ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
仲本工事さんは、大学時代にジェリー藤尾さん率いるジャズバンド「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」のセカンドシンガーのオーディションを受けて合格し、バンドメンバーになりました。
仲本さんは、午前は大学、午後はジャズ喫茶という生活を送っていましたが、父親から芸能界入りを反対されていたらしく、最初は商工会議所への就職を決めていたそうです。
そんな時、バンジョー奏者の高木智之さん(後の高木ブー)と知り合い、彼からいかりや長介さんを紹介されました。そして、高木さんから誘われ、仲本さんは1965年にザ・ドリフターズに加入しました。当然、仲本さんの両親は、息子が芸能の道に進むことを反対しましたが、いかりやさんが説得したそうです。
1969年10月4日に、ザ・ドリフターズの冠番組『8時だよ!全員集合』(TBS系)がスタートしました。
番組は、回り舞台を活用する大掛かりな舞台装置と、入念に練りこんだコント、大仕掛けの屋台崩しなど、メンバーたちの体を張った笑いが、小学生を中心に幅広い年齢層に受け入れられ、ザ・ドリフターズは国民的コメディアンになりました。
仲本工事さんは、2012年7月に27歳年下の歌手の三代純歌さんと3度目の結婚をしました。結婚披露宴は、東京・グランドプリンスホテル「飛天」で行われました。仲本さんにとって披露宴を大きくやるのは初めてなので新鮮だったそうで、挙式後の会見では幸せいっぱいの様子でした。
仲本さんは、純歌さんとは彼女の楽曲『恋待ちつぼみ』をプロデュースしたことがきっかけとなり、交際が始まったらしいです。2008年には2人のデュエット曲『この街で』をリリースしています。
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仲本工事さんは、交通事故に遭い亡くなりましたが、どんな場所で事故に遭ってしまったのかを調べてみました。
仲本工事さんの交通事故は、神奈川県横浜市西区浅間町の信号機のない交差点で起こりました。事故現場は、相鉄線の天王町駅から国道16号線にに向かってすぐの交差点です。
天王町駅から国道16号線までの約300メートルの間には、西横浜駅入口交差点、天王町商店街、そして16号線の洪福寺交差点の3か所に信号機がありますが、交通量が多い場所だそうです。
仲本さんの事故現場は、「横断禁止」の看板がある横断歩道のない交差点でした。事故現場ら20メートルほどのところに洪福寺交差点の信号機があったのですが、近道のつもりでつい油断して横断禁止の交差点を渡ってしまったのでしょう。
仲本工事さんが遭った交通事故の状況はどのようなものだったのか、また仲本さんをはねた車の運転手はどんな人物なのかなどを調べてみました。
仲本工事さんは、2022年10月18日9時12分頃に、歩行者横断禁止となっている道路を1人で横断中に乗用車にはねられました。頭などを強く打つ重傷で、意識が朦朧としていて受け答えができる状態じゃなかったそうです。
横浜市内の病院に救急搬送され、緊急手術など集中治療を受け、術後の容体は安定していたそうですが最後まで意識が戻ることはなく、翌日の19日22時22分に、急性硬膜下血腫のため死去しました。
仲本工事さんの妻・純歌さんの話では、仲本さんは、いつもはお昼に彼女に会いに行っていたそうです。でも、事故に遭った日は朝9時に行ったらしく、いつも車を停める純歌さんが住むマンション隣りの駐車場が満員だったそうです。
それで、別の駐車場に車を停めることになり、普段は近寄らないはずの信号のない交差点を渡ろうとしてしまい事故に遭ってしまったのではないかと、純歌さんは話しました。
仲本工事さんをはねたのは、横浜市南区在住の73歳になる高齢のパート従業員の男性でした。車は、福祉施設のワゴン車だったそうです。
仲本工事さんをはねた男性は、「容疑者」とは報道されておらず、逮捕されていないと思われます。仲本さんが横断禁止の標識を無視して、朝の交通量が多いときに車の間を縫うように渡ろうとしたこともあり、仲本さん側の過失が考慮されたのかもしれません。
