40歳という節目でキャリアチェンジしました。年齢を重ねてからのキャリアチェンジには覚悟なども必要だったのかもしません。では、40歳でキャリアチェンジした篠原ともえが目指すものとは、一体何なのでしょうか。
最後に、篠原ともえがこれから目指すものについて迫ってみたいと思います。
篠原ともえは、タレントとして活動を始めていた10代の頃から自身の衣装のスタイリングをしており、18歳か19歳くらいの頃にはコンサートの衣装も自身で手掛けるようになりました。服飾系の短大にも進学しており、20歳では自身も出演する舞台の衣装を作っています。
”シノラー”として脚光を浴びていた頃の彼女は、既に若くしてデザインの才能を見せていたのでした。そこから、篠原ともえはどんどんとデザインの才能を発揮していきます。
篠原ともえが初めて手掛けたチームとしての”モノづくり”は、ユーミンこと松任谷由実の2013年のコンサートでした。松任谷由実のコンサートで、衣装を担当したのです。衣装を担当するきっかけとなったのは、松任谷由実の夫・松任谷正隆のラジオに篠原ともえが呼ばれたことでした。
篠原ともえは衣装担当の候補の1人となり(他にも候補が2名いた)、松任谷正隆の前で別日にプレゼンを行い選ばれたのです。篠原ともえは、その時のことを「まさにコンペでした」と語っています。そして、パフォーマンスや世界観に相応しいかなど、アーティストの意見をシビアに受け止めたのでした。
その意見を、篠原ともえは衣装に反映していったのです。
篠原ともえは、個人プレーとは違うチームの難しさに直面したことがあります。表舞台に立つ芸能の仕事は個人プレーだったため、デザイナーの仕事を通じてチームマネジメントを学んだといいます。チームマネジメントは学校で学ぶ内容ではなく難しい面があり、相手が”人”であることから正解がないのです。
例えば篠原ともえは、穏やかに接すれば人間関係が円滑に進むと考えていました。しかし、マネジメントの立場になると反対に上手くいかないことがあるのです。篠原ともえは、こうした困難も経験してきたということです。
篠原ともえが若い頃は、自分の「嬉しい、楽しい」という感情を表現していました。しかし、「個人の範囲に収まらないスケールの大きい作品』を作りたいと思うようになったのです。その一つとしてサステナブル(”維持できる”という意味)を表現し、布を使い切るコンセプトが芽生えました。
また篠原ともえは、革のアクセサリーの製作も手掛けています。革製品でありながら金属アクセサリーのようなデザインとなっている製品です。そのため、金属アレルギーの人にも対応したアクセサリーとなっています。
篠原ともえには、ものづくりに対する考え方の変化が起きている模様です。これまでの彼女は、「これが私の作品!」という自我が強かったといいます。しかし最近では、他人の意見も積極的に取り入れています。素直に意見が取り入れられるようになったのでしょう。
篠原ともえは、「自分あってのデザイン」から「デザインあっての自分」に変わっており、内面が外見に出るようになったとされています。また、ファンからの「変わっていく姿がすき」と受け入れられていることも実感していて、何歳からでも変わろうと思うと本人が話しています。
篠原ともえが結婚した夫・池澤樹は、彼女の夫でありキャリアにおける恩師でもあります。そして、仕事上のパートナーとして活動を続けています。タレントとして一世を風靡した頃から、既にデザインや服飾を学んでいた篠原ともえ。現在はデザインなどを主としてキャリアを築いているのです。
そうした中で出会った池澤樹と、これからも大好きなデザインの世界で活躍していくのかもしれません。これからの篠原ともえからも、目が離せません。
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篠原ともえが結婚したのは、アートディレクターをしている池澤樹(たつき)です。篠原ともえと池澤樹が結婚したのは、2019年1月のことでした。元号が令和になったのは2019年5月1日なので、篠原ともえは平成のうちに結婚をしたということです。
なお当時、篠原ともえは40歳頃であり池澤樹は年下の37歳でした。