仲本工事さんの事故現場である横浜市西区浅間町交差点は、旧東海道で右折レーンも含めれば4車線にもなる交通量の多い道路です。横断禁止の標識もあり、仲本さんがそれを無視して渡ろうしたこともあり、仲本さんを轢いた運転手を擁護する声がネット上で多く上がっています。
ある行政書士事務所が、仲本工事さんの交通事故死のケースで、歩行者と自動車の過失割合を調べてみましたが、事務所の見解によると仲本工事さんの過失割合は30~35%(自動車は70~65%)になるそうです。
仲本工事さんが事故に遭ったのは、彼が認知症を患っていたからではないかという疑惑を持つ人もいたようですが、実際に彼が認知症だったのかどうかを調べてみました。
仲本工事さんが、横断禁止の場所を渡っていたり、車の間を縫って渡ろうとして事故に遭ったことから、彼が認知症だったのではないかという疑惑を抱いた人も多かったようで、ネット上でもそういうコメントを多く見かけます。
でも、仲本さんが認知症であるという情報は見つけることができず、確かな証拠はありません。
仲本工事さんの知り合いに話によると、仲本さんは最近は疲れている様子だったらしく、ぼーっとしている感じで、いつも同じ駐車場に停めるのに「車どこ停めるんだっけ?」と聞かれることもあったそうです。
でも、ぼーっとしていたのは、あくまで疲れていたからで、認知症ではなかったようです。駐車場の場所を忘れるのも、年齢的に物覚えが悪くなっていたせいかもしれません。
仲本工事さんはTwitterをやっていて、事故に遭う数日前にも、しっかりとした文章で更新していました。
投稿された原稿は、ザ・ドリフターズのメンバー、高木ブーさんと群馬で行われたイベントに参加したことを綴ったものでした。仲本さんのTwitterは、廃止されていないようで現在も見ることができるようです。
仲本工事さんは、事故当日は複数の友人とご飯を食べに行く予定を立てていたそうです。どんな友人なのかは分かりませんが、ちゃんと友人との予定を立てれるわけですから、認知症ではなかったと思われます。
仲本工事さんは、三度目の結婚相手・三代純歌さんと結婚後、2021年頃から別居していましたが、夫婦仲悪くなって別居に至ったのかどうかなど、2人の夫婦仲について調べてみました。
仲本工事さんと三代純歌さん夫婦は、2015年に目黒区緑が丘で居酒屋「仲本家JUNKA」をオープンしました。18席の店内で、純歌さんの野菜をたっぷり使った健康志向のやさしい総菜がウリだったそうです。
2016年には、居酒屋に併設する形でカラオケスナック「ピンクローズ」もオープンしました。キャパ30人ほどの店で、オープン当初はタレントや芸人たちがたくさん集まり賑わっていたそうです。
でもコロナの影響で開店休業状態となりました。
2021年12月に、仲本工事さんの妻・三代純歌さんは、神奈川県横浜市にカレー店「ウィローズハウス」をオープンしたことをきっかけに仲本さんとは別居したらしいです。純歌さんが、カレー店関係者と一緒に暮らしているという噂もあったようです。
でも仲本さんは、「カレー店を経営するために家に帰れなくなった」と考えていたようで“別居”という認識はなかったらしいです。
三代純歌さんと別居状態になった仲本工事さんは、カラオケスナックの2階にある部屋と1階部分で1人で住んでいました。犬や猫を飼っていて、かなり部屋は散らかっていたらしいです。
雑誌記者が訪ねたことがあったのですが、扉をノックしても返事がなかったので、恐る恐る扉を開けると動物の糞尿の匂いが漂ってきたそうです。
店内は、様々な生活用品が溢れて散らかっていて、テーブルには犬猫の世話用グッズや仲本さんの私物が積み上げられていて、さながら“ゴミ屋敷”状態だったらしいです。
仲本工事さんと三代純歌さんが別居状態になってから、仲本さんの前妻との間の娘の1人が仲本さんを訪ねたことがありましたが、自宅がひどい状態なのを知り心配したそうです。
娘さんは、純歌さんのことを気兼ねして、しばらく父の元を訪れていなかったそうですが、部屋がひどい状態だったのに驚いたらしいです。
「自宅に新聞紙が敷いてあったり、衛生面での良くない状態で父が犬や猫の世話をしているのは心配です。頻繁には行けませんが、私たちきょうだいで犬猫のお世話を手伝いに行ったりしています」と娘さんは話しました。
1人暮らしの仲本工事さんの家の中はノミやダニがすごく、犬や猫の皮膚がただれて皮膚病になっていたそうです。ソファーベッドも犬や猫の粗相の跡があり不衛生でした。
そんなソファーベッドで仲本さんは普段寝ていたそうで、仲本さんもノミやダニのせいで肌が真っ赤になったこともあったらしいです。
仲本工事さんが結婚した三代純歌さんは、どういう女性だったのか?別居暮らしを始めてから、純歌さんは仲本さんに対してどんな接し方をしていたのかなどを調べてみました。
仲本工事さんの嫁・三代純歌さんは、カレー店経営のために家を出るとき、可愛がっていたラッキーという名のヨークシャテリア1匹だけを連れて行ったそうで、ラッキー以外の犬は家に置いて行ったというか、捨てていったといわれています。
仲本工事さんと別居し横浜で暮らしていた三代純歌さんは、毎日のようにネットで買い物をし、代金引き換えで仲本さんの家に送らせ、仲本さんが支払っていたらしいです。
それだけでなく、届いた商品は仲本さんが純歌さんの家まで届けていたそうです。
2022年11月10日号の週刊文春で、三代純歌さんの愛人だったとう男性が彼女との関係を暴露しました。男性は、仲本夫妻が営んでいたカラオケスナックの客だったそうで、彼女から誘われ、関係を持ったと話しています。
仲本工事さんの交通事故当日、仲本さんと嫁の三代純歌さんとの間に交わされた会話とは?また、起きてしまった事故に対して純歌さんはどんな態度をとったのかなどを調べてみました。
三代純歌さんが、夫の仲本工事さんとの最後の会話をしたのは、事故当日の朝6時27分にかけた電話だったそうです。純歌さんが「二度寝しちゃダメだよ」と言い、仲本さんが「はいよ、じゃあね」と答え、これが仲本さんの最後の言葉となりました。
三代純歌さんは、店を閉じて、芸能活動もやめ、庭付きの一軒家でも探して仲本工事さんと新しい生活をはじめようと話し合っていたそうです。
そのために仲本さんの事務所の社長に相談に乗ってもらい、横浜の純歌さんの自宅で仲本さんらと今後のことをいろいろ話し合う予定だったと彼女は話しました。
いつもなら純歌さんの家には昼から行くことが多いそうですが、社長から良い報告を受けて、早く会いたいから朝9時に行くと仲本さんは言ったそうです。
三代純歌さんは、仲本工事さんの交通事故について「いつもの駐車場が満車でなければ…、私が横浜に住んでいなければ…」と語り、「今は寂しくて、辛くて、会いたくて。残念で仕方ありません」と悔しがる様子を見せました。
亡くなった仲本工事さんの葬儀には、誰が参列していたのか、またザ・ドリフターズのメンバーの家族を怒らせるような出来事がありましたが、どんな出来事だったのかなどを調べてみました。
仲本工事さんの葬儀には、ザ・ドリフターズの高木ブーさんと加藤茶さん、それに志村けんさんの実兄の志村知之さんなど、仲本さんのゆかりの人や親族が参列しました。
仲本工事さんの葬儀に出席していた三代純歌さんの友人男性らが、仲本さんの遺体をスマホでパシャパシャ撮ったそうです。それを見たザ・ドリフターズの家族が激怒し、泣き崩れた人もいて、式場に不穏な空気が漂ったらしいです。
三代純歌さんは、仲本工事さんの葬儀に、愛犬のラッキーをペット用バッグに入れて連れてきていて、犬にも焼香をするような仕草をさせたそうです。
2022年10月に81歳で亡くなったザ・ドリフターズの仲本工事さん。晩年は俳優としての活動が多く、ライブハウスでソロライブを行うなどしていました。11月には舞台に出演する予定が入っていたそうです。
まだまだ元気で、まだまだ活動できた仲本さんだけに、事故にあって亡くなってしまったことが悔やまれます。
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